
50代は職場においての立場が大きく変化するタイミングです。キャリアを保ち、さらなる高みへ向かう同期がいる一方で、そうではない人も。長年、仕事に人生を捧げてきたからこそ、肩書や地位を失ったときの喪失感は計り知れません。本記事では、保坂隆氏の著書『精神科医が教える 50代からの心おだやかな暮らし方』(有隣堂)より、穏やかな50代を迎えるための思考法を紹介します。
役職定年・閑職への異動…苦しい50代の心を軽くするには
ここでは、肩書や過去の栄光といったものへの執着はどうして生まれるのか、それをどうやって軽くしていくのかについて見ていきましょう。
50代は人生の多くを仕事に費やしてきたため、肩書が取れたり、閑職に異動になったりすると、自分の存在が消えてなくなってしまうような不安を感じます。そのため、「歳を重ねてもずっと尊敬され続けたい」という気持ちが強くなるわけですが、こういう社会の一員として認められたいという思いを「社会的承認欲求」といいます。
社会的承認欲求が満たされないと、どうしても感情は波立ちます。役職定年後の新しい部署で必要以上に偉そうな態度をとってしまう人をよく見かけますが、今まで「部長」「先輩」などと言われてきた人がいきなり平社員扱いされるのですから、その気持ちもわからないではありません。
しかし役付き時代と違って、新しい部署では自分は部長でも先輩でもありません。そこで偉そうな態度をとったら、疎まれて当然。その結果、ますます苛立って、ささいなことで感情を爆発させるシニアが後を絶ちません。
そうならないためには、少なくとも次の3点に注意することです。
「自分は偉かった」の恥ずかしさ
1つ目は、「私は○○部の部長でした」などという自己紹介をしないこと。とくに幹部経験者は要注意です。たしかに、部長や局長、所長という役職まで出世したのは立派なことです。しかし、今はその役職は関係ありません。人前でそれを言うことほど恥ずかしいことはありません。過去のものとなってしまったその役職は、すでにあなたの一部になっているので、それをすべて忘れるのは難しいことでしょうが、そこに縋れば縋るほど感情が波立つことを覚えておいてください。
「私は絶対に正しい」の誤り
2つ目は「○○すべき」という言葉は使わないこと。「すべき」というのは、絶対的な価値基準を自分のなかに置いていて、「私は絶対に正しいから、こうするのが好ましい」と考えているために出る言葉です。しかし、立場が対等なら、そのように自分の価値観を相手に押しつけるのは間違っています。どの方法を選ぶかは相手の気持ち次第であって、なんの関係もないあなたが命じることではありません。
とはいえ、人生の先輩としてひと言くらい言いたくなる場合もあるでしょう。そんなときも「すべき」という言葉は絶対に使わないこと。その代わり、「私の経験では、こうやってうまくいったことがあります」というように、経験した事実を話すに留めておきましょう。
「キミはダメだね」は自分に返ってくる
そして3つ目は、人格を否定しないこと。「キミはダメだね」などと平気で言うシニアがいますが、こんな発言は確実に人間関係を悪化させます。すると、ますます尊敬は得られなくなり、自分の感情はさらに波立ちます。
過去の栄光や自分の価値観を押しつけるのは、今すぐにやめることです。
保坂 隆 保坂サイコオンコロジー・クリニック 院長
※本記事は『精神科医が教える 50代からの心おだやかな暮らし方』(有隣堂)の一部を抜粋し、THE GOLD ONLINE編集部が本文を一部改変しております。

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