
長年連れ添った妻に家事も家計も任せきりにしていた夫が、妻に先立たれて直面する「お金があるのに生活できない」現実。テレビショッピングや新興宗教のために、3,000万円の資産が半減した事例から、家計管理の「丸投げリスク」と効果的な対策である家族信託について、CFPの松田聡子氏が解説します。
「妻任せ」が招いた悲劇…2年で1,500万円を失った72歳男性の転落劇
「お父さん、これ何?」
兵庫県から久しぶりに東京の実家に帰省した金子雅俊さん(45歳)は、玄関で見つけた大きな段ボール箱を見て尋ねました。中身はなんと、一式30万円の羽毛布団セットです。
「いや、テレビショッピングで『今なら特別価格』って言ってたから…」
父親の康弘さん(72歳)は、きまり悪そうに答えました。
康弘さんは大手化学メーカーを定年まで勤め上げ、2年前に妻の美代子さん(享年69歳)を亡くすまでは「理想的な老後」を送っているはずでした。夫婦の年金は月23万円(現在は18万円)、美代子さんがコツコツ貯めた貯蓄は3,000万円ありました。持ち家もあり、経済的な不安はないはずでした。
「父は母が生きていた頃は、お金のことは全部任せきりでした。通帳の場所も暗証番号も知りません。家事も一切やったことがなくて……」
専業主婦だった美代子さんが家庭内のすべてを取り仕切るという夫婦の生活スタイルが、美代子さんの急死によって一変したのです。
雅俊さんは最初の1年間は頻繁に実家を訪れ、各種手続きや家事をサポートしていました。しかし転勤や子育てで多忙を極め、次第に帰省の頻度は減っていきました。
「半年に1回くらいしか帰れなくなって。電話では『元気にやっている』と言っていたので、安心していたんです」
ところが、一人暮らしになった康弘さんの生活は徐々に変化していました。自炊ができないため外食が増え、月の食費は10万円近くに。家事代行サービスも利用するようになりました。
一人暮らしの寂しさを紛らわすのは、テレビショッピングです。家計を取り仕切る美代子さんはもういないので、いいなと思ったものを注文しても誰も文句を言いません。毎日のように買い物をすれば、年金だけではとても足りません。足りない分は美代子さんがコツコツ貯めてきた貯金を取り崩すしかありませんでした。
さらに追い打ちをかけたのは、新興宗教への入信でした。
「宗教団体の機関誌を見つけたときは、我が目を疑いました」
雅俊さんが問い詰めると、これまでにこの宗教団体に300万円以上の寄付をしていることがわかりました。さすがにこのまま放っておけないと、雅俊さんは康弘さんに許可を取って通帳を確認。すると、2年前には3,000万円あった貯金は1,500万円まで減っていました。今のペースでは、近いうちに貯金は底をついてしまいます。
そのことは康弘さんも自覚していて、「妻に申し訳ない」 とうなだれるのでした。
なぜ高齢男性は狙われるのか…「家計丸投げ世代」が抱える構造的リスク
康弘さんのケースの根本的な問題は、生活に必要なスキルを一切身につけてこなかったことにあります。
康弘さん世代(現在70代前半)は、1980年代から2000年代にかけて働き盛りだった世代です。当時は男性が外で働き、女性が家庭を守るという役割分担の世帯が多く、「家のことは妻に任せるのが当たり前」という感覚で生活してきました。
その結果、妻の死後に直面するのは「お金の管理ができない」「生活ができない」という現実です。康弘さんも通販で次々と商品を購入し、宗教団体に多額の寄付をしていましたが、家計簿などつける習慣がないため、支出の実態を把握できていませんでした。気がついたら貯金が半減していたという状況は、家計管理能力の欠如そのものです。
生活面でも自炊ができず外食費がかさみ、掃除や洗濯もできないため家事代行サービスに頼っています。その結果、家族の人数は減ったにもかかわらず、生活費はかえって増大するという皮肉な状況に陥ってしまったのです。
こうした状況に加えて、一人暮らしの孤独感や判断力の低下が重なると、悪質な業者に「カモにされる」リスクが高まります。
今後さらに康弘さんの判断力が鈍ってくると、オレオレ詐欺や投資詐欺といった犯罪被害に遭う可能性も否定できません。警察庁の統計によると、2024年における特殊詐欺の認知件数は21,063件、被害額は718億7,700万円にのぼり、いずれも2020年から増加の一途をたどっています。また、全国の消費生活センター 等に寄せられた契約当事者が65歳以上の消費生活相談件数は、2021年から増加し、2024年は約30万件に達しました。
離れて暮らす子世代の支援にも限界があります。雅俊さんのような40代は、自身の住宅ローンや教育費で家計が厳しく、仕事や育児で時間的な余裕もありません。親の状況が気になっていても、物理的・時間的な制約から日常的な見守りは困難なのが現実です。
「家計管理丸投げ」のツケは、想像以上に深刻な形で現れるのです。
判断能力があるうちに対策を…「家族信託」で財産を守る現実的な選択肢
お金を管理する能力が衰えた康弘さんには早急な対策が必要です。康弘さんのような状況で検討できる選択肢として、任意後見制度、財産管理委任契約、そして家族信託などが考えられます。
これらは、康弘さんの判断能力がなくなってからでは利用できません。 この選択肢のうち、財産管理委任契約は康弘さんに判断能力がなくなると継続できなくなります。また、任意後見制度には任意後見監督人への継続的な報酬支払いが必須です。そのため、康弘さんの状況にはあまり適していません。
そこで現実的な選択肢となるのが家族信託です。家族信託とは、財産の所有者(委託者)が信頼できる家族(受託者)に財産を託し、受益者のために財産を管理してもらう制度です。康弘さんの場合、康弘さんが委託者兼受益者となり、雅俊さんのように信頼できる家族が受託者として財産を管理します。
雅俊さんは兵庫県在住で物理的な距離があるため、東京近郊に住む康弘さんの姪(雅俊さんのいとこ)にも受託者になってもらうことにしました。姪は長年康弘さんや雅俊さんと交流があり、定期的に康弘さんの様子を見に行くことができるためです。
このように、柔軟な契約内容を設定できる点は家族信託のメリットです。一方、デメリットとして、受託者に大きな責任が伴うこと、家族間でのトラブルの可能性があることが挙げられます。また、信託契約の締結にあたっては専門家のサポートが必要で、初期費用として30~50万円程度かかります。
家族信託は一度設定すれば、康弘さんの判断能力が低下しても継続して財産を保護できます。状況に合った契約内容にするには、まずは家族信託に強い司法書士などの専門家に相談するとよいでしょう。
康弘さんが使ってしまったお金は戻りませんが、まだ判断能力があるうちなら残った財産を守る方法はあります。家族や専門家の力を借りて、残りの人生を穏やかに過ごせるようにしましょう。
松田聡子 CFP®

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