
50代になると、人生のセカンドキャリアを意識し始める人が増えてきます。定年後も社会とのつながりを持ちたいという思いは、多くの人にとって共感を呼ぶでしょう。新たな挑戦を通して、自身の可能性を広げることは、人生をより豊かにする一歩となります。なかには長年のキャリアに区切りをつけ、学び直しを選ぶ人も。多様なバックグランドを持つ仲間たちとの出会いや、熱い議論を交わす場での学びは、充実した経験となるはずです。本記事では、山口一夫氏の著書『シニアライフの人生設計』(ごきげんビジネス出版)より、同氏の実体験を紹介。老後、なんのために生きるのかを探し出す際のヒントになるかもしれません。
合格倍率7.47倍…ボランティア英語通訳ガイド活動
私は現役で働いていた50代後半ごろから第2の人生について、さまざまな思いをめぐらすようになりました。退職後は「できることなら、自分の好きなこと、得意なことで社会・世界とつながれたら楽しいだろうな」と考えていました。なぜなら、私の仕事はもともと海外との接点が多かったことに加え、外国人とのコミュニケーションを通じて新しいことやその国の文化を知ることが大好きだったからです。
そのような経緯もあり、頭に最初浮かんだことは、来日外国人旅行者を対象とするボランティア英語通訳ガイドの活動でした。「退職してからも英語を使っていろいろな国の人たちとコミュニケーションできたら」と思うとわくわくしてきました。
インターネットを使い、たくさんある英語通訳ガイドのボランティア団体のなかから私の意にかないそうな東京SGGクラブを見つけ、59歳のとき入会試験を受けます。5月の1次試験では日本語と英語の面接がありました。1次試験に合格すると、7〜8月に浅草雷門前にある国際文化センターで実技試験が2回ありました。
晴れて合格の通知が届いたのは、なんと9月。東京のなかでも人気があるクラブで、私が受けた2014年は127名の受験者がいて、合格者は17名でした。入会後、同期の仲間と初めて会したとき、「ボランティアガイドの募集試験だったのに、まるで会社の採用試験並の厳しさだったね」とみんなで大笑いした記憶があります。
立教大学での学び直し
私は2016年6月に61歳と9か月で現役ビジネスマン生活を終えました。退職後は仕事に就かず大学で学び直すことを50代の最初から決めていました。
学び直しの場として立教セカンドステージ大学を選択。その理由は、立教大学がシニアの「学び直し」「再チャレンジ」「異世代共学」を標榜していたことと、ほかの大学にはない少人数のゼミナール制を導入していたからです。シニア学生や卒業生が社会と交流を図れるよう支援する「社会貢献活動サポートセンター」を備えていることも魅力的でした。2017年4月、期待と不安を胸に立教大学のチャペルで開催された入学式に臨みました。
立教大学は日本聖公会に属するミッション系の大学のため、入学式や卒業式、クリスマスパーティーなど大きな行事の際には、全員で讃美歌を歌うことも新鮮でした。
私の1年目は立教大学名誉教授で社会学者の北山晴一先生のゼミに配属になりました。北山ゼミは男性6名・女性5名からなる11名のグループで、北山先生とメンバーともにオシャレで大変ユニークな楽しい素敵なメンバーの集まりでした。
北山先生は東京大学大学院人文科学研究科(仏語仏文学専攻)出身で、パリ第3大学東洋言語文化研究所で10年以上、教鞭をとられていたようです。社会学や社会デザイン学はもとより、比較文明学、歴史学と幅広い専門分野に長け、高いインテリジェンスの持ち主でした。それでいてユーモアに富み、三宅一生氏のオシャレなジャケットをさり気なく着こなすところがまたカッコいいのです。
私が「大親分」と呼んでいるYさんは、昭和の前半を代表する超大物歌手のご子息で、リーダーシップがあるうえに情け深く大変面倒見のいい紳士です。ほかにも、企業の第一線で活躍されていた人、自ら起業した会社を後進に譲って入学した人、看護師としての仕事を兼務しながら通う人、元小学校の音楽教師。さらには、長年重度の障害児の息子さんを育ててきた奥さまの苦労を察して、ご主人から背中を押されるかたちで入学した人、など出身地はもとよりバックグランドもまったく異なる11人が学び直しをはじめました。
10代や20代前半の現役大学生と交じってスタートしたキャンパスライフは毎日が楽しく、第2の青春が蘇ったようで、自分たちの実年齢を忘れてしまいそうになったほどです。
しかし、卒業のためには必要数の単位確保に加え、シニア学生を悩ます修了論文(修論)がありました。ゼミ活動の中核をなすもので、これまでまともな論文を一度も書いたことがないシニア学生が1年間で約2万字の論文を仕上げる、といった名物教科でした。毎週金曜日の夕方からはじまるゼミクラスでは、毎回3〜4名が論文の進捗状況を順番に発表し、先生から指導を受けます。
このころからゼミが終了すると必ずといっていいほど、大学近くの行きつけの居酒屋にメンバーが集うようになります。お互いの論文を褒めたり、励ましたり、時には先生からの激を癒し合いながら、ゼミ活動第2部の楽しい時間が過ぎていきました。
年が明け、シニア学生の論文提出がおわると、残っているイベントは各ゼミ代表者による修論発表大会(2月)と卒業式(3月)だけとなります。楽しかった学び直しやゼミ活動、毎週のようにあった飲み会がなくなると思うと、誰もがとてつもなく切ない気持ちになります。
このころからシニア学生の関心は「卒業後は、みんなどうするの?」という質問で持ち切りでした。2年目の専攻科へ行くことをすでに決めている人もいましたが、私を含め多くの人たちが第2の人生の方向性を決められないまま卒業式へと向かっていくことになります。
修論に選んだテーマ
私は自分たちシニア世代の学び直しに強い関心をもっていたので、自分の1年目の修論テーマを「我が国セカンドステージ教育の一考察」としました。
この修論を通じ、全国には多くのシニア大学があるものの、「そこで提供されている講座は必ずしも魅力的なものではない」という調査結果に問題意識をもったのです。私の住む埼玉県も例外ではなく、平成25年1月に行われた「さいたま市生涯学習市民意識調査」からも同じ課題が浮き彫りとなっていました。
これらに加え、より身近な問題としては、私の大学の仲間たちも「第2の人生で自分が本当にやりたいことは何か」を見つけられないまま卒業していく、といった現実も目の当たりにしたのです。課題の解決策を日々悶々と考えているうち、セミナーによって解決できそうなイメージが湧いてきました。そのような矢先、脚本家の倉本聰氏が朝日新聞に掲載した次のメッセージに背中を押されることになります。
“60代の若者たちへ。 (※中略※) もう一度、スタートした原点や初心に立ち返ってみる。 学校を出て就職したばかりの頃、誰にも夢があったと思うんですね。 (※中略※) 還暦や喜寿、定年退職などの節目に再度、初心を振り返るのも意味のあることだと思います。 仕事を離れた後、残りの人生をどう生きるか。いろいろな選択肢があると思いますが、そのことによって喜びを見いだせるか見いだせないか、大切なのはそこでしょうね。それが「元気と活力」にあふれた、「楽しく明るい」日々の源になると思うんです。自分は何に喜びを感じるのか。それを識しることこそが次の生き方につながっていくのではないでしょうか。”
倉本氏のメッセージを読んだあと、私に迷いはありませんでした。
「たとえどんなに大変でも、私を含めた中高年やシニア世代が自分と向き合い、自分はこれから何をやりたいのか、なんのために生きるのかを導き出すためのセミナーを開発すること。そして、そのためにもう1年、専攻科へ進み、この目的を達成しよう」と自分の強い決意がかたまった瞬間です。
山口 一夫 ライフデザイン講師

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