台湾の公共交通機関にある、日本の「優先席」に相当する「博愛座」。これを日本などと同じように「優先席」へ改称する動きがあり、台湾で議論を呼んでいます。この「博愛」という言葉の解釈に世代間で齟齬が生まれ、「道徳的圧力」が生じているというのです。

「優先席」にすれば丸く収まるのか? 台湾の「博愛座」議論

 台湾の公共交通機関には「博愛座」という社会的弱者を優先利用させるための座席が設けられています。日本で言うところの「優先席」にあたるものです。近年台湾では、この「博愛」という言葉の解釈に世代間でやや齟齬が生まれているようで、「博愛座」に若者が座り、お年寄りとモメるケースなどが増えてきました。

 こういった言葉の解釈の齟齬によって生まれるトラブルを前に、台湾立法院は2025年6月に「博愛座」の名称を、日本・イギリス・韓国などにならって「優先席」として改称する法案を通過させました。

 ここでの理由は「実際に必要とする人が優先的に利用できる席とわかりやすく表記する」といったものでしたが、この改称についても批判の声が上がり、台湾における「博愛座」問題は、まだまだ着地点が見られないのが現状です。

ある意味「タマムシ色」に

「博愛座」から「優先席」という名称に変えることに対して、台湾人の医師などが猛反発していると現地メディアが伝えています。その理由には、まず「名称自体の冷たさ」もあるようですが、それ以上に、改称に伴う利用対象の設定にも問題があったようです。

 本来「博愛座」の利用対象は、主に心身障がい者、高齢者、社会的弱者、子連れなどが設定されていました。大衆が使う交通機関には、座席総数の15%以上設置しなければならないという規定もあります。ただし、乗客に対し、席を譲る義務を規定するものではありません。

 今回の改称では、利用対象を明記せず「必要な人が誰でも使えるように」とフワッとした文言に変わり、本来の利用対象設定から「高齢者」などの優先権削除されました

 台湾立法院がここで「高齢者」などの言及をあえて削除した理由は、おそらくは冒頭で触れた「博愛」という言葉の解釈に対する、世代間の齟齬によって増えつつあるトラブル対策と思われます。「その解釈は民意に任せる」といった、やや投げやりにも感じられる対応に一部で猛反発が起こっているのです。

「博愛」とは何ぞや?

 ここで台湾に古くから伝わる「博愛」の意味を改めて掘り下げてみます。

 日本同様、中華圏でも「ひろく平等に愛すること」という意味ではあるものの、台湾での解釈はさらに深く「自分の家族や国だけではなく、社会にいる弱い人を助けるべき」といった考え方で、この概念の代表的な熟語が、中国の儒学思想家として知られる孟子による以下のものです。

 吾が老を老として、以て人の老に及ぼし、吾が幼を幼として、以て人の幼に及ぼす

 筆者は「わが家の老人を敬い、その気持ちを延長して他人の老人をも敬う。わが家の子どもをかわいがり、その気持ちを延長して他人の子どももかわいがる」と意訳して認識しています。確かに日本の「優先席」というワードよりも奥行きと人間的な温かみを感じますし、「博愛座」の本来の利用対象者の設定にも当てはまるでしょう。

「博愛座」「優先席」論争はまだまだ続きそうな気配

 一方、台湾もまた超高齢化社会を迎えつつあり、必ずしも「身体弱者」的な老人ばかりではなくなったことも、この「博愛座」をめぐる論争に火をつけています。

「博愛座」にあえて座った若者に対し、老人のほうが暴力を振るうなどの事態も度々起こっていることから、台湾でのとある調査では「博愛座を廃止すべき」と回答した人が6割超えにも至ったことも、「優先席」への改称法案が通過した理由でもあったようです。

 立法院の資料では、博愛座について「見た目が健常でも実際には座る必要のある人が利用できない」「高齢だが必要がない人が優先対象とされ、矛盾が生じる」といった問題を指摘しています。

 そのうえで、もともと善意に基づく立法であったものの、それが「感情的な強要」や「道徳的な圧力」による対立を生んでしまっているのであれば、それは立法の本意ではない、とも。台湾における「博愛座」か「優先席」かの論争はまだまだ続きそうな気配です。

台北のMRTの駅構内。写真はイメージ(画像:PIXTA)