
広島県議から参院議員に転身したあと、大規模買収事件で執行猶予付きの有罪判決を受けた河井案里(かわい・あんり)さん(51)。
実刑判決を受けた夫・克行さんとともに政界を去り、表舞台から姿を消した。
あれから約5年。事件の真相や、政治とカネをめぐる問題、夫からの精神的DV、そして「政治家の妻」として生きる葛藤を、案里さんは自著『天国と地獄』(幻冬舎)で赤裸々に綴った。
法律をつくる立場から、身柄を拘束され法廷に立つ身へ。彼女が見た日本の司法の"裏側"とは──。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)
●「すべての責任を引き受けるのが政治家の姿」<自分の問題が持ち上がるまで、ウグイス報酬に上限が決められていることを知らなかった>
<本当に1億5000万円が振り込まれていたかどうかさえ、私は全く知らないのだった>
<公選法を改正して、選挙前の寄附行為そのものを厳しく禁止すべきだと思う。それが結果的に、捜査機関の恣意性から一人一人の国民を守ることとなるだろう>
案里さんは『天国と地獄』でそう書いている。では、今、あの事件をどう受け止めているのか。
「私の選挙に関することで、しかも主人が関与していた。地盤培養行為のための金銭提供は、これまで政治の世界では慣習としてある程度認められてきました。線引きが非常にあいまいな部分でもあります。
主人の行為が違法かどうかの評価はさまざまあると思いますが、私は政治家として、世の中の理不尽さやマスコミの雑さも、裁判所の頼りなさも、すべて呑み込まなければいけないと考えていました。
検察の取り調べが違法だと言える部分もありますが、彼らにも組織としての論理がある。納得はできなくても『理解はしてあげる』という立場で、すべて責任を引き受けるのが政治家のあるべき姿だと思っています」
そう語ったあとで、案里さんは「だけど…」と続けた。
「でも、やっぱり制度として変えていかなければいけないこともたくさんある。なかでも、今回の事件で一番問題だと感じたのは、裁判所です」
●疑われた「司法取引」、独自の判断を避ける裁判所を問題視案里さんが疑問を呈するのは、「買収された」側への司法の判断だ。
事件では、広島県内の議員らに票の取りまとめを依頼する趣旨で金銭を渡したとして、河井夫妻が公職選挙法違反(買収)の罪に問われた。
本来は、金銭を受け取った議員らも「被買収」として同法違反に問われるはずだが、東京地検は克行さんから金を受け取った地方議員ら100人を不起訴とした。しかも、その判断は、1審で河井夫妻に有罪判決が出たあとだった。
この対応について「違法な司法取引があったのではないか」といった批判も広がった。
実際、検察審査会はその後、買収されたとされる35人を「起訴相当」と議決。うち9人が在宅起訴、25人が略式起訴されることとなった。
●「裁判所は守られすぎている」「被買収」の罪に問われた元広島市議の木戸経康(きど・つねやす)さんは、裁判で「取り調べをした検察官が不起訴の可能性をにおわせながら供述を誘導した」という趣旨の証言をした。
木戸さんは検察官とのやり取りを録音しており、その録音データを証拠請求したが、広島地裁と広島高裁はいずれも退けたのだった。
案里さんは、この一件で"裁判官の正体"を垣間見たと語る。
「録音データは、木戸さんの自白の任意性を揺るがす非常に重要な証拠だったのにもかかわらず、裁判所はそれを採用しませんでした。こういう言い方は悪いかもしれませんが、これは"裁判所の罪"です。
刑事訴訟法は297条で、どの証拠を採用するかは裁判所の職権であると定めていますが、これは、"裁判所の判断は正義に基づくものだ"という性善説の上に成り立っています。
しかし、木戸さんの公判で、裁判所が録音データを裁判で用いることを許可しなかったことは、明らかに被告人の権利を害する判断でした」
案里さんによると、この録音データには、検察官が案里さんと克行さんを有罪にするために木戸さんに虚偽の供述をするよう迫り、木戸さんが検察官の言葉に従って供述を変遷させていく生々しい取調べの様子が録音されていたという。
この録音データの存在については、読売新聞が報道し、取り調べに問題があった疑いが指摘されたが、裁判所は証拠として採用しなかった。案里さんは続ける。
「供述誘導があったことは明らかで、もはや供述調書には裁判に耐えうる証拠能力がないことは明白でした。すると今度は検察が、この調書の証拠請求を引っ込めてしまったのです。
裁判所がもしも正義の砦であるならば、取り調べの録音データの証拠採用を認め、自白の任意性を判断すべきでした。その義務を放棄した時点で、裁判所は法に反していると思います。
そして、判決自体が自白の法則に違反するものになったことは明らかです。現在の刑事訴訟法は、裁判所自身が法を犯すこと、検察に忖度するなどして恣意的に証拠を排除する可能性があることをまったく想定していません。
起訴された事件の裁判の有罪率は99.9%ですから、裁判所は独自の判断で判決文を書いているのではなく、検察の捜査をそのまま鵜呑みにしていると考えざるを得ません。
これは人質司法についても同じことが言えます。被疑者、被告人を勾留するかどうかについて、裁判所は検察側の勾留請求をほぼ無条件に認めているので人質司法が生まれてしまう。
しかも裁判所は、証拠の不採用や保釈不許可の決定についても、自らの判断根拠を明らかにする必要に迫られることはありません。
要するに、裁判所は守られすぎています」
袴田巌さんや大川原化工機の冤罪事件など、身柄拘束や取り調べの問題は現在に至るまで長い間批判されてきた。改善の糸口はどこにあるのか。案里さんはこう主張する。
「本来、『推定無罪の原則』がありますが、実際はそれを担保するための具体的な制度が欠けています。
被告人が請求したすべての証拠を無条件に採用すべきとは言いませんが、請求が認められなくても、もう一段階、請求を続ける機会が被告人に与えられても良いのではないかと思います。
それに現在の刑法では、捜査機関が違法な取り調べをおこなっても、それ自体を構成要件とする犯罪はありません。
違法な取り調べが認定される場合にのみ国家賠償を請求できますが、取り調べの違法性自体を争うことはできません。
脅迫や暴行がなければ、つまり今回のケースのように司法取引があったと疑われる場合でも捜査機関は罪に問われません。
しかし、適正な捜査は法治国家の屋台骨であり、その信頼性の基礎にあたります。その屋台骨が揺らぐ昨今の状況を踏まえると、取り調べの段階から弁護士の同席を認めることはもちろん、冤罪被害者の救済のためには、不正な捜査をおこなった職員を罪に問えるような立法的措置が必要だと思います」
袴田事件や大川原化工機などの冤罪事件が象徴するように、刑事司法は一般市民の人生を一瞬で破壊する力を持つ。だが、その恐ろしさを我がこととして考えられる人は少数派だろう。
「検察や警察から取り調べられたり、裁判所が独自に判断しないような判決を下されたりした人しか、この恐ろしさは実感できないと思います。
でも、そうした立場に置かれた人たちは、社会的信用を失って、声が届きにくくなります。今回の経験を通じて『誰でも罪に問われる可能性がある』ということがわかりました」
執筆のきっかけは、2024年5月、出版社からの提案だったが、当初はなかなか筆を取れなかったという。
「言い訳のようにしたくないんです。あの出来事の責任は私自身が負わなければいけないと思ってるので。
でも、やっぱり書くとなると、自分の権利を主張することになるので、そのバランスに悩んで、ずっと書き始められませんでした」
自身は収監されなかったが、夫の出所を待っているほうが「拘束されるよりも辛かった」と振り返る。
「選挙のとき、立候補している本人は当選する気満々で選挙活動しますが、周囲の支援スタッフなどは『大丈夫だろうか』と不安がつきません。
拘置所に約4カ月半入っていても、私は平気でしたが、家族は大変だっただろうなと思います。
それと同じように、私は外にいたけど、夫が刑務所で辛い思いをしているんじゃないかと心配する気持ちがずっとあって辛かったです」
克行さんは、栃木県の「喜連川社会復帰促進センター」に収容されていた。案里さんは約30分の面会のために、月に3回、往復7時間かけて通い続けた。
「家族の支えは、受刑者にとってとても大切です。夫には、とにかく自分を保ってもらうよう、褒めたり、励ましたりし続けました。日々の課題を与え、夫が勉強すべきテーマを考えながら、約800冊の本を差し入れました」
克行さんが仮釈放されたのは2023年11月、懲役3年の刑期が満了したのは2024年10月だった。待つ身となった経験を通じて、受刑者の社会復帰にも多くの課題があることを知った。
刑務所では、受刑の態度などに応じて生活上の優遇を受けられるレベルが決められ、克行さんの場合、たとえば手紙は月に3回しか送ることができなかったという。
日本の刑務所は、家族であっても受刑者本人と連絡を取り合う方法や機会が厳しく制限されており、家族のいない受刑者は服役期間が長くなるほど孤立を深め、社会復帰のハードルが高くなる現実がある。
その点について、案里さんは次のように述べた。
「刑務所や拘置所に入っている人たちにとって、社会に出てから自分が社会とどういう関わりを持つのかが具体的に自分の中でイメージできないと立ち直りにはつながりません。
拘禁刑が導入されましたが、そういう意味ではおそらくまだ何も変わっていないと思います。受刑者が社会との関わりという意味において、前向きな目標を持てるようにするための取り組みが必要だと思います」
かつては、夫婦そろって選挙と政務に追われる日々だったが、今は「不純物がなくなった夫婦関係」と言う。
著書の中には「私は選挙カーに乗るのが大好き」「私は他に職業を考えることができないほど、政治が大好きだし、自分でも向いていると思っている」といった言葉も並ぶ。
これからの人生、どうするのか──。最後の問いかけに案里さんは言葉を選びながらこう話した。
「今後についてはまだ何も見えないんですけど、これまで20年ほど政治家としての私を応援してくれた方がたくさんいます。その方たちに対して、まだ十分な恩返しができていない。何らかの形で社会に貢献することで、その思いに応えていきたいと思っています」

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