
現金を自宅で保管するタンス預金は、銀行破綻や口座凍結への備えとして安心感をもたらす一方、盗難や災害、紛失といったリスクも抱えています。高齢化社会が進むなか、資産の管理方法や家族間のコミュニケーションについて、改めて考える機会が増えています。
銀行は信用しない…昔気質の母が信じた「タンス預金」
田中良一さん(51歳・仮名)の母、聡子さん(78歳・仮名)は、昔から絵に描いたような堅実な人だったといいます。夫に先立たれてからは、月7万円の年金と貯蓄でやりくりし、1人暮らしを続けています。口癖は「もったいない」と「最後に信用できるのは自分だけ」。バブル崩壊や金融機関の破綻を目の当たりにしてきた世代だからか、聡子さんは銀行にお金を預けることを極端に嫌いました。
「いつ潰れるかわからないじゃない。手数料もとられて、いいことなんて1つもない」。そう言って、生活に最低限必要なお金以外は、すべて自宅で保管。いわゆる「タンス預金」です。
金融広報中央委員会『令和5年 家計の金融行動に関する世論調査[単身世帯調査]』によると、70歳代の金融資産保有額(金融資産保有世帯)の平均は2,104万円。そのうち定期預金含む「預貯金」は44.2%。「株式」20.4%、「生命保険」11.8%、「投資信託」10.9%と続きます。タンス預金に関する正確な統計はありませんが、1世帯当たり数万~100万円程度といわれ、日本全体では60兆円弱にのぼるという試算も。
しかし、このタンス預金には、盗難や火災・水害による紛失といった物理的なリスクに加え、もう1つ、大きな問題が潜んでいます。それは、持ち主自身がその存在や場所を忘れてしまう「認知のリスク」です。良一さんもその問題に直面することになります。
「良一、大変なの、私のお金がなくなったの!」
お盆を前にして、1年ぶりに実家の玄関をくぐった良一さんを迎えたのは、血相を変えた母、聡子さんの叫び声でした。
そんな母以上に驚いたのは実家、そのものの様子。良一さんの記憶にある、こざっぱりと片付いた家とは似ても似つかぬ状態でした。脱ぎ散らかされた衣類、読み終えたのかどうかもわからない新聞やチラシの束――文字通り足の踏み場もないほど散乱しています。
聡子さん曰く、タンスにしまっておいたはずの2,000万円が、ごっそり消えてしまったというのです。
「泥棒よ!」
「絶対に泥棒が入ったんだわ!」
「警察を呼んで!」
必死に訴える母を前に、良一さんはまず家中の窓や鍵を確認しました。しかし、どこにもこじ開けられたような形跡はありません。そもそも、これだけ物が散乱した部屋のどこに現金2,000万円が隠されていたのか。何より気になったのは、母の様子。話が堂々巡りになり、さっき言ったことを忘れて同じ質問を繰り返すのです。
テーブルに置かれた日記帳…最後のページに書かれていたのは
途方に暮れながらも、まずは家の中を片付けようと、散らかった衣類を整理し始めたときのことです。ダイニングテーブルに一冊の大学ノートを見つけました。それは、聡子さんがつけていた家計簿&日記。昔から買い物のあと、ノートにその日の出来事を記すとともに、レシートを貼るのが習慣でした。「まだ、やっていたんだ……」と、何気なく中を見て良一さんは言葉を失いました。最初は天気や日々の食事など、たわいもない内容が丁寧な文字で綴られています。しかし、ページをめくるにつれて、その内容は少しずつ異様な空気を帯びていきました。
「お金が足りない。誰かが盗んでいる」
「隣の家の人が、じっとこちらを見ている気がする」
「今日は銀行の人が来た。怖い顔をしていた」
日付はバラバラになり、同じ日の出来事が何度も書かれている箇所もあります。そして、最後のページには、震えるような文字でこう記されていました。
「うつしたおかね、どこにいったかわからない」
タンス預金は誰かが盗んだのではなく、どこかに移し、その事実を忘れてしまったのが濃厚になってきました。また日記に並んだ支離滅裂な言葉は、聡子さんの認知機能が深刻な状態にあることを、何よりも雄弁に物語っていました。
後日、一緒に病院に行くと、聡子さんは認知症と診断されました。もの忘れがひどくなったり、判断・理解力が衰えたりなど、認知症の初期症状はいろいろと挙げられます。不安感が強くなるというのも、ひとつの症状です。
その後、聡子さんが「盗まれた!」と主張していたお金は、なぜか台所の床下収納で発見したとか。(ただ、聡子さんが主張する2,000万円ではありませんでしたが)。
親が認知症になった場合、頭を悩ませる問題のひとつが「お金の管理」。成年後見制度がありますが、財産を自由に管理できなくなる、手続きが煩雑などのデメリットがあります。また成年後見制度を利用したくない場合、家族信託、生前贈与、任意後見制度などの代替手段も。思わぬトラブルに発展する可能性もあるので、専門家に一度相談するのも有効です。また何よりも、万一を想定して、日ごろから家族の間で話し合い、対策を講じておくことが最も重要といえるでしょう。
[参考資料]
金融広報中央委員会『令和5年 家計の金融行動に関する世論調査[単身世帯調査]』

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