
長年の会社勤めを終え、年金生活に入る定年退職。多くの人が、その後の人生を穏やかに、そして計画的に過ごしたいと願うでしょう。しかし、長年の習慣や環境の変化、そして予期せぬ支出の増加により、思わぬ形で家計が圧迫され、「老後破産」の危機に直面するケースも……。本記事では佐藤さん(仮名)の事例とともに、定年後に陥りやすい家計の落とし穴とその対策について、FP事務所MoneySmith代表の吉野裕一氏が解説します。※個人の特定を避けるため、事例の一部を改変しています。
入社以来、ずっと社宅暮らしの元サラリーマン
地方都市の中小企業に勤める佐藤孝彦(仮名)さんは、独身生活を送っていました。住まいは、60歳の定年退職まで社宅生活です。家賃3万円という安さから、多少趣味に散財していても、貯蓄も十分にできました。結婚をしていなかったこともあり、老後の準備に危機感を覚え、長い時間をかけて60歳時点で2,000万円を貯めることができていました。
佐藤さんの社宅は、借り上げ社宅という賃貸集合住宅一棟を借り切って社員が居住する形態で、60歳以降も再雇用として働くことで、社宅に住み続けることが可能です。再雇用となってからの収入は、それまでの半分程度。毎月の家計は赤字にこそならないものの、貯蓄ができなくなりました。その後、65歳で再雇用契約も終了し、完全に退職しますが、現在の社宅は退去せずに個人契約に切り替えることで、住み続けることが可能です。しかし家賃が7万円と、いままでの倍以上の金額になるとの話があり、大きな不安を感じました。
定年退職時に受け取った退職金は1,000万円。貯蓄と合わせると老後資金は総額3,000万円です。当初、これだけあれば老後は安心だと感じていましたが、家賃などのことを考えると正直心もとありません。佐藤さんの手取り年金は月15万円です。年金生活になってからの貯蓄の取り崩しが気になりはじめ、65歳で仕事を辞める前からマンション購入を検討します。
いくつか物件をみていくなかで、郊外にある1,800万円の中古分譲マンションに出会いました。収入が少なくなっても、家賃と比べると管理費や修繕積立金だけとなることから安心だろうと、購入を決断。佐藤さんは車を保有しています。いままでは、社宅外の民間の月極駐車場に月1万円を支払っていたのですが、購入する物件では月5,000円になるという点も決め手となりました。
固定費は社宅住みのときと大して変わらないはずが…
固定資産税などの負担についても確認し、マネープランを立てて65歳にしてマイホームを手にした佐藤さん。契約時、物件価格は1,800万円でしたが、仲介手数料66万円やその他手数料が20万円、引っ越し費用で20万円がかかりました。加えて、新たに購入した家具などの費用と併せて、約2,000万円を使いましたが、まだ1,000万円は手元に残りました。
管理費1万5,000円、修繕積立金は駐車場代を含んで1万5,000円。合わせて3万円と、以前住んでいた社宅の家賃と変わりません。国土交通省の「令和5年度マンション総合調査」の管理組合向け調査の結果をみても、管理費は単棟型の平均で1万7,214円、修繕積立金は全体の平均で1万3,378円と合わせて3万円程度です。平均額と比較しても妥当な金額でした。年間の固定資産税や車検代など、まとまった出費はあるものの、しばらくは許容範囲だと感じていたようです。
ジワジワ辿る老後破産の道
しかし、新生活には思わぬ落とし穴がありました。最も大きな誤算は食費です。最寄りのスーパーは以前の生活圏よりも物価が高く、一回ごとの差はわずかでも、積もり積もって支出が増加。定年退職前は、忙しさで昼食を抜くこともあった佐藤さんですが、時間に余裕ができたことで、遠出して外食したり、小腹が空いてコンビニで間食を購入したりする機会が増えました。結果として、食費は月に5万円にも膨れ上がってしまいました。
さらに、光熱費も予想以上にかさみました。一人暮らしとはいえ、自宅で過ごす時間が増えたことで、月に5万円程度の出費に。これに車の保険代や娯楽費なども加わり、あっという間に年金だけでは生活費を賄いきれなくなってしまいます。
退職から数年後には、食生活の変化と運動不足がたたり、生活習慣病と診断されてしまいます。これにより医療費の負担が増え、1,000万円あった貯蓄を切り崩す事態に。年間100万円近く貯蓄が減り続け、このままでは75歳で老後破産という現実に直面しかねない状況に、佐藤さんの不安は募るばかりです。
FPの助言
年金受給中の佐藤さんは、生活費の不足を補うため、月に20日、約10万円の収入となるアルバイトを始めました。この収入のおかげで、家計の不足分は解消され、精神的な安心感も得られたといいます。しかし、年齢を重ねるにつれて労働が困難になる可能性も考慮し、今後はより慎重なキャッシュフローシミュレーションを行い、将来を見据えた計画を立てていくことになりました。
日本の年金制度にはマクロ経済スライドが適用されており、物価が上昇しても年金額が同等に増えるわけではありません。物価上昇率よりも年金増加率が小さくなるため、実質的な価値が目減りする可能性があります。バブル崩壊以降、日本では低成長が続いたため物価上昇を意識する機会は少なかったですが、現在のように物価が2%程度上昇することは、経済が健全に成長している証ともいえます。そのため、今後の物価変動には常に注意を払う必要があるでしょう。
アルバイトを始めた佐藤さんには、ほかにもいい変化がありました。これまでの食費の節約を心がけるようになったことに加え、アルバイトで外出する時間が増えたことで光熱費の節約、また運動不足の解消にもつながったのです。まだ体調面の改善は目にみえていませんが、結果として、月の支出を抑えつつ、年金とアルバイト代で収入が増えたことで、毎月5万円の貯蓄ができるように。これにより、固定資産税や車の維持費といったまとまった出費も問題なく支払えるようになったといいます。家計は大きく改善しています。
さらに、将来を見据えて、車の処分も検討し始めました。車を手放し、必要な時だけレンタカーやカーシェアリングを利用することで、さらなる維持費の節約へとつなげていく考えです。
佐藤さんのように、状況に応じて柔軟に対応し、具体的な行動を起こすことが、安心して老後を過ごすための鍵となるでしょう。
〈参考〉 国土交通省:「令和5年度マンション総合調査 管理組合向け調査の結果」 https://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/jutakukentiku_house_tk5_000058.html#chosa吉野 裕一
FP事務所MoneySmith
代表

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