年齢を重ねた親と向き合うとき、かつては頼もしかった存在が少しずつ変化していることに戸惑いを覚える人も多いのではないでしょうか。親子の関係は、人生のステージごとに形を変えながら続いていきます。高齢の親と子ども、それぞれの立場や思いが交差する今、どのような距離感や関わり方が求められているのでしょうか。

覇気がない…元警察官の父の変わり果てた姿

田中雄介さん(42歳・仮名)が、東京の自宅から新幹線を乗り継ぎ、実家の最寄り駅に降り立ったのは8カ月ぶりのこと。母が急逝し、とにかく慌てていたので、帰省という雰囲気ではありませんでした。

今回は年に一度、夏の帰省。塾の夏季講習と重なり、妻子は自宅に留まり、雄介さんだけが実家に帰ることに。駅で待っていたのは父、健一さん(70歳・仮名)。その姿に、一瞬、歩む足が止まりました。

「おお、来たか」と迎える声には張りがなく、顔色も優れないように見えます。やはり母(妻)が亡くなったショックは大きく、父の元気がないことは電話越しにも感じていました。しかし、実際に目の当たりにした父の姿は、雄介さんの想像をはるかに超えていたのです。

警察官として定年まで勤め上げ、定年後は地域ボランティアに精を出す父。そんなアクティブな面影はなく、ずいぶんと痩せてしまったようです。背筋は丸まり、いつも整えられていた髪には寝癖がついたまま。着ているポロシャツは首元がよれ、ズボンには食事をこぼしたようなシミがついています。

「ちゃんと食べてるの?」

「あぁ、ちゃんと年金はもらっているからな」

健一さんが受け取る年金は月20万円ほど。しっかりと貯蓄もあり、経済的な不安はありません。しかし、目の前の父の姿には不安しか感じられませんでした。

実家に着くと、さらに不安が増すことに。手入れが行き届いていたはずの庭には雑草が生い茂り、玄関には新聞が数日分溜まっています。家の中は全体的にほこりっぽく、空気が淀んでいるように感じられました。

「掃除、大変だろう。俺がやるよ」

雄介さんがそう提案しても、健一さんは「いい、そのうちやる」と力なく首を振るだけ。リビングのソファに深く沈み込み、ただぼんやりとテレビの画面を眺めています。雄介さんが仕事の話や孫の話をしても、返ってくるのは「そうか」「ああ」という気のない相槌ばかり。会話がまったく弾みません。

厚生労働省『患者調査』によると、2023年、うつ病躁うつ病患者は約160万人。年齢別にみると、70代の患者は20万人ほど。高齢期、長年連れ添った配偶者を失ったあとに、心身のバランスを崩してしまうケースは少なくありません。

お母さん、ごめん…父が謝り続けるワケ

その夜、雄介さんは夕食の腕を振るいました。母の得意料理だった肉じゃがを思い出しながら作り、「たまにはこういうのもいいだろ?」と食卓に並べます。しかし、健一さんは箸をつけたものの、あまり食べようとはしませんでした。

「口に合わなかった?」

「いや……そういうわけじゃない。ただ、食欲がなくてな」

そう言って、健一さんは早々に食卓を離れてしまいました。深夜、物音でふと目を覚ました雄介さんは、階下から光が漏れていることに気づきます。そっと階段を降りてリビングを覗くと、暗闇の中、仏壇の前に座る父の小さな背中がありました。その肩は小刻みに震え、嗚咽を漏らす声が聞こえてきます。

「すまない……すまない……」

謝り続ける父の姿に、雄介さんはなかなか声をかけることができません。しばらくして声をかけると、健一さんは絞り出すように「もう、俺に構うな……1人にしてくれ」とひと言。雄介さん、それ以上話しかけることはできませんでした。

その後も大して親子の会話は行われず、あっという間に雄介さんが帰る前の晩の日。健一さんはぽつりと胸の内を語り始めました。

「結婚してからずっと、面倒なことは母さんに押しつけてきた。これからは母さんの好きなことをたくさんするはずだったのに、急に逝ってしまうから……母さん、心残りで天国なんて行けないと思うんだ」

深すぎる後悔――何もする気になれず、最近は、近所との交流は一切なく、誰とも話すことなく1週間が過ぎることもあるといいます。

内閣府令和6年度 高齢者の経済生活に関する調査』によると、「生きがいを感じている」と回答した高齢者の割合は、パートナーがいる場合は18.0%。一方、死別を経験している場合は28.2%と、10ポイント近く上昇。また「社会活動をしていない」の割合は、パートナーがいる場合は30.5%に対して、死別を経験している場合は54.6%と、大幅に増えています。パートナーとの生涯の別れが、どれほど大きな影響を与えるか一目瞭然。パートナーとの死別を機に「孤独・孤立」してしまうケースは珍しくありません。

高齢化の加速とともに、配偶者と死別して1人になる、いわゆる没イチの高齢者は急増するといわれています。なかにはパートナーを亡くした悲しみから立ち直ることができず、心身に不調をきたすケースも。そのようなことに直面したら、子どもとして何ができるのか、何をすべきかは一人ひとり異なるでしょう。ただ「孤独・孤立させない」ということは、すべての親子に共通することです。

[参考資料]

厚生労働省『患者調査』

内閣府令和6年度 高齢者の経済生活に関する調査』

(※写真はイメージです/PIXTA)