
福田ますみによるルポルタージュ「でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相」を映画化した『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』(公開中)。約20年前、日本で初めて教師による児童へのいじめが認定された体罰事件に踏み込み、凄惨な暴力描写、法廷で食い違う被告と原告との主張、苛烈なマスコミ報道とそれに熱狂する社会の姿が映しだされる。劇中で描かれる学校、教育、教師と生徒との関係性に対して、現役の教師や保護者たちはなにを感じたのか?本作をひと足早く鑑賞した、実際に教育現場で働く教員や保護者たちからは、「ひと言で表すならとても怖かった」(教員/30代・女性)や「つらくなるほどリアル」(教員/30代・男性)といった感想が寄せられている。登場人物たちと立場が近しいからこそ、当事者的な目線で語られたコメントを紹介し、本作に渦巻く人間の怖さ、かすかに灯る一縷の希望にも迫っていく。
【写真を見る】彼は本当に殺人教師なのか…?綾野剛が演じ分けた主人公がすさまじい
■「目を背けたくなるような感覚」…情報社会だからこそ、自分事として観るべき作品
2003年、小学校教諭の薮下誠一(綾野剛)は、担当児童である氷室拓翔の母、律子(柴咲コウ)からいきすぎた体罰を行ったとして告発される。学校側の謝罪によって一時は収められるが、事件を聞きつけた週刊誌記者、鳴海三千彦(亀梨和也)の実名報道によって、瞬く間に日本中の知るところとなり、“殺人教師”のレッテルを貼られた薮下はマスコミの標的となってしまう。激しい誹謗中傷にさらされる彼に対し、さらに追い打ちをかけるように律子は550人もの大弁護団と共に民事訴訟を起こす。そして法廷に立つことになった薮下から語られたのは「すべては事実無根の“でっちあげ”です」という完全否認の言葉だった。
「クローズZERO」シリーズ、『怪物の木こり』(21)などの三池崇史が監督を務め、事件に翻弄され、熱狂していく人々や社会の根深い闇をもあぶりだしていく本作。名匠・三池監督の手腕が光り、“社会派”としてだけではなく、観る者をスクリーンの中に引きずり込む吸引力がすさまじい、エンタテインメント作品としての見ごたえも満載だ。
「事件を知らなかったため、なにが真実なのか、薮下先生はどうなるのかなど、展開が読めず最初から最後までおもしろかったです」(教員/30代・女性)
「目にした情報を鵜呑みにしてしまいがちな現代人の自分にとって、目を背けたくなるような感覚」(保護者/30代・女性)
「誰もがその時々の情報を信じ、己の正義に従って行動を起こしているが、その正義が正しいものにも、誤ったものにもなり得ることを感じさせられた」(保護者/30代・男性)
鑑賞後すぐの率直な感想として、鑑賞者たちからは上記のようなコメントが挙がっている。事件にまつわる出来事が詳細に描かれ、当事者の置かれた状況、その時の心情も手に取るように伝わってくることからも、他人事としては受け止められなかったようだ。
■「悲しみと自戒が混ざった気持ちを覚えた」…共感と警戒、律子の行動に保護者たちはどう感じた?
薮下と律子、両者が語る言葉によって同じ出来事がまったく違うものとして見えてくる。例えば、劇中において両者が初めて対面する家庭訪問のシーンでは、互いに相手を横柄で偏執的な価値観を持った人物という印象を抱いている。それぞれの視点でその際のやり取りが描かれることによって、観ている側もどちらが正しいのか?と混乱させられる。
教師と保護者、それぞれの立場でも本作から受ける印象は異なってくるはずであり、まずは「もし自分の子どもが教師から体罰を受けていたら?」という保護者視点での感想を紹介したい。
「学校という教師と子どもの圧倒的力関係がある環境に対して、不安や不満を感じることはどの親でもあると思います。我が子を想い、期待するばかりに、心配して想いが先走ることにも共感しました」(保護者/30代・女性)
「子を守りたい。その一心でできることをすべてしようという親の気持ちにはとても共感できる。ただ、過度な期待や決めつけをすることで、守りたい子どもをいつの間にか追い込んでしまっている可能性もあり、悲しみと自戒が混ざった気持ちを覚えた」(保護者/30代・男性)
「学校での子どもの状態を知ることができないので、ひとたび疑心暗鬼に陥ると学校や教師に不信感を覚えがち」(保護者/40代・男性)
大切な子どもを預けている身としては、学校での安全性が保たれているかは最優先事項であり、ましてや教師からの体罰は許せることではない。一方で、過干渉になることで子どもの自立心を妨げていないか、精神的な負担になっていないかなど複雑な心境にもなったようだ。
■「“よい先生”に教員自体が追い込まれている」…教師が感じる生徒、保護者との向き合い方と学校の対応
律子の告発を受け、学校側は即座に薮下による過度の体罰を認め、保護者たちを集めて謝罪会見を行う。言い分も聞いてもらえないまま校長らに謝罪を強要され、教育委員会からは停職を命じられる薮下。しかし結局、事件は世間の知るところとなり、民事訴訟にまで発展してしまう。こうした姿を見て、「明日は我が身…という感覚があるから怖かった」(教員/40代・女性)という声も。教壇に立ち、普段から保護者にも対応している教師側には「自分が当事者だったら?」という視点で答えてもらった。
「担任と保護者は対等ではないということ、子どもと本気で向き合い、その過程で時に厳しさも必要になるということの2点に共感しました。子どもにとっての“よい先生”というのは人によって感じ方が異なります。子どもと向き合い、一人一人の個性を尊重するよい先生というのは、現代社会においては限界があり、それによって教員自体が追い込まれる要因になっていると考えています」(教員/20代・男性)
「校長と教頭が学校の責任者(監督者)として児童、保護者と教職員の間に立つべきところ、片方に肩入れするのは職務を果たしているとは言えません。そのような人が上の立場にいる環境では、教職員はもちろん児童、保護者も安心安全な学校生活を送れないと感じました」(教員/30代・女性)
社会の変革に伴い、教師の生徒との向き合い方もより複雑なものになっている。わずかなボタンの掛け違いで問題にも発展しかねないなか、常に細心の注意が払われていることも伝わってくる。一方で、すぐに薮下を断罪した校長、教頭の対応には大きな疑問、不信感を覚えずにはいられなかったようだ。
■「まったくの別人に見えた」…互いの視点によって印象が変わる綾野剛と柴咲コウ
本作の緊迫したリアリティはクセの強い登場人物たちを演じたキャストたちの存在感からも生みだされている。薮下を演じる綾野は、律子によって語られる殺人教師としての冷酷な顔と、日本中から敵意を向けられ心身共に摩耗していく姿を体現。律子役の柴咲もまた、我が子をなんとしても守ろうとする献身的な母親、淡々と薮下を追い詰めていく冷たい糾弾者という二面性を見事に演じ分けている。さらに、薮下を実名で報道する記者、鳴海三千彦役に『怪物の木こり』での怪演も記憶に新しい亀梨和也が扮するほか、木村文乃、光石研、北村一輝、小林薫、小澤征悦、高嶋政宏といった実力派キャストが集結した。そんなキャスト陣に寄せられたコメントも紹介したい。
薮下を演じる綾野には、「薮下先生に感情移入した」(教員/20代・男性)や「場面によってまったくの別人に見えて、演技に引き込まれました」(教員/30代・女性)、「演じ分けに圧倒されました!」(保護者/40代・女性)といったコメントが。 薮下は物語前半と中盤以降にかけて印象がガラッと変わる人物であり、その演じ分けが強く印象に残っているようだ。
同じく律子を演じる柴咲もシーンによって見え方が変わり、その振り幅には驚かされる。「不気味でなにを考えているのかわからない演技が作品を際立たせていた」(教員/20代・女性)、「感情の見えない演技(虚ろな目、しゃべる時に表情筋がほぼ動かず口だけ動いているなど)が、律子の不気味さ、読めなさを絶妙に表現していると感じた」(教員/30代・女性)、「柴咲さんの愛する息子のために必死になる姿が狂信的で怖かった」(保護者/40代・女性)など、薮下を告発する際の冷たい表情、じわじわと追い込んでいく姿に戦慄したという感想が相次いでいる。
薮下の担当弁護士、湯上谷年雄を演じた小林には、「弁護士の湯上谷さんが学校生活における“先生”のようでとても心に残りました」(教員/20代・男性)、「薮下先生を優しくサポートし、時には叱りながら一緒に走り抜ける弁護士役が非常にうまくはまっていた」(保護者/30代・男性)といった言葉が寄せられ、その人間味あるキャラクターが安らぎになっていたようだ。
このほか、週刊誌記者の鳴海役の亀梨に「いや~な記者感が出ていて印象に残りました」(保護者/40代・女性)、校長役の光石、教頭役の大倉孝二にも「コンビでことなかれに持っていこうとする演技がよかった」(保護者/40代・男性)という意見が。いわゆるヒール的な役割をこなした彼らの存在感も際立っていた。
■「正しい情報を得ることの難しさに気づかされる」…思い込みに囚われず、多面的に考えることが大切
殺人教師と呼ばれ、尊厳までも奪われた薮下の運命は?そして、体罰は本当にあったのか?どこか影を帯びる律子にも秘密があることがしだいに明かされ、事件と裁判の行方から一瞬たりとも目が離せない。また、劇中での出来事は誰の身にも起こりうることであり、特に報道の向き合い方については、大量のニュースが次々と舞い込んでくる現代においても学ぶべきどころは多い。本作を観ることで得られた“気づき”についても教えてもらった。
「“人は主観から逃れられない”ということを改めて気づかされました。起こった出来事に対して、自分が見たこと、感じたことこそ正しい(真実)と認識してしまいがちです」(教員/30代・女性)
「正義感を煽る“見出し”に釣られた人間は、十分な根拠もなく信じ、自分に直接的な被害がないにもかかわらず流れに乗って攻撃してしまうことがある。正しい情報を得ることの難しさ、自分のなかで形成されたバイアスを取り除くことの難しさにも気づかされた」(保護者/30代・男性)
「生徒だけでなくそれぞれの家庭とも向き合わなくてはならない先生という職業の大変さ、報道の在り方、教育委員会という融通の利かない組織など、現在社会が抱える問題が浮き彫りになっていてすごく考えさせられる」(保護者/40代・女性)
最後に、『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』をこれから鑑賞する人に向けてどんなところに注目してほしいか?という質問には、「自分を理解してくれる人を大切にすべきですが、自分で自分自身を信じてあげることも大切だと思います」(教員/20代・男性)や「完全に他人事にはできない。いろいろ直視したくないけど一度は観るべき」(保護者/30代・女性)、「観終わったら、様々なものの見方や考え方ができるようになるかもしれません。教師はとてもすてきな職業だ、ということを忘れずにいたい」(教員/30代・女性)といったコメントが見られた。思い込みで物事がどんどん進んでいく恐ろしさ、時には自身の信念に基づいて立ち向かうことの大切さも教えてくれる。
構成・文/平尾嘉浩
※高嶋政宏の「高」は「はしご高」が正式表記

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