
●全国唯一の3系列ネット局「喜びは3倍、苦労も3倍」
5月下旬、マイナビニュースが報じたテレビ宮崎(UMK)の役員人事に、大きな反響が集まった。長年にわたり夕方ニュースや報道・情報番組でキャスターやメインMCを務めるなど“UMKの顔”として活躍してきた榎木田朱美アナウンサーが、新社長に就任することになったのだ。女性アナウンサー出身の民放テレビ局社長は初の事例と見られ、期待の声が宮崎県内外から寄せられている。
フジテレビ系列、日本テレビ系列、テレビ朝日系列という3つの系列に所属する全国唯一のテレビ局であるUMKを、「喜びは3倍、苦労も3倍」と表現する榎木田氏。ローカル局をめぐる環境が厳しさを増す中で、どのような舵取りを行っていこうとしているのか――。
○注目番組の非ネットに苦情、報道対応に感謝と協力
3つの系列のクロスネット局であるため、平日朝に『めざましテレビ』(フジ系)、日曜夜に『ザ!鉄腕!DASH!!』『世界の果てまでイッテQ!』(日テレ系)、火曜22時台に『相棒』『特捜9』(テレ朝系)といった長寿刑事ドラマシリーズなど、在京各局の人気番組がタイムテーブルにひしめき合い、「喜びは3倍」というUMK。
その中でも、月~土曜夕方に情報番組、火曜19時台にバラエティ番組『火曜ゴールデン よかばん!!』を編成するなど、自社制作比率は13%に達し、「エリアの皆さんに宮崎の情報をニッチな部分も含めてお届けするのが強みだと思っています」と胸を張る。
一方で、「苦労も3倍」というのは、人気番組や注目のコンテンツを同時ネットできないケースが出てくること。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)や、FIFAワールドカップの日本代表戦を中継できなかった際は、「お叱りの電話を当時局長の私も含めみんなで対応して、ちょっと心が折れそうになりました」というが、「“UMKを応援してるから言うんだからね!”ともおっしゃっていただけるので、それはありがたい言葉でした」と受け止めた。
また、台風や地震などの災害時にはキー3局から取材の応援人員が駆けつけるくれるため、「発信力が3倍」に。それをさらに強固にすべく、「宮崎は南海トラフが目の前にあるので、報道だけでなく、技術、制作、アナウンサーもみんなチームで月に1~2回のペースで訓練を重ねています」という。今年1月の日向灘地震(最大震度5弱)の際は、祝日夜という手薄な時間にもかかわらず、発生から18分で放送にカットイン対応したことで、キー局から評価された。
こうした報道対応には、宮崎の視聴者から感謝の電話が寄せられるのだそう。
「宮崎は縦に長い県なのですが、各地から中継を回すと、被災された方から“自分の地域から情報を出してもらってありがたい”とお礼の電話を頂いたり、“家が浸水したので、動画を送ります”と提供してくれたり、本当に視聴者の皆さんとテレビ局の距離が近いんです。先日も新燃岳が噴火しまして、その時も“灰が降ってきたので動画送ります”と県民の皆さんが通信員のように情報を提供してくださったので、翌日の社長としての所信表明では、その事例を挙げて“ファーストタッチで選ばれる局になりましょう”とメッセージを伝えました」
●「直接皆さんのところへ」初の大規模イベントが成功
メディアの多様化や、少子高齢化に伴う地方経済の衰退に伴い、ローカル局を取り巻く環境は厳しさを増している。UMKの場合は、一連のフジテレビ問題による広告出稿の減少でも「大きな影響を受けました」という。
また総務省では、マスター設備(番組送出設備)を同エリアの局で集約化する将来像を示しているが、UMKは3系列クロスネットの独自仕様で、そこに簡単に乗ることができないことから、「これから3系列の皆さんとどうやって共に歩んでいけるのか、設備投資の部分も含めてしっかり考えていかなければいけません」と、特有の課題を抱えている。
そうした状況において活路として考えるのは、「地域と共創できるテレビ局」であること。「エリアにとって有益な企業でなければ、どの業界でもそうですがやはり選ばれないと思います。これから淘汰されていく時代の中で、しっかりと選ばれる企業になりたいと思います」と意欲を示す。
従来は番組で地域の情報を発信することに注力してきたが、「商品を持って直接皆さんのところにお伺いして届けに行く」という意識に転換。そこで2023年に立ち上げたのが、コロナ禍で様々な体験ができなかった10代をメインターゲットにした、UMKとしても初めての大規模なイベント「OMOFES」(オモフェス)だ。
宮崎市中心部の各所で音楽ライブ、ダンス、ファッションショー、クイズ選手権など、様々な企画を展開するもので、スポンサーをはじめ、行政とも連携して街を、若者を盛り上げるイベントとして取り組み、第1回はメインMCにチョコレートプラネットを迎えて成功。昨年行われた2回目は、県内外から18,000人もの来場者数を記録した。
○地域のコミュニケーションスペースに「スナックカウンター」
このイベントをきっかけに今年4月、地域のコミュニケーションスペース「&Labo by UMK」を、宮崎駅から続く大通り沿いの複合商業施設にオープン。「配信設備を整えて、番組にひも付けてもいいですし、地域のイベントでもセミナーでもいいですし、皆さんとの化学反応で新しいことをどんどんやろうと思っています。今一番顕著な動きとしては、宮崎大学さんの授業に私たちが出向いたり、学生さんが&Laboに来て地域の課題解決を学んでもらったりといういろんなコラボをさせていただいています」と動き出している。
&Laboには、お酒が並んだスナックカウンターを併設。日本有数のスナック県として知られる宮崎において、スナックはコミュニケーションを象徴する場であるだけに、「絶対に作りたいと思いました(笑)」という熱の入りようだ。
ちなみに榎木田氏は、自社制作ドラマ『ひまわりっ~宮崎レジェンド~』で自身が演じたスナックのママ「あけみママ」が独り歩きし、冠番組が放送されたこともあるが、このキャラクターは&Laboのスナックカウンターにも「時々現れますよ。皆さん、油断しないでくださいね(笑)」と予告している。
●50周年プロジェクトのレガシーが次々に
「OMOFES」は榎木田氏が統括となり、部署の垣根を越えた若手社員を中心に実行委員会を組織。「横軸がしっかりつながると積極的な社員がたくさん出てきて、そこに結果が出るとみんながグンと成長してくれるのをすごく感じたので、本当に統括冥利に尽きます」と手応えを感じたが、これは自身が総合プロデューサーを務めた開局50周年プロジェクトの経験が生きたという。
「50周年の時は、社の中において横軸で取り組んでいくというのが、その世代にとって初めてのことだったので、なかなか慣れない部分がありました。その時のレガシーで『OMOFES』ができて、『&Labo』が生まれて、その発起になぜかいつも私がいさせていただいたので、改革の象徴として社長という大役をお任せいただいたのかなと思っています」
そうした期待を背負っていることから、「改革の足を止めることは、してはいけない」としつつも、「所信表明でお話ししたのは、今の業務のタスクをしっかり棚卸しすることも大事な作業だということ。新たな人材確保は会社の役割ですが、荷物を吟味するのは皆さんにお願いするので、その両軸で新しい挑戦に進んでいければ」と意識を共有した。
社内のオフィスは、管理系から報道フロアまで“大部屋”でコミュニケーションが取りやすい環境だが、社長室は別の階にあるため、「とにかく慣れないですし、人の声が聞こえないと不安になります」という状況。そこで、「せっかく広い社長室を用意いただいたので、これを有効に使わない手はないと思いまして、若い社員もここでミーティングや意見交換ができるような形でみんなが遊びに来やすいように、ちょっと女子的な色味も入れながらイメチェンしています(笑)」とリニューアルを進めている。
○60周年へ全国発信に意欲「コンテンツ戦略しか生き残る道はない」
開局50周年で初めて自社制作したドラマ『ひまわりっ』は宮崎で高視聴率を記録したほか、「東京ドラマアウォード2020」のローカル・ドラマ賞を受賞するなど高く評価された。この経験を踏まえ、次の60周年(2030年)に向けて、「また全国に発信できる何かが作れればいいなと思っています。様々なプラットフォームの中で目立って、拾っていただけるようなコンテンツを作っていきたいです」と意欲。「我々には、コンテンツ戦略しか生き残る道はないと思いますが、同じものを作ってもきっとダメで、次に向けて自分たちが進化するものを探し求めていく旅が、ずっと続くのかなと思っています」と前を見据える。
テレビ局が厳しい時代を迎える中で、「これからを生きていく20代、30代、そして40代の皆さんのために我々がやらなければいけないのは、覚悟を持ってレールを敷いてあげることだと思うんです。もちろんそのレールを使わず、新しいレールを作ってもらって全然構わないのですが、みんなが走る場を提供していくのが、今を生きる我々の役割だと思っています」と力強く語った。
UMKが開局した年に宮崎に生まれ、宮崎大学を卒業して入社した榎木田氏。小学生の時にアナウンサーになりたいと志望したが、アナウンススクールに通う余裕がなかったため、NHKのニュースを録画し、森田美由紀キャスターの読んだ原稿を書き起こし、映像に合わせて自分で読むという独学のトレーニングを、高校から大学まで7年間続け、その努力が実って地元局で念願のアナウンサーになった。
この経験を、「始めたらとことんやり通すことは、将来の自分を必ず助けてくれます。それと、自分がやりたいことは言葉にすると言霊が生まれるから、必ず伝わります」と講演などで発信しているそうで、「長年“伝える”という仕事をやってきましたが、これからはUMKが発信するメッセージをしっかり伝えていきたいと思います」と、アナウンサーとしての原点を社長業でも発揮していきたい考えだ。
●榎木田朱美1970年生まれ、宮崎県出身。宮崎大学教育学部卒業後、92年テレビ宮崎にアナウンサーとして入社。18年にアナウンス部長兼50周年事業・コンテンツ開発準備室部長となり、開局50周年プロジェクトの総合プロデューサーを務める。その後、編成業務局長、メディア推進局長、取締役報道制作局長、取締役コンテンツプロデュース局長を歴任し、25年6月に社長に就任した。
(中島優)

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