年金だけで暮らす高齢者が増えるなか、「老後破綻」はもはや特別な話ではありません。見えづらいのは、お金に困っていることを周囲に言えず、ひとりで抱え込むケースが多いという現実。体面やプライド、家族への遠慮が「助けて」の一言を遠ざけてしまうのです。

元教師のプライド…月20万円の年金でも足りない生活

鈴木良子さん(72歳・仮名)は、手元に残った数枚の千円札を眺めながら、か細い声で呟きます。通帳の残高は、あと3万円ほど。来月の年金支給日まで、まだ2週間以上あります。

良子さんは、40年近く小学校の教壇に立ち、多くの教え子を社会に送り出してきました。定年後は、公務員だった夫と共に、退職金と年金で穏やかな老後を送るはずでした。しかし、10年前に最愛の夫に先立たれてから、彼女の人生の歯車は静かに狂い始めたのです。

夫を亡くした大きな喪失感と、ぽっかりと空いた心の隙間。それを埋めるかのように、良子さんはある誘惑に手を伸ばしてしまいました。それは、若いころにほんの少しだけ足を踏み入れ、教員という立場から「自分には縁のない世界だ」と固く封印してきたはずの、ギャンブルでした。

最初はほんの出来心でした。しかし、大当たりした時の興奮が、灰色の日常に一瞬の彩りを与えてくれたのです。海外でカジノに興じることも。ただ自身で歯止めがきくのであれば、趣味としてギャンブルを楽しむことができたでしょう。ところが、熱中するあまり負けが膨らみ、退職金に手をつけるようになっていました。さらにはそのお金も尽き、良子さんはついに消費者金融のドアを叩いてしまったのです。

現在、良子さんの収入は、自身の厚生年金と遺族年金を合わせた月々約20万円。一見すれば、十分に暮らしていける金額に思えるかもしれません。しかし、その収入の大半は、過去の過ちの代償──ギャンブルで作った借金の返済へと消えていくのです。気づけば借金は数百万円に膨れ上がり、月々の返済だけで10万円以上が口座から引き落とされます。

毎月、生活費で手元にはほとんど残りません。物価の上昇も相まって、暮らしは破綻寸前でした。

「先生、先生」と慕われ、常に人の上に立つ立場だった良子さん。「教え子が知ったらどう思うだろう」という思いから、誰にも頼れない状況へと追い込んでいました。遠方で家庭を持つ一人息子には、「心配ないから」といつも気丈に振る舞っています。

「あの子にはあの子の生活がある。迷惑はかけられない」

「助けて」が言えない…自責の念と社会からの孤立

ある日の午後、良子さんはスーパーの鮮魚コーナーで立ち尽くしていました。特売の鮭が一切れ250円。以前なら迷わずカゴに入れていたその値段が、今はひどく高く感じられます。

「今日はやめておこう……」

そう心に決め、何も買わずにスーパーを後にしました。その瞬間、ふと自分の姿が惨めに思え、涙がこみ上げてきました。教え子たちの前では、常に凛としていた自分が、今や数百円の買い物に一喜一憂している。すべては自分の愚かな行いが招いたこと。自業自得だという思いが、胸を締め付けます。この現実を、誰が想像できたでしょうか。

日本弁護士会『2020年破産事件及び個人再生事件記録調査』によると、自己破産に至った理由として「生活苦・低所得」が最も多く61.69%。「病気・医療費」(23.31%)、「負債の返済(保証以外)」(20.48%)、「失業・転職」(17.58%)と続き、「ギャンブル」は7.18%と、それほど多くを占めてはいません。

一方で厚生労働省研究班の調べによると、ギャンブル依存症は全国で約320万人いるといわれています。また、厚生労働省令和5年度 ギャンブル障害およびギャンブル関連問題の実態調査』によると、過去1年間で最もお金を使ったギャンブルとしては「パチンコ」が最も多く46.5%。「パチスロ」(23.3%)、「競馬」9.3%と続きます。

「生活が苦しい。でも自業自得。とても息子には助けてなんていえない」

ギャンブル依存症はギャンブルをコントロールできなくなる精神疾患です。しかし、理解が進んでいないため、発覚しにくいといわれています。良子さんが依存症なのかどうかはわかりませんが、元教師としてのプライド、息子を思う親心、「世間体が悪い」「自業自得だから」などさまざまな思いが、良子さんの口を重く閉ざさせていました。

公的な相談機関を利用したギャンブル等依存の問題を抱えている本人およびその家族が、ギャンブル問題に気が付いてから初めて病院や相談機関を利用するまでの期間は、それぞれ平均2.9年、3.5年と、ずいぶんと時間を要します。

「ギャンブルが原因なら、自己責任だ」と切り捨てるのは簡単かもしれません。しかし、その一言が、助けを求める最後の声を封じ込め、人を社会からさらに孤立させてしまう原因にもなりえるのです。

[参考資料]

日本弁護士会『2020 年破産事件及び個人再生事件記録調査』による

厚生労働省令和5年度 ギャンブル障害及びギャンブル関連問題実態調査』

(※写真はイメージです/PIXTA)