
この記事をまとめると
■1980年代から1990年代にかけて日本ではスペシャルティカーが一世を風靡した
■スペシャルティカーにきっちりとした定義はなくイメージ的な呼び方だった
■ホンダ・プレリュードの復活でスペシャルティカーに再び脚光が当たるかもしれない
スペシャルティカーって基本的にどういう定義?
2025年、いよいよ1980年代のデートカー、スペシャルティカーを代表する1台、ホンダ・プレリュードが復活する。そこで、ここではかつて一世を風靡したスペシャルティカーとはどんなクルマだったのかを紐解きたい。
そもそも国産車初の”スペシャルティカー”と呼ばれていたのが、1970年に登場した初代トヨタ・セリカだった。まだ免許年齢に遠く及ばない若者の筆者も、その姿に熱狂し、買いもしないのにディーラーでカタログをもらったものだった。
セリカがスペシャルティカーと呼ばれたのは、そのハッチバックモデルであり、カリーナのプラットフォームを用いた1台だった。流麗なスタイリッシュさもさることながら、アメリカで大ヒットしたフォード・マスタングに倣い、エンジン、ミッション、インテリアを自由に選べる「フルチョイスシステム」を採用したところが、スペシャルだったのである。
スポーツカー、スポーティカーと違うのは、そのあたりにあったと思われ、きっちりとした定義はなく、ある意味、イメージ的な呼び方だったはずだ。スポーツカーほどの性能はもっていないものの、そこそこスポーティにも走れる、スタイリッシュな多くは2ドアクーペだったのである。
その後も、いわゆるスペシャルティカーは国内でも人気を博し、日産シルビア、ホンダ・プレリュード、トヨタ・ソアラ、そしてスバルSVX、マツダ・ユーノスコスモなどが続々と登場している。
2代目プレリュードのデビューでデートカーブーム到来
そんなスペシャルティカーが一気に注目されたのは、女子大生ウケのデートカーと呼ばれるジャンルが勝手に独り歩きしたことだろう。
その代表格の1台が、「FFスーパーボルテージ」なるキャッチコピーとともに1982年に登場した2ドアクーペの2代目ホンダ・プレリュード(~1987年)であり、全高1295mmの低いプロポーション、回転式リトラクタブルヘッドライト、1アームワイパー、ガラスプリントアンテナなど、デザイン的にもスペシャルだったのだ。
が、何といってもデートカーとしてホットドッグ世代の男子にウケたのが、助手席リクライニングレバーが助手席の右横、つまり運転席側にもなぜか付いていて、デート中、ドライバーの男子が、助手席に乗っている女子のシートを停車中、”いきなり”倒すことができたこと。ホンダがそうした意図をもって開発したかは不明だが、その機能がプレリュードのデートカーとしての話題をかっさらったことは間違いない事実。なにしろ若き筆者は、当時の男の子のバイブル誌、デートマニュアル誌だった講談社「ホットドッグプレス」の自動車記事担当であり、そうした使い方を実践(!?)しつつ、誌面で大いに盛り上げたものだった。
補足すれば、そうしたプレリュードは、女子にも大人気だった。プレリュードに乗っていれば女子にモテる……そんな神話を作り上げたのも、1980年代のデートカー、スペシャルティカーのパイオニア、2代目ホンダ・プレリュードだったのである。
とはいえ、バブル崩壊後、とくに定義のないスペシャルティカーというジャンルは消滅したに等しい。むしろ2ドアクーペモデルは日産シルビアが示したように、走りを純粋に楽しむスポーティカーとしての資質が重視され、走り屋のためのクルマに移行しつつあったからだ。
あくまで私見だが、2ドアクーペでそこそこの性能をもちつつ、内装がオシャレで、女子ウケし、デートカーとして成立するクルマが、当時、スペシャルティカーと呼ぶにふさわしいクルマだったようにも思える。
が、新型プレリュードの登場で、1980年代のスペシャルティカー、デートカーを知る、いまではオヤジ、若き心を捨てないジジィの世代を含め、車名の懐かしさもあり、定義はともかく、スペシャルティカーの復権の狼煙を上げることは間違いないところ。もちろん、いまの若者も、価格はともかくとして、ジャパンモビリティショー2023のホンダブースでコンセプトカーが世界初披露された、e:HEV、ホンダS+シフトというプレリュードとしての機能を満載した電動2+2のスポーティカーの登場に、スペシャルティカーのイメージを重ね合わせ、羨望のまなざしをもって熱狂するに違いない。
いずれにしても、新型プレリュードは現代の、もはや死語ともいえるかも知れない、女子ウケ必至の”デートカー”としても一流の存在になるはずだからだ。

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