
時代とともに、さまざまなことが変化していきます。会社員としての立場もその一つ。今は自分の部下であっても、将来的にはその人が上司になる可能性もあるのです。そうした変化をきちんと理解できず「昭和スタイル」の接し方を続けていると、思わぬ事態を招くことも。詳しく見ていきましょう。
「ザ・体育会系」…営業本部長を務めたAさん
Aさん(仮名・当時59歳)は、都内に勤める会社員。年収は1,000万円、妻はパート勤務、長男はすでに独立し、大学生の娘は海外留学中という家族構成です。
Aさんは大手企業の営業マンとしてキャリアを積み、長く売上トップクラスを維持してきた「できる男」。学生時代はアメリカンフットボール部に所属していた根っからの体育会系。上司には礼儀正しく、部下には厳しく接するのが当たり前という価値観を持っていました。
営業本部長として、部下が成果を出さなければ厳しく理由を問い詰め、ときには社員が揃う中で怒鳴ることも。Aさんにとってそれは当たり前。自身もそうした環境で鍛えられてきたからです。
しかし時代は変わり、会社もハラスメント防止の観点から「威圧的な指導」を問題視するように。講習会なども実施されるようになりました。Aさんも多少は態度を改めましたが、部下からの質問に対して威圧的で、つい偉そうな口調になる癖は抜けず、どこか「俺は仕事ができるんだから」の空気をまとったままでした。
50代後半になると、Aさんは役職定年を迎えました。年収はピーク時の1,500万円からダウンし1,000万円に。60歳以降はさらに収入が下がることもわかっていましたが、「この会社で65歳までは仕事を続けよう」そう思っていたといいます。
ところが、60歳を目前にして、驚くべきことを言い渡されたのです。
あと5年働きたかったのに…まさかの通達に愕然
それは、営業とは無縁の「閑職」への異動。長年の経験を活かす場もなく、誰が見ても「社内左遷」とわかる人事でした。
驚いたAさんは、怒りの口調で人事に理由を問いましたが、「キャリアや部署のバランスを考慮した結果」との曖昧な説明しか返ってきません。しかし後日、かつての上司であり今は別会社に再就職している先輩との飲み会で、思わぬ真実を聞かされることに。
「お前、社内の評判が悪すぎるんだよ。仕事はできる。でも若手や女性社員からは、威圧的、怖い、意地が悪いって声が多くてな……。これまで何度か態度をなんとかしろって言っただろ? 時代が変われば、部下が上司になる。お前は上から見ると悪いやつじゃない。でも下から見れば、絶対に残したくない人材だったってことだよ」
Aさんは言葉を失いました。自分の態度をきちんと客観視できていなかったのです。
「仕事ができれば、それでいい」 「これが自分のスタイルだから」
そんな言い訳に逃げ続けた結果でした。しかし、この状況にあってもプライドを捨てきれず、「あんな部門で働くくらいなら」とAさんは継続雇用を断念。60歳で静かに会社を去ることに。
その後、再就職先を探すも年齢や人脈の壁は厚く、なかなか決まらず。退職金は3,000万円、それ以外の貯金が1,400万円と金銭的な不安はないものの、生きがいもなく毎日ただ家にいて、テレビを眺めるだけ。妻は、それを避けるようにパートを週5日に増やしました。
「こんなはずじゃなかった……」
この結果は自業自得。そう反省しても、時は戻りません。
時代の変化に対応できない人の末路
Aさんのケースは、決して他人事ではありません。変化の激しい時代において、「昔はこうだった」「これが俺のやり方だ」と過去にすがりつく人は、組織の中で居場所を失っていきます。
特に「年が上だから・経験豊富だから許される」という昭和的な価値観は、もはや通用しません。年齢に関係なくチームで円滑にやっていけるか。上下関係だけに頼らず相手を尊重できるか。そうした視点が今や当たり前の評価軸となっています。
実際、継続雇用や再雇用の場面では、「年齢に見合った賢さ」が求められます。年を重ねたからこそ、聞く姿勢を持つ、若手を立てる……。そうした振る舞いが、もう少し一緒に働きたいという信頼につながるのです。
また、忘れてはならないのが「いつか部下が上司になる」という現実。少子高齢化で若い世代が貴重になっている今、部下の意見が重視される場面も増えています。年下の上司を立てられない人、関係を築けない人は、それだけで戦力外と見なされてしまうことも。
人間関係の柔軟性は、シニア世代にとって最大の武器になります。環境の変化に気づき、立ち位置をわきまえ、空気を読みながら動く力。それができるかどうかが、60代以降に必要とされるかを決める分かれ道になるのです。

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