【元記事をASCII.jpで読む】

 SHIFTは、2025年5月17日、アジャイルカンファレンスである「Agile Japan」のサテライトイベントとして、「SHIFT Agile FES」を初開催した。

 本記事では、MicrosoftやGoogleなど、外資系IT企業3社でソフトウェアエンジニアやマネージャーとしてキャリアを重ねてきたTably 代表取締役 及川卓也氏によるキーノート「生成AI時代における人間の情熱とプロダクト志向」をレポートする。

 語られたのは、AI協働時代のソフトウェア開発の未来、価値創造に必要となる要素、そして“情熱駆動開発”の重要性だ。

歴史を振り返れば、自然言語での開発は「必然的帰結」

 及川氏は冒頭、会場に集まったエンジニアに対し、「いま開発しているプロダクトが、誰をどんな状態にするか説明できますか?」と問いかけた。さらに、「急速に進化するAIを、どう取り入れるか考えられていますか?」と続ける。この2つが、今回のキーノートのメインテーマである。

 過去わずか数年のうちに、ソフトウェア開発では「AIによるコーディングアシスタント」が不可欠な存在となった。この変化について、及川氏は「懺悔」する。2019年に執筆した書籍「ソフトウェアファースト」の中で、AIでエンジニアが不要となる時代を「いまだに来ていないし、今後も来ない」と断言していたからだ。

 生成AIは、人の指示に従い、単純作業を自動化する「副操縦士(Co-pilot)」の位置付けからスタートし、今では問題解決や提案までを担う対等な「パートナー」へと進化している。

 及川氏の会社でも、最初はGitHub Copilotを使い、少し前にはCursorやClineを、今ではDevinを活用している。特に、完全自律型のエージェントであるDevinは、「(これまでのコーディングアシスタントと)全然違ってびっくりした。Slack経由で、同僚や業務委託のエンジニアと同じように、コード修正やプルリク作成を依頼できる」と評価する。

 一方、副操縦士であれパートナーであれ、自然言語でのプログラミングに違和感や不安を覚える人はまだまだ多い。しかし、及川氏は、こうした変化は必然的なものだと説明する。これまでのプログラミングの進化においても、次に挙げる「2つの潮流」がずっとあったからだ。

 ひとつは「抽象化の流れ」だ。コンピューターが生まれたばかりの頃、コンピューターが理解できる言葉、つまり機械語でしか指示を出せなかった。その後、機械語を人が読みやすく表現する言語が生まれ、自然言語に近い形で記述できる現代の高級言語へと発展した。「これはハードウェアとの距離が遠くなっていく流れであり、言い換えれば、人に近づけることが抽象化」と説明する。

 もうひとつの流れは、「ビジネス用途の最適化」である。もともとコンピューターは、計算目的でつくられた、いわば電卓が巨大化したものである。そこで生まれたのが、科学技術計算のための言語である「Fortran」であり、業務用の専門言語である「COBOL」である。

 自然言語で指示をするプログラミングは、より人の話し言葉に近くなっている点(抽象化)、より実務が楽になるという点(ビジネス用途の最適化)から、「必然的帰結」だと及川氏。ただし、「ソフトウェアはあくまでコンピューターの指示で出来上がるもので、本質はプロダクトが価値を生み出すこと」と強調する。

 開発プロセスの中でAIが担う工程が増えるにつれて、人が担うのは「要件定義」「要求定義」「ビジネス戦略」といった上流工程に集中していく。つまり、“価値創造”こそがAIが代替できない領域となる。「日本のIT業界も、もともとこの発想だった。設計・実装は子請け、孫請けの会社に任せ、一番大事な上流工程をコンサルします、と。上流工程は『人がやるべき領域』として重要になる」(及川氏)

AI時代にリスクを負うのは“中間層”のソフトウェアエンジニア

 価値創造こそが重要であり、生成AIはあくまで手段である――といっても、従来型のソフトウェアエンジニアは、「今後苦悩することになる」と及川氏は語る。AIで置き換えられる領域があることは「アイデンティティの喪失」につながるし、人の言葉をコードに翻訳するようなコーディングスキルは不要になるため、自らのスキルを「再定義」する必要に迫られていく。

 結果として、従来型のソフトウェアエンジニアは生き残り、「二極化」するというのが及川氏の予想だ。

 ひとつは、AIの限界を超える技術的課題に取り組む「高度専門エンジニア」。例えば、人の命を預かるような領域は、すべてをAIに任せられない。AIが対応できない領域を対応できるようにする人や、AIの間違いを修正できる人も必要になる。

 その一方、大半のソフトウェアエンジニアは、自然言語でプログラミングをして、上流工程に注力する「AI活用型エンジニア」に転換していく。ここでは、COBOLの登場によって事務職からプログラマーが生まれたのと同様、「非エンジニアが開発に進出する」という流れも生まれる。「ソフトウェアエンジニアの“中間層”が一番リスクを抱えている」(及川氏)

 加えて企業側も、難しい選択に迫られていく。短期的には「新卒エンジニアがいらない状態」になるが、育成に時間がかかる高度専門エンジニアの置き換えも意識しなければならない。

人の領域である「価値創出」に必要となるものは

 話は戻り、多くの企業が価値創造を目指して、アジャイル導入や生成AI活用を進めている。しかし、「手段が目的化している企業」が大部分を占めているという。

 「アジャイルを導入した企業に、何が変わりましたかと聞くと、『開発のスピードが向上した』『開発者がいきいきと働くようになった』と答える。しかし、『事業収益がどれだけ伸びたか』『顧客課題をどれだけ解決できたか』と聞くと、答えられないケースがほとんどだ」と及川氏。「厳しい言葉で言うと、『価値がないものをいかに迅速に作っても意味がない』」と指摘する。

 それでは、価値創造を目指す上で、人の役割はどこにあるのか。及川氏が例に挙げたのは、スピッツの「美しい鰭」という曲だ。この曲は、Aメロに8分の7拍子が入る変拍子の曲であり、音楽生成AIに頼んでも同じものは生まれない。「スピッツの楽曲は変拍子が少なく、過去の曲を学習させても、変拍子を含むものは生成されない。つまり、人が違和感を伴う問いを投げかけない限りは、新しいものは生まれない」(及川氏)。

 生成AIは、何かを正解とした上で、学習モデルを構築する。多くの場合、現状の社会で正解とされているものを選択する。「価値創造とは何かと問えば、その答えのひとつは、これまでと異なることに挑戦する『逸脱』」だと及川氏。

 しかし、単に逸脱するだけでは、いわゆる「変わり者」に過ぎない。創造性を発揮する人は、何かしらの“目的”を持っているという。そして、創造性の構成要素を考えると、多様なアイディアを生み出す「発散的な思考」に加えて、「形にする力(実現力)」「認めさせる力」「変化を起こす力」などが挙げられる。その中で逸脱が必要なのは、最初の「発散的な思考」のみである。

 及川氏は、創造性に一番重要なのは「価値創造への探求心」だと語る。その一例が、「フラットデザイン」だ。

 今や広く採用されるフラットデザインだが、広く認知されたきっかけはMicrosoftの「Windows 8」であり、その後にiOSでも採用された。当初はネガティブな意見が多かったが、Microsoftフラットデザインを見直し、Windowsの後継バージョンで発展させた。Appleも、次バージョンで元に戻すことはなかった。

 「MicrosoftやAppleだから実現できたことかもしれないが、“やりきる力”が表れている。言い換えれば、価値創造への執着心であり、ビジネスに結びつけていく戦略やそのための仕組みであり、仲間との共創や強いモチベーションである」(及川氏)

生成AI時代に必要なのは「情熱駆動開発」

 経営学者であるテレサ・アマビールの定義によると、創造性の構成要素には、「創造的思考」「専門知識」「内発的動機」がある。内発的動機とは、興味や好奇心、達成感など、内在的な動機を指す。「私の経験では、すべてを内発的動機に結びつけることができる。ただし、取り組んでいることに価値があるという前提が必要」と及川氏。

 及川氏が語るのは、Microsoft時代のエピソードだ。最初はWindows XPを担当していたが、その後、POS端末などに搭載される組み込みWindowsの担当に異動となり、気持ちが沈んだという。しかし、汎用OSと異なり、独自のチャレンジもある組み込みOSの世界に次第にのめり込んでいく。さまざまな端末を触り、Windowsが導入されていない店舗を家族と“偵察”することもあった。「まるで、プロダクトを作り上げたメンバーのように、やりがいを感じるようになった。これが(セッションタイトルにもある)情熱駆動開発」と及川氏。

 また、別の例として「Googleニュース」を紹介した。同サービスは、9・11米国同時多発テロの際、ニュースがすぐ検索できなかった体験から、同社の20%プロジェクトとしてスタートしている。

 さまざまな日本企業を支援する中で、及川氏は日本企業にも優秀な人材は多くいると感じるという。ただし、「『なぜ自分がそれをやるのか』、極端に言えば『なぜ、貴重な命の時間を費やしてまで取り組む価値があるか』を語れる人が少ない」と指摘する。

 そうした情熱を持つ人の比率が高いのは、イグジットまでに時間がかかればリスクが高まるスタートアップ企業だという。そのため、日本では、スタートアップから面白いサービスが出てくるケースが多くなる。「明らかにリソースが多いのに大企業が勝てない理由は、オーナーシップ、モチベーション、そして“パッション”にある」(及川氏)

 この情熱にはさまざまなベクトルがあり、「この技術が好き」「顧客の課題を解決したい」「原体験を追求したい」「豊かな未来を創りたい」「金儲けをしたい」、どの理由であっても問題ないという。及川氏は、「本気で取り組むということをみんなが体験すれば、素晴らしい組織やプロダクトが生まれる」と強調した。

 そして、AIが支援するのは意思のある人である。意思や情熱を欠いた人は、主体性を失い、AIに依存しかねない。「AIを活用することは必要だが、AIに使われてしまってはいけない。自分たちの意思と情熱を持ち、主体的に方向性を定めることを、忘れないようにして欲しい」と呼びかけ、セッションを締めくくった。

生成AI時代の「エンジニアの二極化」 求められるのは“情熱駆動開発”