
この記事をまとめると
■ホンダはたまに他社には真似できないクルマを販売する
■どちらもユニークだったが市場のニーズには応えられなかった
ホンダの奇想天外SUVをプレイバック
唯一無二の強烈な個性をもつクルマを過去に数多く生み出してきたホンダだが、そのなかには余りにも突飛すぎて、一代限りでモデル廃止になったモデルも少なくない。
そんなホンダ車のなかから今回は、初代HR-Vとエレメントを紹介する。
【初代HR-V】1998年9月21日正式発表
FF(前輪駆動)のモノコックボディ乗用車をベースとしたSUVのなかでも、都会的なデザインとオンロードでの快適性を強く打ち出した、クロスオーバーSUVの先駆け的存在といえるのが、1998年9月デビューの初代HR-Vだ。
当初はなんと3ドアのクーペボディのみで、トランスミッションはホンダ独自のクラッチ付きかつトルクコンバーターレスのCVT「ホンダマルチマチックS」のほか、一部グレードに5速MTも設定。内外装も明るくポップなデザインとカラーリングが印象的な、若者向けのコンパクトクーペSUVだった。
しかし、翌1999年7月の一部改良とともに5ドアが追加されると、そのコンセプトは徐々に実用的なものへとシフト。2001年7月のマイナーチェンジでは前後バンパーやグリルが大人しいデザインに変更され、2003年10月のマイナーチェンジではついに3ドアが廃止された。
そして2006年には販売を終了。目標月間販売台数が、デビュー当初の3500台から、1999年には3000台、2001年には1000台、2003年には300台と、急激にダウンしていったことからも、当時の販売不振ぶりがうかがえる。
というのも、この初代HR-Vがメカニズムのベースとしたのは、「シティ」の後継モデルにして「フィット」の前身にあたる「ロゴ」。スポーティに振りすぎた2代目シティの反省から、実用性と低コストを重視しすぎたこのBセグメントカーの影響を色濃く受け、ドアの開閉ひとつとっても安っぽさが目に付く仕上がりだった。
加えて、空前の大ヒット作となった初代フィットが2001年6月に発売されたのが、初代HR-Vにとって致命的だった。
広い室内空間と多彩なシートアレンジ、低燃費、コストパフォーマンスの高さ、内外装や走りの質感、そしてポップなデザイン。これらにおいて、初代HR-Vが初代フィットに勝てる要素は、なにひとつなかったといっていい。
せめてフィットをベースとしていれば、その後のヴェゼル(欧州名2〜3代目HR-V)がそうであるように、相応の商品価値と人気を得たのでは……と、あり得ない「if」を想像せずにはいられない。
ユニークな機構をもつも日本では不発に……
【エレメント】2003年4月16日正式発表
思えばこのころのホンダは、ノリにノっていたのかもしれない。2代目オデッセイ、初代ストリーム、2代目ステップワゴン、そして初代フィットと、いずれもヒット作となり、少なくとも日本国内では売るクルマに困らない状態だった。
北米ではこれらのモデルは販売されていないため、様相はまったく異なっていたと思われるが、それでもそんな好調ぶりが海の向こうにも波及していたのではないかと思わせるほど、ハッピーなクルマが北米主導で開発され、2002年より北米で生産開始。日本でも2003年4月に発売される。それがエレメントだ。
基本的なメカニズムは、日本では2001年9月に発売された2代目CR-Vをベースとしていたが、そのキャラクターは大きく異なる。
CR-VはごくオーソドックスなSUVらしい曲面基調のエクステリアと、乗員の快適性を重視したインテリアを備えていた。
これに対しエレメントは、両側Bピラーレスボディ&観音開きドア&上下分割バックドアを採用し、無塗装樹脂を多用したスクエアなエクステリア、そして汚れに強いフラットな防水フロア&シート表皮を特徴とする、アウトドアレジャーに特化した設計だった。
そんなエレメントの開発コンセプトは「エンドレスサマー」。そしてデザインモチーフは、ライフセーバーがスイマーやサーファーを見守る小屋「ライフガードステーション」。後席を左右に跳ね上げ助手席を倒せば10フィートのロングサーフボードを積載できるよう設計されており、もちろんそれ以外の用途でも使い勝手は抜群だった。
しかしながら、この余りに個性的すぎるスタイルと構造が仇となり、CR-Vに対し割高な価格設定に。しかも、わかりやすい上質さを備えていたCR-Vに対し、汚れに強い無塗装樹脂外板や防水フロア&シート表皮などの見た目が安っぽかったこともマイナスに受け取られてしまった。
その結果、日本では2005年12月、わずか3年弱で販売を終了する。だが北米ではヒットし、その後も2011年モデルまで生産・販売が続けられるロングセラーモデルとなった。

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