「就職氷河期」と呼ばれた時代を生き抜いた世代が、今、親の介護や経済的不安定といった課題に直面しています。日々の暮らしのなかで、誰にも言えない本音や葛藤を抱えながら、それでも生きていくしかない現実があります。

叫んでも誰も聞こえない…暗闇でこぼれた言葉

田中健一さん(51歳・仮名)午前5時半に鳴るアラームで起き、82歳になる母親の食事と薬、そして排せつの世話を行います。そのあとヘルパーが来たのと同時に家を出て、通勤電車に揺られて会社に向かう――これが、田中さんの日常です。

月収は28万円。10年ほど前に「運よく就職できた」という会社では昇給はほとんどありません。この収入で、自分と母親の生活、そして将来のことを考えると、ため息しか出ないのが正直なところです。

18時には帰宅し、再び、ヘルパーとバトンタッチ。食事や入浴を手伝い、21時過ぎには落ち着き、ひとり夕食を取ります。そして24時前に就寝。深夜、寝静まった家の中で、田中さんは暗い自室の天井を見つめながら、誰に言うでもなく呟きました。

「俺の人生、一体何なんだろう……」

「逃げたい、逃げたい、逃げ出したい……」

普段は口に出すことのできない本音がこぼれた瞬間、抑えきれない感情がこみ上げ、枕に顔をうずめて声を殺して絶叫することもしばしば。

田中さんはいわゆる「就職氷河期世代」。大学卒業時は何十社とエントリーシートを送りましたが、面接にすらたどり着けない日々が続きました。何とか滑り込んだのは、小さな印刷会社でした。しかし、そこも経営が悪化し、30代直前で失業。その後はアルバイトや派遣社員として中小企業を渡り歩き、現在の会社に落ち着いたのは40代になってから。

正社員という安定は手に入れましたが、給与水準は決して高くはありませんでした。若いころは「いつかは実家を出て一人暮らし」と考えていましたが、お金がないまま気づけば40代に。そのころには、父親の体調も思わしくなくなり、「実家を出る」という選択肢は現実味を失っていきました。経済的な問題だけではなく、一人残される親のことが気にかかったのです。

氷河期世代のすべての人たちが、田中さんのような困難に直面しているわけではありません。ただ就職のタイミングで機会を逃し、そのまま一度も浮上できず、今なお不安定な終了状況に置かれている人は少なくありません。また田中さんのように、正規雇用でありながらも低い賃金水準に留まっているケースも決して珍しいことではないのです。

仕事と介護の両立…すり減っていく心と体

5年前に父親が亡くなり、母親との二人暮らしが始まりました。さらに2年前、その母親が脳梗塞で倒れ、右半身に麻痺が残りました。幸い命に別状はなく、会話もできますが、日常生活のほとんどに介助が必要な状態です。これが、田中さんの生活を完全に変えました。

平日は、仕事と介護の両立に追われます。朝の準備に始まり、仕事中も母親のケアマネジャーやデイサービスの担当者からの電話に対応しなければなりません。会社にいる間はなんとか仕事に集中しようとしますが、頭の片隅には常に母親のことがあり、気が休まる時がありません。定時で退社しても、スーパーに寄り、夕食の準備、食事の介助、入浴の介助、そして就寝の準備と、すべてが終わる頃には夜9時を過ぎています。そこからが、ようやく自分の時間。しかし、疲労困憊で何かをする気力も残ってはいません。

休日も、母親の世話や溜まった家事で一日が終わります。友人と会ったり、趣味に時間を使ったりすることはありません。そもそもお金がなく、日常生活以外で何かすることはないのです。社会とのつながりは、職場と介護サービスの担当者だけ。そんな生活が2年ほど続き、田中さんの心と体は確実にすり減っていきました。

総務省統計局『令和4年就業構造基本調査』によると、介護している人は628万人。そのうち、仕事をしている人は364万人で、正社員156万人、非正規社員は141万人、パートは82万人。そのようななか、仕事と介護の両立を図れず、仕事を辞める人は毎年7万~10万人ほどいます。

「もし、俺が倒れたら、母はどうなるんだろう」。そんな不安とともに、 「俺の老後は一体どうなってしまうんだろう」と自分の将来の不安も押し寄せます。

自分のことでも精いっぱいの氷河期世代に迫る、親の介護問題。なぜこれほどまでに自分は追い詰められなければならないのか――答えの出ない問いが、田中さんの頭の中をぐるぐると回り続けます。

[参考資料]

内閣官房『就職氷河期世代支援に関する行動計画2021

総務省統計局『令和4年就業構造基本調査』

(※写真はイメージです/PIXTA)