
多種多様な販売形態の登場により、構造や文脈が複雑化し、より多くのユーザーを楽しませるようになってきたデジタルゲーム。本連載では、そんなゲームの下地になった作品・伝承・神話・出来事などを追いかけ、多角的な視点からゲームを掘り下げようという企画だ。
(関連:【画像】サッカーの原型は古代中国の蹴鞠にあり…爽快ハイテンポなマルチプレイサッカーゲーム『REMATCH』)
企画の性質上、ゲームのストーリーや設定に関するネタバレが登場する可能性があるので、その点はご了承願いたい。
今回は『REMATCH』発売を記念して、サッカーの歴史を解説しよう。
サッカーの原型とされているのは、古代中国の蹴鞠(しゅうきく)である。この蹴鞠の原型は、4000年以上前(殷の時代)の雨乞いの儀式であり、その後、紀元前300年前の斉代に軍事訓練として形を変えた。
漢代には12人チームになり、唐代にはルールが多様化するなど、時代が下るごとにさまざまな変化を見せ、宋代にはチーム対抗戦ではなく、なるべくボールを地面に落とさないようにする遊びへと変わり、果ては日本に伝来して蹴鞠(けまり)になる。なお、2004年、蹴鞠はFIFAからサッカーの起源であることが正式に認められた。
起源こそ中国にあるが、のちにサッカーと呼ばれる遊びは中世のイングランドで始まる。いまも多くの文化圏で使用される「フットボール」の名称で、各地の村でお祭りとして楽しまれていた。「相手陣地にボールを入れたら勝ち」くらいのルールしかなく、参加者の数もまちまちで、ボールを抱えて走ってもよし、邪魔してくる相手は殴ってもよしといった具合で、非常に野蛮な遊びであった。ちなみに「討ち取ったデーン人の首を蹴った遊びが始まり」という説もあるが、歴史的な裏付けはない。
当然、同時多発的に世界各地で球技は行われており、イタリアや南米がサッカーの元であるという説もあるのだが、その中でもイングランドのフットボールは野蛮だった。しかし、18世紀には野蛮さゆえか人気は陰り、19世紀にパブリック・スクールで教育の一環として再燃する。もちろん、学校によってルールは異なった。
卒業後もフットボールをしたいと思う人が増えたことで、各地にクラブチームができ始める。そして1863年、ロンドンにあるクラブの代表者が集まり、フットボール・アソシエーション(FA)が誕生。統一ルールが制定された。そして協会はAssoc.と呼ばれており、その略称が変化して「soccer」と呼ばれるようになった。
一方で、ボールを抱えて前に走りたいと考えた人々はFAに参加せず、1871年に「ラグビー・フットボール・ユニオン」を立ち上げる。これがラグビーの始まりである。
折しも時代は産業革命に突入しており、生産性の向上から、労働者は休日にフットボールを楽しむ余裕ができた。FAはロンドンの上流階級にいる人々が立ち上げたのだが、ともにフットボールをプレイする労働者は仕事を休むわけにはいかない。そこで、強豪クラブは仕事を休んで試合や練習に臨んだ労働者に賃金の補填をした。これがプロ選手の始まりだ。
その後、サッカーはさまざまにルールが変わり、世界中で愛されていくことになるが、大きな転換点はやはり「オフサイド」だ。
オフサイドのルールは当初からあっただけでなく、いまよりもずっと厳しく、自分よりも前にいる味方プレイヤーにパスをすることが禁止だった。これは、パブリック・スクールでは「全員でボールを奪い合うことが勇敢さを育てることになる」と考えられていたことから、密集の外でパスを待つということが卑怯であるという意見があったためらしい。つまり、相手ゴールに近づくためにはドリブルするほかなかったし、回遊魚のようにほぼ全員がボールに向かって群がっていたわけだ。
しかし、FAのルール制定からたった3年後「パスした先の選手と相手ゴールラインのあいだに3人以上いればオフサイドではない」という改定がなされ、パス主体のサッカーと、抱えて走るラグビーとで、ゲーム性がくっきりと分かれることになった(1925年には2人以上に変わり、現在のオフサイドルールになる)。
ワールドカップにも触れておこう。FIFAワールドカップを開催しているFIFA(国際サッカー連盟)は、1904年にパリで結成された。その年の加盟国はフランス・オランダ・スイス・デンマーク・ベルギー・スウェーデン・スペインの7か国である。
そして第1回ワールドカップは1930年にウルグアイで行われるのだが、世界大会としてはさして華々しいものではなかった。
というのも、設立したてのFIFAには大した資金力もなく、イングランドすら加盟していなかったほど軽んじられていた。1910年代には南米で「コパ・アメリカ」という大会が開かれて先を越されてしまうほどだが、そのころヨーロッパは第一次世界大戦でそれどころではなかった。しかし、一次大戦後は、交通網の発達などによって徐々に選手の移動が簡単になってきて、ワールドカップらしい趣を見せていく。
日本でのサッカーはどう始まったのか。当然ながら大元は奈良時代に中国から伝来した蹴鞠だが、「サッカー」が本格的に海を渡ってくるのは開国まで待たなければならない。
当時の横浜では渡日してきたイギリス人たちが競馬やレガッタ、クリケット、フットボールなどを行っていた。それからしばらくした1873年、日本の近代化を急いだ明治政府は、英海軍からアーチボルド・ルシアス・ダグラス少佐が招かれ、海軍兵学寮で体育の授業としてフットボールを教えた。日本サッカーの幕開けである。
1921年に大日本蹴球協会(現・日本サッカー協会:JFA)が設立され、1936年のベルリンオリンピックでは「ベルリンの奇跡」を起こして注目を集めた。
1993年にプロサッカーリーグ「Jリーグ」が開幕すると、国内スポーツ文化は一変する。以来、日本代表は1998年フランス大会でワールドカップ初出場を果たし、以後連続出場を継続。2002年には日韓共催大会を実現させ、世界からの注目を浴びた。
2011年に女子代表である「なでしこジャパン」がワールドカップで世界一位の座に輝いた。近年では海外の有名クラブでも活躍する日本人選手は増えていき、サッカー人気は衰えることを知らない。
以上、ざっくりとサッカーの歴史を紐解いてみた。次に『REMATCH』や『スーパーマリオストライカーズ』を遊ぶときは、古代中国で様々に意図やルールを変えながらボールを蹴っていた人々や、中世イングランドでボールを抱えながら殴り合っていた人々のことをちょっとだけ思い出してみてほしい。
■参考文献・サイト:
後藤健生『サッカー歴史物語――今さら聞けない25のサッカー史』(サッカー小僧新書)
中国文化センター
笹川スポーツ財団
HISTORIST「日本サッカーの挑戦 伝来、そして世界へ」
(文=各務都心)

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