
「万が一の備え」である生命保険。しかし契約の確認を怠ると、家族への想いが悲劇に変わることも。今回は、母が遺したはずの保険金を受け取れなかった、45歳の佐藤さん(仮名)の事例をご紹介します。
おひとり様母の“最後の願い”
佐藤恵さん(仮名/45歳)は、夫と子どもたちと暮らす会社員です。多忙な日々のなか、自身の家庭を切り盛りしながら、離れて暮らす実の母親のことも献身的にサポートしていました。
恵さんの母親は、夫と早くに別れ、女手一つで恵さんを育て上げました。恵さんが家庭を持ったあとも一人暮らしを続けていましたが、数年前に癌を患い、通院と治療の日々を送るように。恵さんは仕事や自らの家庭と両立しながら、母親の病院の付き添いや身の回りの世話のため実家を頻繁に訪れていました。
長い間、母は病気と付き合っていましたが、「長く生きてもあなたに迷惑をかけるだけだから」と何度も口にしていました。手術を望まずにいるうちに、病状はゆっくりと進んでいったのです。
さらに、周りの人が「もしかして」と気づいたときには、認知症も発症していたようです。病院で正確に診断されたわけではありませんが、思い出話をするうちに会話が途切れたり、同じ内容を何度も話したりすることが目立っていきました。それでも「迷惑をかけてごめんね」と口にしては、2ヵ月に一度の年金が入ると、恵さんにお小遣いを渡してくれるような気遣いもみせていました。
「1,300万円をあなたに」
ある日のこと、母は恵さんに対し、長らく胸の内に温めていた思いを静かに打ち明けました。
「保険に入っているの。私が死んだら、1,300万円が出るようになっているから、手続きをしてね」
その後、母親の病状は悪化し入院。母親の年金額は月12万円。恵さんは家事や育児、そして仕事に加え、年金で足りない分の母親の入院に関わる諸費用の工面など、精神的にも経済的にも大きなプレッシャーを感じていました。いままで以上に多忙を極めていた恵さんにとって、以前母から告げられた保険金のことはすっかり忘れていたといいます。
「延命治療は望まない」と話していた母は、入院からわずか2週間後、81歳でその生涯を終えました。
押し入れから見つかった一枚の保険証券
身内だけで葬儀を終え、恵さんは母親が長年住み慣れた賃貸アパートの遺品整理に取り掛かりました。家賃の支払い期限も迫っており、早急に部屋を明け渡さなければなりません。思い出の品々を段ボールに手際よく詰めていたそのとき、戸棚の引き出しから一枚の保険証券を見つけます。
恵さんはそれを見た瞬間、母の“1,300万円”の話が一気によみがえりました。
恵さんは、すぐに保険会社に連絡を取りました。しかし、担当者から告げられたのは、「誠に申し訳ございませんが、保険金の支払い対象外となります」という信じられない言葉だったのです。驚いて理由を尋ねる恵さんに、担当者は「お母様がご加入されていた逓減定期保険です。当該保険は、80歳のお誕生日の前日をもって保険期間が満了となる保障内容でした。お母様がお亡くなりになったのは81歳ですので、残念ながら保障の対象期間を過ぎてしまっております」と続けます。
恵さんが証券を改めて確認すると、確かに「満期80歳」と記されています。
母は、保障内容を正確に把握していなかったのかもしれません。あるいは、認知症の影響で誤解していた可能性もあります。
高齢者を取り巻く“契約”の課題
従前、高齢者の金融リテラシーに関する課題は指摘されています。金融広報中央委員会が実施した「金融リテラシー調査」では、70歳以上の約半数が保険商品の仕組みを十分に理解できていない、あるいは契約内容を正確に把握できていないという結果が出ています。
特に、満期や保障期間の認識に関する設問では、多くの高齢者が誤った理解をしている傾向が明らかになっています。恵さんの母親が保険に加入したのはまだ年を重ねる前でしたが、加入後の確認ができていなかったという点で、こうした課題に直面していたのかもしれません。
さらには近年、認知症と金銭管理の問題も大きな課題です。厚生労働省の調査によれば、認知症と診断された高齢者のうち約3割が、自身の資産や契約内容を正確に把握できていないという実態も明らかになっています。また、契約後に内容を忘れてしまう、あるいは誤って解釈してしまうケースも珍しくありません。
届かなかった母の想い
「私が死んだらこのお金で少しでも楽をしてほしい」と、娘である恵さんのために遺そうとした母の想い。しかしその想いは、制度の壁によって叶いませんでした。母が加入していた逓減定期保険の内容を、母自身がどれだけ理解していたのか……。いまとなっては確かめようもありません。
遺された財産は、わずかな預金と、1ヵ月分の未支給の年金だけでした。それらもお葬式の費用やアパートを整理するための費用、支払いが残っていた医療費などに充てると、ほとんど手元には残りませんでした。
高齢者の終活に潜む落とし穴
かんぽ生命が行った「おひとり様高齢者の意識調査」によると、約7割の独身高齢者が、亡くなった際の身辺整理や金銭的な負担を「誰に頼むか」「残された人に迷惑をかけたくない」といった不安を抱えていることが明らかになっています。
恵さんの母もまた、こうした一人暮らしの高齢者特有の不安を抱え、娘への感謝と、せめてもの負担軽減の想いを保険金という形で残そうとしたのかもしれません。長年一人暮らしを続けてきた母にとって、たとえ実の娘が頻繁に訪れてくれていたとしても、自分の終末期や死後に娘へかける負担は大きな心配事だったのでしょう。あまりに悲しい結末を前に、恵さんはやるせない思いに包まれました。
保険は、万が一のときの備えになる一方で、仕組みや条件を正しく理解しなければ、本来得られるはずの安心が失われてしまいます。高齢期の保険加入や見直しにおいては、内容をしっかりと把握することがなによりも重要です。

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