フェラーリ「F40」が約4.6億円で落札!どこまで高騰するのか“最後のピュアフェラーリ”

止まることを知らないフェラーリ「F40」の価値

2025年5月22日にRMサザビーズがイタリア・ミラノで開催したオークションに、フェラーリ「F40」」が出品されました。1989年7月27日にマラネロの工場からラインオフされたヨーロッパ仕様のつまりノン・キャタライザー車(触媒コンバーターなし)でした。オドメーターの数字は1万7300kmとローマイレージな1台を紹介します。

当初は400台だった生産台数

フェラーリの創立40周年を記念して1987年に発表したアニバーサリーモデルが「F40」だ。フェラーリの創業者であるエンツォ・フェラーリが、生涯最後に直接開発を指示したモデルということもあり、特別な価値をF40に生み出す大きな理由となっている。エンツォ・フェラーリと、F40のチーフ・エンジニアであったニコラ・マテラッツィとの間では、生産台数は400台に限定するという計画が確認されていた。しかし、エンツォの死後、F40の人気はさらに高まり、RMサザビーズの調べによれば、最終的には1315台(諸説あり)が、マラネロからデリバリーされたとされる。

F40は、現代のスーパースポーツと比較すれば、きわめてスパルタンな、そしてストイックなまでにパフォーマンスを追求したスーパースポーツである。そもそもF40が生み出されるまでのプロセスをさかのぼれば、その原点にあるのは1984年に誕生した「288GTO」がある。それをベースとした実験車、「288GTO エボルツィオーネ」こそが、F40のプロトタイプ的存在を果たしていた。高性能なエンジンと極限まで軽量性を突き詰めた設計。走りに関連しない装備など一切持たないF40はまた、優れたドライビングスキルを持たない者を受け付けないという危うさを秘めたスーパースポーツだったのだ。

前に触れたエンツォとニコラとの間での密約、400台の限定生産という数字は、F40を操ることのできるカスタマーの数を想定したものであったことは容易に想像できる。

ミラノ2025オークションに出品されたフェラーリ「F40」は、4億兆で落札された

F40はまさに公道を走れるレーシングカー

ニンファリーナのレオナルド・フィオラバンティとそのチームによって描かれたF40のボディデザインは、あたかも最高速域で立ちはだかる空気の壁を切り裂くかのような鋭さを持ち合わせるもの。フロントフェンダーの流麗な曲線は、そのままルーフラインとウエストラインに連続しテールへと導かれるが、その過程には一切の破綻はない。もちろん実際の空力特性も324km/hの最高速が象徴するように、1980年代においては紛れもなく世界のトップと評するに相応しいものであった。

そしてF40のエンジニアリングにおいて、誰をも驚嘆させたのは、カーボンファイバーやケブラーといった軽量素材を積極的に採用し、わずかに1100kgという車重を実現したこと。さらに、ミッドに搭載される478psの最高出力を発揮する、2936ccのV型8気筒DOHCツインターボエンジンの存在だった。その走りはまさにスパルタンのひと語。エンツォはニコラに、F40はフェラーリの原点にあるような、つまりロードカーとレースカーとの間にある垣根を感じさせないクルマにするようにと命じた。確かにそのキャラクターは見事なまでに表現されている。

ミラノ2025オークションに出品されたフェラーリ「F40」は、4億兆で落札された

The post first appeared on .

281万7500ユーロ(邦貨換算約4億5770万円)で落札されたフェラーリ「F40」(C)Courtesy of RM Sotheby's