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 高層ビルや歴史的建造物など、丸の内の建築群を現場のレポートを交えながら紹介する連載「丸の内建築ツアー」。今回は、東京駅丸の内南口・KITTEからJR京葉線東京駅へ至る間にあり、商業施設のTOKIAも入る「東京ビルディング」を紹介します。

東京ビルディングのデザイン

 東京ビルディングは、東京駅丸の内口の南側、東京中央郵便局東京国際フォーラムの間に建つ地上33階、地下4階、高さ164.1m、延床面積150,625㎡の超高層ビルで、旧東京ビルヂング(以降「旧ビル」と表記)の建て替えにより、2005年10月17日に竣工しました。

 南北方向に約114m、東西方向に約33mの“板状”の超高層ビルとなっており、外観デザイン面では、広域の街角や鉄道の車窓からも瞬時に視認される斬新な複層ファサードにより、丸の内の建物が持つ歴史的風格と鋭敏な現代建築との重なりを表現しています。また、直射日光の影響を低減するため、南面外壁には水平フィン、東面外壁には縦リブを採用。南北方向が非常に長く、ガラスファサードと白の縦リブ、庇の積層など、変化のある外観が特徴となっています。

 フロア構成は、地下1階から地上3階までが商業施設「TOKIA(トキア)」となっており、4階から33階がオフィスとなっています。商業ゾーン「TOKIA」は、丸の内にこれまでなかった“夜のシーン”を創出する拠点として開業しており、施設名は「TOKYO」「TOKIMEKI」「Amusement」を組み合わせた造語で、コピーライターの眞木準氏によって名付けられました。「ようこそ、丸の内の夜遊び」をキャッチコピーに掲げたTOKIAには、開業時、飲食24店舗、物販2店舗、サービス3店舗の計29店舗が集積。オフィスワーカーが深夜まで利用できる飲食店をはじめ、大人が肩の力を抜いて上質な時間を過ごせる空間を提供しています。

 グルメでは、「お好み焼 きじ」「つるとんたん」「THE ROAST KOBE MEAT HOUSE」「VIRON」等、関西系・欧州系など多彩なジャンルの名店が軒を連ねています。また、音楽と食の融合を楽しめるエンターテインメントレストラン「COTTON CLUB」や、女性専用クリニック「イーク丸の内」、チャイルドケアセンター「キッズスクウェア」など、ライフスタイルを支えるサービス機能も備え、働く人々の“夜と日常”を豊かに支える複合商業ゾーンとなっています。ちなみに地下1階部分は、北側でJPタワーの商業施設「KITTE」と接続し、南側ではJR京葉線「東京」駅の改札口東京国際フォーラム方面へとつながっています。このように、東京駅を中心とした地下歩行者ネットワーク、いわゆる「丸の内ダンジョン」の一部を形成しており、商業ゾーンは常に多くの人で賑わいを見せています。また、南側には地下と地上を結ぶ吹き抜け「地下プラザ」があり、地上と地下の都市空間を接続する役割も担っています。

戦後の高度経済成長期に建設された旧ビル

 第二次世界大戦終戦後の財閥解体に伴い、三菱本社から三菱地所へ譲渡される予定だった丸の内一帯のオフィスビル群は、1950年1月10日に設立された陽和不動産および関東不動産に分散されることとなりました。その結果、丸の内三菱地所・陽和不動産・関東不動産の三社による分割経営体制となり、三菱地所が所有・経営するエリアは、戦前にすでに譲渡を受けていたごく一部にとどまることとなりました。

 こうした状況のなか、戦後に施行された地代家賃統制令によって賃料が据え置かれていたため、三菱地所は収益力の強化と事業拡大の必要に迫られ、新規ビル建設による収入増を模索します。その一環として、東京中央郵便局の南側に位置し、三菱銀行本店とJR線の高架に挟まれたエリアの土地取得に動き出しました。この土地は、1890年の丸の内一帯の払い下げの際には含まれておらず、東京市との土地交換によって三菱合資会社の所有となった後、1928年に大倉組(現・大成建設)の本社移転用地として譲渡。戦後は財閥解体によって発足した中央建物が所有し、大成建設が工作所や資材置き場として使用していました。

 三菱地所はこの土地の取得にあたり、陽和不動産および関東不動産と連携し、大成建設との間で土地譲渡交渉を行いました。その結果、ビルの建設工事を大成建設に発注することを条件に、土地の譲渡で合意に至ります。当時、満州などからの引揚者を多く抱え、なおかつ受注難であった大成建設と、丸の内で新たな建設を目指していた三菱地所との利害が一致したことが背景にあります。

 建設資金の確保にも工夫が凝らされ、三菱地所資本金を1,850万円から1億円に増資したほか、テナントからの前払賃料を借入金として建設資金に充当する方式などを採用しました。さらに、戦後初の本格的大規模工事として、地方から招いた技師のために、麻布仲ノ町(現在の港区六本木)に社宅を建設するなどの対応もなされました。

 設計面では、当初、全館冷房方式を採用した最新のオフィスビルを計画していましたが、地代家賃統制令の影響により、賃料が抑えられた中での資金回収が困難と判断され、導入は見送られました。しかし、将来的な冷房設備の導入を見据え、地下には大型冷房機器を設置可能な天井の高い倉庫をあらかじめ確保するなど、柔軟な設計がなされていました。

 こうして1950年6月28日に旧ビルの建設が着工され、1951年9月22日に竣工し、その全容を現すこととなりました。

東京駅丸の内駅舎の容積率移転で建設された東京ビルディング

 東京ビルディングの建て替えは、丸の内再構築プロジェクトの一環として進められ、都市再生の新たな枠組みを活用した先進的な取り組みとして実施されました。この計画では、2000年の都市計画法および建築基準法の改正により創設された「特例容積率適用区域制度」が日本で初めて活用されていることが特徴となっています。

 特例容積率適用区域制度は、高度利用が求められる区域を都市計画で指定し、その区域全体を一体的に捉えることで、未利用の容積を有効活用できる仕組みです。東京ビルディングの建て替えでは、東京駅丸の内駅舎の未利用容積の一部を移転することで、敷地における容積率を大きく拡張し、1,720%という高容積を実現しています。この未利用容積の移転により、東京駅舎の復元保存のための資金確保にも繋がりました。

 また、建て替えでは、東京都が2002年に導入した「育成用途の集約化を可能とする特例」も活用されました。この制度は、複数の開発を組み合わせて、ホテルや文化施設などの育成用途を一カ所に集約できるというものです。東京ビルディングはオフィス中心の計画とし、交流・文化施設は同時期に日比谷公園近くの有楽町に建設された「ザ・ペニンシュラ東京」に集約されました。これにより、各施設の機能を明確化し、効率的な都市空間の形成が可能となっています。

 施工面では、2003年10月の着工から2005年10月の竣工まで、わずか2年間という限られた工期であったため、周囲がオフィス街で住宅が存在しないという立地特性を活かし、昼間に鉄骨や躯体、内装などの作業を、夜間には地下掘削や外装工事を行う「24時間体制」による高速施工が実施されました。更に地上と地下の工事を並行して進める順逆打ち併用のハイブリッド工法を採用したほか、外壁には工場で組み立てたユニット・カーテンウォールを使用することで、施工効率を高め、工期を短縮しました。そのようにして建設された東京ビルディングは、2005年10月17日に竣工、11月11日には商業ゾーン「TOKIA」がオープンしました。

 以上で今回の建築ツアーは終了。旧ビル建設時には冷房設備を見据えた設計をしていたり、建て替えの際には効率的な施工スタイルが採用されていたりと、調べるほどに柔軟に造られていたことが分かりました。現在は丸の内のビジネスと夜の賑わいを同時に創出し、かつ東京駅有楽町駅をつなぐ歩行者ネットワークの形成という、いくつもの役割を持つ東京ビルディング。丸の内ダンジョンからのTOKIA散策、ぜひ楽しんでみてください。

丸の内ダンジョンの南端を担う“夜遊びビル” 「東京ビルディング」