猛暑が続く日本の夏。エアコンのスイッチひとつで守れるはずの命が、経済的な事情や「大丈夫」という思い込みから、危険にさらされている現実があります。離れて暮らす家族の「元気だから」という言葉の裏側に、見過ごされがちなリスクをみていきましょう。

久しぶりの帰省で見た「異変」

都内で営業職として働く西岡隆志さん(43歳・仮名)は、仕事ついでに山形県の実家を訪れました。正月には帰ることができなかったので、実に1年以上ぶりのことでした。実家の玄関の扉を開けると、むっとするような熱気が顔にぶつかってきました。

「エアコンをつけていないのか?」

そう思いながら中へ入ると、リビングの奥から母・西岡真知子さん(74歳・仮名)が現れました。身なりは整っているものの、明らかに体調は万全とはいえない様子です。顔は赤く、ややふらついているようにも見えました。

「大丈夫よ、元気にしてたから」

温度計は31.7℃を示しています。風がまったく感じられない分、外にいるよりも熱がこもっている気がします。

「大丈夫じゃないだろう。どうしてこんなに暑いのに、エアコンを使わないんだよ」

真知子さんの答えは、こうでした。

「電気代がもったいないでしょう。年金だけじゃ、足りないからね。お米も高いしね」

真知子さんの収入は月12万円の年金のみ。住宅ローンや家賃の負担こそないものの、食費・光熱費・医療費をまかなうと、毎月の生活には余裕がありません。そのため、夏場でもエアコンを使わず、食費もできるだけ抑えるという、「我慢の生活」を送っていたのです。「そういえば、前に会ったときよりも明らかに痩せたな……」と、真知子さんの言葉に妙に納得してしまったといいます。

消防庁によると、今年6月30日7月6日までの全国の熱中症による救急搬送人員は1万0,048人。そのうち59.4%が高齢者です。熱中症は年齢が上がるにつれて重症化のリスクも高くなることが分かっています。

また内閣府『令和7年版高齢社会白書』によると、2023年、65歳以上のひとり暮らし855万世帯と、高齢者世帯の31.7%を占めています。ひとり暮らしの増加も、高齢者の熱中症リスクを高めているひとつの要因といえるでしょう。

高齢になると暑さを感じにくくなると言われており、自覚がないまま脱水症状や体温上昇が進行することもあります。高齢者本人が「大丈夫」と思っていても、実際には身体が危険な状態に陥っていることは決して少なくありません。西岡さんの母も、まさにそうした「見えないリスク」のなかで日々を過ごしていたのです。

2割の高齢者が「エアコンの使用」に消極的

株式会社LIFULL senior/LIFULL 介護が、65歳以上の高齢者と、親と離れて暮らす40~50代を対象に実施した『熱中症予防に対する意識調査』によると、8割以上の高齢者が熱中症にならないよう気をつけていると回答し、子世代の6割以上も離れて暮らす親の熱中症が心配だと答えました。

一方で、親世代に例年の夏時期のエアコンの使用状況を尋ねたところ、最も多かったのは「暑いと感じた時にすぐ使用している」(42.9%)。「ほとんど一日中使用している」(24.5%)、「昼間だけ、夜間だけなど時間を決め使用している」(12.2%)を合わせると79.6%でした。しかし「なるべく使用しないようにしている」(13.5%)、「使用していない」(2.8%)を合わせると、約2割はエアコンの使用に消極的であることがわかります。

また「今年のエアコン使用を例年より控えたい」と回答した人にその理由を聞いたところ、最も多かった回答は「物価高などの影響で生活費がかかりすぎているため」で58.1%。物価高がエアコンの使用にも影響を及ぼしています。

「エアコンを使わないで我慢していたら命があぶないだろう。なんで何も言わないんだよ」 「だって、お前も給与が上がらない、上がらないってボヤいていたじゃない。そんな余裕、ないんだろう?」

確かに、以前帰省したとき、お酒が入っていたこともあり、ポロリと愚痴をこぼしたことがありました。隆志さんの月収は45万円ほどと、大卒サラリーマンの平均といったところ。住宅ローンの返済や教育費と、昇給のスピード以上に支出が膨らむスピードが早いなか、さらに物価高も直撃。正直な話をすると、万一、真知子さんから支援を求められても、2つ返事で承諾できるほどの余裕はありません。真知子さんも、そのような状況を知っていたからでしょう。常に電話の向こうでは、「大丈夫よ」「元気よ」を繰り返していました。

それでも母の苦境を目の当たりにした今、何もしないわけにはいきません。

「かあさん、本当にごめん。大変だということに気づいてあげられなくて」

隆志さんはすぐに実家のある市のホームページを開きました。「高齢者」「支援」「電気代」……いくつかのキーワードで検索すると、熱中症対策として、一定の条件下でエアコンの購入・設置費用や電気代を助成する制度があることを見つけました。すべての自治体にあるわけではありませんが、探してみる価値はありそうです。

「夏の間のエアコン代くらいなら、俺が出すよ。月1万円でもあれば、少しは気兼ねなく使えるだろ?」

月収45万円から1万円の捻出は、決して楽ではありません。しかし、母の命には代えられません。「節約」か「健康」か――。猛暑が続く現代において、多くの高齢者がこの厳しい選択を迫られています。ひと際厳しい暑さが続く今年の夏。「部屋の温度は何度?」、実家への一本の電話が、親の命を守るきっかけになるかもしれません。

[参考資料] 消防庁『救急搬送状況』 内閣府『令和7年版高齢社会白書』 株式会社LIFULL senior/LIFULL 介護『LIFULL 介護が高齢の親と、親と離れて暮らす子を対象に熱中症予防に対する意識調査を実施』

(※写真はイメージです/PIXTA)