
離れて暮らす高齢の親。日常の何気ない連絡が元気でいることのサインですが、それが途絶えたら……誰もがいてもたってもいられないでしょう。突然の音信不通、そこにある理由とは?
音信不通の父…45歳息子、慌てて帰省したが
鈴木拓也さん(仮名・45歳)は胸騒ぎを覚えていました。実家で一人暮らしをしている父・健介さん(仮名・76歳)からの連絡が、日曜の夜を最後に途絶えたのです。
週に一度のLINEでのやり取りは、ここ数年、欠かしたことがありませんでした。昨今は物価高で高齢者の生活は大変だと聞きます。年金月19万円だという健介さんですが、「ちゃんと食っているか?」と尋ねると「バカにするな!」と返ってくるのがいつものパターンでした。
しかしここ数日は、電話をかけても、呼び出し音がむなしく響くだけで、電話に出ることはありません。健介さんがスマートフォンを使い始めたのは2年前のことでした。フィーチャーフォンに慣れ親しんだ健介さん。当初は「こんな小難しい操作できるか!」と不満を漏らしていましたが、拓也さんが孫の写真を送るようになってからは、みるみるうちに慣れていきました。今ではスタンプも使いこなし、時にはビデオ通話も楽しむようになっていたのです。
(まさか、倒れているのでは……)
そんな最悪のシナリオが頭を離れず、いてもたってもいられなくなった拓也さんは、上司に事情を説明して会社を早退し、東京駅へと急ぎました。新幹線に揺られながら、最後に帰省した正月の健介さん姿を思い出します。少し物忘れが増えたように感じたものの、「もう歳だからな」と笑っていました。拓也さんも「年相応だよ」と軽く返すだけでした。あのとき、もっと深く話を聞いていれば……後悔の念が押し寄せました。
重い気持ちを抱えながら、拓也さんは実家のドアの前に立ち、意を決してインターホンを押しました。数秒後、ガチャリとドアが開き、父がひょっこりと顔を出したのです。
「おお、拓也か。どうしたんだ、急に」
そこには、見た目は以前と変わらぬ父の姿がありました。中もきちんと片付いています。想像していた最悪の事態とは異なる光景に、拓也さんは全身の力が抜けていくのを感じました。
「なんだよ、親父……。連絡しても全然返信がないし、電話にも出ないから、心配して飛んできたんだぞ」
「そうだったか? すまんすまん。どうも最近、こいつをあまり見なくなってな」
そう言って健介さんが指差したのは、リビングのテーブルに置かれたスマートフォンでした。しかしその画面は真っ暗で、電源が落ちていました。拓也さんが充電ケーブルをつなぐと、健介さんはどこかバツの悪そうな、不安げな表情でそれを見つめていました。
父が見せた「決定的な兆候」
「最近、どうもこいつの使い方がよく分からなくなってしまってな……」
健介さんの言葉に、拓也さんは耳を疑いました。
「使い方って……いつも使ってただろ?」
「いやあ、なんだか急にだな。どれを押したら何ができるのか、さっぱりで……」
信じられませんでした。あれほど楽しそうに孫とのビデオ通話をしていた父が、まるで初めてスマホを触るような態度をとっているのです。「ほら、これだよ。いつも使ってる緑のやつだよ」。拓也さんがLINEのアイコンを指差しても、健介さんの目はどこか泳いでいます。その後の数十分で、拓也さんは愕然としました。文字の入力や写真の送り方など、1から説明しても「うーん」とうなるばかり。まるで昨日までできていたことが、脳からすっぽり抜け落ちてしまったかのようでした。
「もういい!こんなもの、なくても生きていけるわ!」
健介さんがスマホをテーブルに叩きつけた音がリビングに響きました。それは、単なる癇癪ではなく、どこか不安や憤りを感じさせるものだったといいます。
拓也さんは何気ないふりをして部屋を見渡します。壁のカレンダーには、毎日つけていた赤い丸印が5日前から止まっています。冷蔵庫を開けると、同じメーカーの納豆が10パック以上も詰め込まれていました。拓也さんの不安は確信に変わり、健介さんと一緒に病院へ。認知症の初期との診断を受けました。
認知症ではないかと思われる言動として、今切ったばかりなのに、電話の相手の名前を忘れるなどもの忘れがひどくなったり、新しいことが覚えられなくなるなど判断・理解力が衰えたり、好きなものに興味・関心を示さなくなるなど意欲がなくなったり、さまざまなことが起きます。なかには「昨日まではできていたのに……」ということも。認知症のもの忘れは加齢のものとは異なり、もの忘れの自覚がないことがほとんど。そのため、本人が強い不安感を覚えることも珍しくありません。
厚生労働省の資料によると、2025年、認知症患者はおよそ700万人。65歳以上の高齢者に占める割合は、この10年強で15%から20%に増えました。高齢化の進展とともに患者は増え続け、2040年には802万~953万人に増えると予測されています。認知症の問題は、高齢の親をもつ人であれば誰もが直面する可能性があるのです。
拓也さんは、父の異変に気づけた自分を「まだ間に合った」と思いたいと語ります。
「親が元気だと思い込んでいた。でも、いつも通りではなくなって、すぐ気づけたのは、週に一度のLINEがあったからかもしれません」
[参考資料]
厚生労働省『認知症および軽度認知障害(MCI)の高齢者数と有病率の将来推計』

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