人生の節目を迎えたとき、私たちが頼りにする「公的な保障」。その仕組みや受け取れる金額について、正確に理解している人は意外と少ないかもしれません。本記事では、年金制度の現実と、その落とし穴について考えていきます。

夫婦二人、ささやかな年金暮らし…将来への漠然とした不安

郊外に居を構える鈴木良子さん(65歳・仮名)にとって、夫の明夫さん(66歳・仮名)と過ごす穏やかな時間は、何にも代えがたい宝物でした。現役時代は朝早くから夜遅くまで働き詰めだった明夫さんも、65歳で仕事を辞めてからは、夫婦の暮らしは完全に年金収入のみに移行しました。

明夫さんの年金が月およそ16万円、良子さんは月およそ7万円。夫婦二人合わせると月収は23万円ほどです。厚生労働省が試算する「夫婦2人分の老齢基礎年金を含む標準的な年金額」は、月23万2,784円。鈴木さん夫婦はまさに日本の平均的な高齢者夫婦でした。

一方で良子さんが不安に思っていたのが、万一のときのこと。保険には入っているものの、医療保障が中心で死亡保障は微々たるもの。万一、明夫さんが亡くなったら、良子さんの年金は月7万円だけになってしまう……。

公益財団法人生命保険文化センター『2024(令和6)年度「生命保険に関する全国実態調査」』によると、生命保険(個人年金保険を含む)の世帯加入率は2人以上世帯では89.2%。高齢夫婦無職(60歳以上)における普通死亡保険金額は、世帯主が551万円、配偶者が412万円です。また世帯主が万一の場合の必要生活資金は238万円だとされます。確かに、月7万円の収入となると、不安になるのも無理はありません。

「心配性だな。大丈夫だって、ちゃんと遺族年金があるじゃないか」

明夫さんは自信満々にそう答えたといいます。良子さんも「遺族年金」という言葉は聞いたことがありましたが、万一のときにいくらもらえるかなど、詳しいことは知りませんでした。

「俺がもらっている年金の、だいたい4分の3は、お前がもらえることになっているんだ。だから心配するな」

16万円の4分の3ということは、月12万円。良子さん自身の年金と合わせると、約19万円です。確かに1人であれば余裕があるとはいえませんが、暮らしていけそうな金額です。

「自信満々に答える夫に、『ちゃんと考えてくれているんだな』と感じ、それ以上は特に何も気にしていませんでした」

「4分の3もらえる」は本当だが…遺族年金の落とし穴

良子さんの不安が的中したのは、それから半年も経たない、ある冬の朝のこと。明夫さんが、布団の中で冷たくなっていたのです。死因は、急性心筋梗塞でした。

悲しみに暮れる暇もないほど、葬儀や諸々の手続きに追われる日々が続きます。四十九日を終え、少しだけ落ち着きを取り戻した良子さんは、今後の生活のため、重い足取りで年金事務所へと向かいました。遺族年金の手続きのためです。

「大丈夫、夫が遺してくれた年金がある」。そう自分に言い聞かせながら順番を待ち、窓口の担当者に夫の死を伝え、必要書類を提出しました。担当者は丁寧ながらも淡々と手続きを進め、やがて良子さんに、今後の年金受給額について説明を始めました。

「ご主人の明夫様は老齢厚生年金と老齢基礎年金を受給されていましたので、良子様には遺族厚生年金が支給されます」

良子さんは、夫の言葉を思い出していました。「俺の年金の4分の3はもらえる」。その言葉を信じ、担当者の次の言葉を待ちます。

「計算しますと、良子様が受け取れる遺族厚生年金の額は、明夫様の老齢厚生年金の報酬比例部分の4分の3になりますので、月額でおよそ6万円ですね」

良子さんの耳に飛び込んできたのは、予想とはあまりにもかけ離れた金額でした。12万円もらえるはずではなかったのか。頭が真っ白になる良子さんに、担当者の説明が続きます。

「そして、良子様ご自身の老齢基礎年金が月約7万円ありますので、合計で月々13万円ほどの受給額になる見込みです」

これこそ、遺族年金における最もよくある勘違いです。「亡くなった人の年金の4分の3がもらえる」と多くの人が思っていますが、正しくは、「遺族厚生年金の受給額は、亡くなった人の老齢厚生年金の4分の3」。基礎年金を含めて計算してしまうと、良子さんのように「えっ、思っていた金額よりもずいぶんと少ない」という事態に陥るのです。

さらに遺族年金には、「繰下げ受給による増額分は反映されない」「自身の老齢厚生年金と同時に満額はもらえない」など、一般には知られていない複雑なルール(落とし穴)が存在するのです。

あまりに複雑で、担当者の丁寧な説明を一度聞いただけでは全てを理解できませんでした。しかし、確かなことは、夫亡きあとの年金は月13万円ほどだということだけ。

「じゅ、13万円……それだけで……」

「遺族年金があるから大丈夫だって言ったじゃない……」

年金月23万円でやっと成り立っていた生活が、これからは月13万円にも満たない金額でやっていかなくてはならない。家賃を払い、光熱費を払い、食費を払えば、もう何も残らない。夫が楽観的に口にした「大丈夫」という言葉が、呪いのように頭の中で繰り返され、良子さんは思わずその場に膝から崩れ落ちました。

万一のときに向けた備え。公的な制度について、人から聞いた話を鵜呑みにするのではなく、自ら正確な情報を確認しておくことがいかに重要であるかを、この一件は物語っています。

[参考資料] 厚生労働省『令和7年度の年金額改定についてお知らせします』 公益財団法人生命保険文化センター『2024(令和6)年度「生命保険に関する全国実態調査」』

(※写真はイメージです/PIXTA)