ペニコ遺跡の航空写真/ Image credit:Peru Ministry of Culture[https://www.infobae.com/peru/2025/07/04/penico-la-nueva-joya-arqueologica-de-peru-de-3500-anos-centro-de-intercambio-de-culturas-y-sucesora-de-caral/]

 アメリカ大陸最古の文明として知られるユネスコ世界遺産「カラル遺跡」。その謎を解く鍵となる新たな遺跡が、ペルー北部の高地で発見された。

 約3500年前(紀元前1500年)に築かれた古代都市「ペニコ(Peñico)」は、太平洋沿岸と山岳地域、さらにはアマゾン地帯をつなぐ交易の要衝であり、カラル文明の伝統を受け継いだ新たな都市として発展した。

 この発見は、世界四大文明に匹敵するほど古いアメリカの古代文明が、どのように変化し、継承されていったかの歴史を紐解くヒントとなりそうだ。

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アメリカ最古の文明「カラル」とは?

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 カラル文明(遺跡)は、紀元前3000年頃(今から約5000年前)、ペルー中部のスーペ渓谷(現在のリマ州北部)で栄えた、アメリカ大陸最古の文明とされている。

 この文明は、ピラミッド型の神殿を中心とした都市計画、灌漑を利用した農業、広範囲に及ぶ交易ネットワークなど、高度に組織化された社会構造を特徴としていた。

 古代エジプトメソポタミア文明とほぼ同時期に存在しながら、他の地域の影響を受けず独自に発展した点でも注目されており、2009年にはユネスコ世界遺産に登録されている。

 しかし、紀元前1800年頃(今から約3800年前)より、気候変動の影響で主要な都市が衰退しはじめた。

 その末期にあたる時期に出現したのが、カラル文化を受け継ぐ、今回発見された古代都市ペニコ遺跡だ。

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新たに発見されたペニコ遺跡 Plataforma del Estado Peruano / Zona Arqueológica Caral[https://www.gob.pe/institucion/caral/noticias/1203647-penico-la-nueva-joya-arqueologica-de-los-valles-de-supe-y-huaura-abre-sus-puertas-al-peru-y-al-mundo]

アンデス地域をつないだ古代の交易都市「ペニコ」を発見

 約3500年前(紀元前1500年~1800年)ごろに栄えた交易都市「ペニコ(Peñico)」は、ペルーバランカ郡の標高600mの丘の上で発見された。

 発掘チームを率いたのは、1990年代アメリカ大陸最古の都市遺跡とされる「カラル遺跡」を発見したことで有名な考古学者ルース・シャディ博士だ。

 シャディ博士はペルー文化省での記者会見で「ペニコはカラル文明を受け継いだ都市で、その位置は地理的にも文化的にも非常に戦略的なものである」と発表した。

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 ペニコはスーぺ川と並行する丘の上に築かれ、周囲には標高1,000mの丘陵地帯が広がっている。

 こうした立地は、ペニコを洪水や地滑りから守り、さらには都市の建造物の象徴性を高めることを念頭に意図的に選ばれたと考えられている。

 また交易の中継地としても有利な場所であり、沿岸部や高地、あるいはアマゾンの熱帯雨林に存在した各地の共同体とつながっていた。

儀式に用いられたとされる環状の構造 / Image credit:Peru’s Ministry of Culture[https://www.independent.co.uk/news/science/archaeology/peru-lost-city-penico-south-america-archaeology-b2783723.html]

建築と遺物に残る古代人の暮らしと信仰

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 ペニコでは、大小含めた公共の建築物・神殿・住居など、18の建築構造が確認されている。

 中でも注目されるのは「B2」と呼ばれる建築物だ。

 主要な公共建築物の一部として作られており、その壁面には「プトゥトゥ(Pututu)」という巻貝で作られた笛の浮き彫り装飾が施されている。

 この笛は、儀式や集会の合図・社会の象徴・神への供物として用いられ、当時の古代アンデス社会では重要な役割を担っていた。

 さらに、人・動物を模したものや儀式用の粘土像、貝・骨・粘土など多様な素材のビーズで作られたネックレス、すり石・打撃用具といった石器類など、多彩な遺物が出土している。

「B2」と呼ばれる建築物 Plataforma del Estado Peruano / Zona Arqueológica Caral[https://www.gob.pe/institucion/caral/noticias/1203647-penico-la-nueva-joya-arqueologica-de-los-valles-de-supe-y-huaura-abre-sus-puertas-al-peru-y-al-mundo]

アメリカ大陸最古の文明の伝統を承継

 ペニコの発見が特に重要なのは、気候変動によって衰退したカラル文明がその後どうなったのか解明する手がかりとなるからだ。

 今回の発掘調査では、カラル文明の主要都市が衰退した後も、ペニコの住民がカラルの社会・経済ネットワークを引き継ぎ、その伝統を継続させていたことが明らかになっている。

 なお、こうした高い地位をペニコが維持できたのは、ここが赤色顔料の原料となる「赤鉄鉱ヘマタイト)[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E9%89%84%E9%89%B1]」の採取と流通に関わっていたからである可能性があるという。

 赤色顔料は、アンデス地域で信じられていた宇宙観において、きわめて象徴的なものだ。

 それにゆえに、ペニコが単なる物品だけでなく、精神的・文化的に重要な素材をも扱える交易拠点としての地歩を築くことができたのかもしれないのだ。

ニコ中心にある環状構造。石と泥で造られた建物の遺構に囲まれている / Image credit:Peru Ministry of Culture[https://rpp.pe/peru/actualidad/penico-la-joya-prehispanica-de-peru-de-mas-de-3-800-anos-abre-sus-puertas-al-mundo-noticia-1644772?ref=rpp]

古代アメリカ文明の継続性を示す重要な発見

 ペニコの発見は、単なる考古学的発見にとどまらず、古代アンデス文明の連続性と進化を解き明かす“失われたピース”として重要なものだ。

 この遺跡は、5000年前にカラル文明が築いた高度な都市計画・交易ネットワーク・文化的習慣が絶えることなく、時代とともに変化しながら引き継がれていったことを示している。

 それはインカ帝国のマチュ・ピチュナスカの地上絵と並び、ペルーが古代文化の中心地であることが改めて伝えるとともに、アメリカ先住民文明の理解を根本から見直す必要性を告げている。

 なおペニコは、カラルの遺跡群の1つとして一般公開される予定で、2025年7月12日には伝統的なアンデスの祝祭である「ペニコ・ライミ祭」が開催されたそうだ。

References: Infobae[https://www.infobae.com/peru/2025/07/04/penico-la-nueva-joya-arqueologica-de-peru-de-3500-anos-centro-de-intercambio-de-culturas-y-sucesora-de-caral/] / Gob.pe[https://www.gob.pe/institucion/caral/noticias/1203647-penico-la-nueva-joya-arqueologica-de-los-valles-de-supe-y-huaura-abre-sus-puertas-al-peru-y-al-mundo]

本記事は、海外の情報をもとに、日本の読者がより理解しやすいように情報を整理し、再構成しています。

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ペニコ遺跡の航空写真/ Image credit:<a href="https://www.infobae.com/peru/2025/07/04/penico-la-nueva-joya-arqueologica-de-peru-de-3500-anos-centro-de-intercambio-de-culturas-y-sucesora-de-caral/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">Peru Ministry of Culture</a>