
表面上は穏やかに見える夫婦でも、心の奥底にはそれぞれの葛藤や決断が潜んでいるものです。価値観や人生観の違いが、長い年月を経て鮮明になることも。夫婦の「これから」を考えるとき、誰もが直面しうる問題なのかもしれません。
君には感謝しかない…優しい言葉で切り出された「残酷な宣告」
田中咲子さん(52歳・仮名)の人生は、順調に進んでいるように見えました。夫の大介さん(55歳・仮名)は年収1,200万円の大手企業勤務。一人息子の翔太さん(24歳・仮名)も独立し、先日、素敵な婚約者を連れて挨拶に来たといいます。
「よかったわね、あなた。これで私たちも、これからは夫婦でのんびり旅行でも行けるわね」
リビングでそう微笑む咲子さんに、大介さんも「そうだね」と、優しい目を向けました。しかし、その数日後の週末、大介さんは、いつになく真剣な面持ちで切り出します。
「咲子、大事な話があるんだ。長年連れ添った君だからこそ、きちんと誠意をもって話さなければいけないと思っている」
その穏やかで有無を言わさぬ雰囲気に、咲子さんは背筋を伸ばしました。そして告げられたのは、想像を絶する言葉でした。
「離婚を考えてはくれないだろうか」
それは命令ではなく、提案。拒絶ではなく、問いかけ。しかし、その内容はあまりに暴力的でした。
「どうして……。私が何か、至らないことでも?」
涙で言葉が続かない咲子さんに対し、大介さんは「違うんだ。君に非は一切ない。本当に。これは、僕自身の問題なんだよ」と、心から申し訳なさそうに繰り返します。その言葉と態度は、一見すると深く悩んだ末に結論を出し、妻を気遣う夫の姿そのものでした。
近年、夫婦が長年連れ添った後に離婚を選択する、いわゆる「熟年離婚」は珍しいことではなくなっています。厚生労働省『人口動態統計月報年計』によると、2022年に離婚した夫婦のうち、同居期間が20年以上の「熟年離婚」の割合は21.7%。離婚件数自体は減少傾向にありますが、熟年離婚は高止まりが続いているとされています。
夫が語る自分本位な結婚の真実
話し合いは平行線を辿りました。咲子さんが泣いて離婚を拒んでも、大介さんは決して声を荒らげることはありません。
「咲子がそう思うなら仕方ない。でも、少しだけ僕の話も聞いてもらえないだろうか」。大介さんは常に、咲子さんの気持ちを尊重する姿勢を崩しませんでした。その逃げ道を残すような物言いが、かえって咲子さんを精神的に追い詰めました。そしてある夜、大介さんはついにその本心を語り始めました。
「僕は、『田中家の長男』という役割をずっと担ってきた。地方の旧家の跡継ぎをもうけることが、僕の人生のすべてだったんだ。君と結婚したのもその使命を果たすことが第一だった。咲子のおかげで、僕はその役目を無事に果たせた。本当に、君には感謝している」
そこまで語ると、大介さんは咲子さんの目をまっすぐに見て、感謝の言葉を口にします。それはまるで、長年の功労を称える表彰状を読み上げるかのようでした。
「翔太も、もうすぐ自分の家庭を持つ。僕の役目はこれで終わりだ。これからはもう、僕やこの家のしがらみに縛られず、君自身の人生を自由に生きてほしい」
裁判所『令和5年 司法統計』によると、夫からの離婚申し立てで最も多い理由は「性格が合わない」で、「精神的に虐待する」、「異性関係」と続きます。一方で妻からの申し立てでは、「生活費を渡さない」や「暴力を振るう」といった理由も多く見られます。
咲子さんの涙はすっと引いていました。これまでの結婚生活を全否定するかのような大介さんの身勝手で、意味の分からない言葉、あくまでもキレイに終わらせようとする態度に、気持ち悪ささえ覚えたといいます。
「よくわかりました」
一瞬、安堵の表情を浮かべた大介さんに向かい、咲子さんは冷静に続けました。
「その代わり、私がこの25年間、『田中家』に捧げてきた労働の対価を、退職金や慰謝料という形で、きっちりと見せてもらいます」
離婚における慰謝料は、相手方の有責行為*が主たる原因となって離婚に至った場合に請求できます。田中さん夫婦の場合、これに当てはまるかは微妙なところかもしれません。
*不貞や、身体的・精神的暴力、悪意の遺棄(生活費の不払いなど)、その他婚姻上の義務に違反する行為のこと
財産分与では、婚姻中に双方の協力によって取得した財産が精算の対象となります。また、退職金を確実に受け取れると見込まれる場合には、財産分与の対象とすることも可能です。さらに一定の条件を満たせば、婚姻期間中の厚生年金の納付記録を、離婚した当事者間で分割できます。財産分与の請求は、離婚のときから2年以内であれば請求することができます。
咲子さんは、「絶対妥協はしません。1円でも多く、ぶんどってやります」と息巻いています。
[参考資料] 厚生労働省『人口動態統計月報年計』 裁判所『令和5年 司法統計』 法テラス『離婚・DV・恋愛トラブルに関するよくある相談』

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