大川原化工機(おおかわらかこうき)の社長らが巻き込まれた冤罪事件は、警察や検察、裁判所などの国家権力が暴走・機能不全に陥る恐ろしさを浮き彫りにした。しかし、責任を問われるべきは他にもある。

「警察の情報を丸呑みにして報道してきたみなさんの姿勢を検証してください」

無実を知らないまま亡くなった男性の遺族は、記者会見に集まった記者たちにこううったえた。

権力を監視すべきマスメディアは、今回の冤罪事件をどう伝えてきたのか。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)

●被疑者の主張を報じなかった社も

横浜市の化学機械メーカー「大川原化工機」の大川原正明社長と元取締役の島田順司さん、元顧問の相嶋静夫さんの3人は2020年3月11日、同社製の噴霧乾燥器を中国に不正輸出した疑いで警視庁公安部に逮捕された。

3月12日の全国紙の見出しは、以下の通りだ。

読売新聞
<中国に不正輸出 社長ら逮捕 外為法違反容疑 生物兵器転用可の機械>

朝日新聞
<軍事転用可 機器を輸出容疑>

毎日新聞
<兵器転用可の装置輸出 警視庁 容疑の社長ら逮捕>

日経新聞
<軍事転用可の機器 輸出 噴霧乾燥機 容疑で社長ら逮捕>

朝日は3人の実名を、読売・毎日・日経は大川原社長のみ実名を記載した。

3人は任意の取り調べ当初から一貫して容疑を否認し、会社としても事件への関与を否定していた。しかし、被疑者側の主張を掲載したのは、読売と毎日だけだった。

読売新聞
「同社は11日、読売新聞の取材に『輸出したのは規制対象外の製品で、違法ではない』とコメントした」

毎日新聞
「同社の担当者は11日、取材に『経産相の許可が必要なスプレードライヤは内部のゲン滅菌や殺菌をすることができるものであり、輸出した製品は該当しないと考えている。違法なことはしていない』と話した」

一方、朝日と日経は「公安部は3人の認否を明らかにしていない」と記すにとどまった。

●再逮捕も被疑者の声は載らず

3人は2020年5月26日、韓国へ噴霧乾燥機を輸出した疑いで再逮捕された。この際も各社は次のような見出しを掲げた。

読売新聞
<韓国に不正輸出容疑 再逮捕 社長ら3人 生物兵器転用可の機械>

毎日新聞
<兵器転用可能な装置輸出疑い再逮捕>

日経新聞
<不正輸出容疑で再逮捕 社長ら3人 韓国に規制対象品 警視庁

朝日の記事は紙面で確認できなかったが、朝日新聞によると、デジタル版で配信したという。

再逮捕報道では、各社とも3人の否認については触れていなかった。日経は再逮捕時点で島田さんと相嶋さんの実名を掲載した。

●起訴取り消し後、記事が微増

この事件をめぐっては、逮捕や再逮捕の前後の新聞紙面で目立った続報を確認することはできず、各社が「特ダネ」を激しく競い合うような状況になっていなかったと推測される。

その後、大川原化工機が再び取り上げられたのは、1年後のことだ。

2021年7月30日、東京地検は初公判が始まる直前に起訴を取り消した。各社は翌7月31日の紙面で次のような見出しで報じた。

読売新聞
<外為法違反 検察が起訴撤回>

朝日新聞
<地検 起訴取り消し 「軍事関連輸出」被告の2人>

毎日新聞
<男性2人、起訴取り消し 外為法違反、無許可輸出対象外 東京地検>

日経新聞
<不正輸出に疑義 起訴取り消し 東京地検>

記事では「検察側による起訴の撤回は異例」「社長らの弁護人から指摘を受け、警視庁と東京地検が起訴後に改めて調べた結果、同社製品は輸出許可の必要がない可能性が浮上したためとしている」などとされている。

大川原化工機側は2021年9月、国と東京都に損害賠償を求めて提訴。これ以降、一部の全国紙は、まとめ記事を掲載した。

毎日新聞 2021年10月25日付け夕刊
<「無実」知らぬまま最期 「兵器」不正輸出、一転起訴取り消し 技術者遺族ら国賠提訴>

朝日新聞 2021年11月5日付け朝刊
<なぜ勾留…わからず11カ月><機械業者「無許可輸出」起訴取り消し><保釈なく病死「ずさんだ」><診察「すぐに受けられず」>

読売新聞 2021年12月12日付け朝刊
<「生物兵器転用可」機械輸出で逮捕><自社実験72回「無実」を証明><社長332日拘束「捜査検証を」><元顧問 被告のまま病死>

各社は、人質司法の問題などに触れてはいるものの、基本的に大川原化工機側が裁判で主張していることを紹介する内容で、独自に捜査の問題点を掘り下げる報道は見当たらなかった。

●転機となった警察官の「捏造」発言

事態が大きく動いたのは2023年。

同年6月30日、大川原化工機の社長らが起こした国家賠償請求訴訟の証人尋問で、警視庁公安部に所属する現役警察官が法廷で「捏造」と証言した。翌日の各紙は大きな見出しでこれを報じた。

読売新聞
<「大川原化工機」訴訟 「事件は捏造」警官証言 精密機械輸出巡り>

朝日新聞
<公安捜査員「捏造」証言 国賠訴訟 起訴取り消し事件 無許可輸出立件「個人的な欲」>

毎日新聞
<「捏造」警察官が証言 起訴取り消し国賠訴訟>

データベースで「大川原化工機」を検索すると、「捏造発言」を境にヒットする記事の数が明らかに増えていた。

中でもNHKと毎日新聞は、捜査の問題点を独自に追い始めた。

NHKは2023年9月にNHKスペシャルで「冤罪の深層〜警視庁公安部で何が〜」を放送。その後も内部資料や音声データに基づき、捜査に問題があった疑いを報じた。

毎日新聞は2023年12月7日、朝刊1面で<「 公安 、立件方向にねじ曲げ」外為法違反 東京地検、捜査に疑念 起訴取り消し内部文書>と報道。公安部が不利なデータを除外していたことや、専門家への聴取内容を勝手に書き換えて報告書にまとめていたことなどを追及していった。

2023年12月27日、東京地裁が国と東京都に損害賠償を命じる判決を出すと、新聞各社は社説でも「違法な捜査の原因を究明せよ」(読売)、「公安捜査の暴走 なぜまかり通ったのか」(朝日)、「冤罪招く違法捜査を糾弾」などと取り上げた。

今年5月28日には、東京高裁も捜査の違法性を認定する判決を下し、その後、確定した。

●当局の動きに沿って報じるメディア

改めて一連の経緯をたどると、警視庁や東京地検の捜査の違法性が認められた大きなきっかけは、現職の警察官3人による「異例の告発」だったことがわかる。

この点について、大川原化工機側の代理人をつとめる高田剛弁護士は記者会見で「3人の証言がなければ今回の判決はなかったのは明らかです」と述べている。

逆に言えば、警察官の証言がなければ、捜査機関による重大な人権侵害が闇に葬られた可能性が高かった、ともいえる。

マスコミ関係者によると、途中から独自の報道を始めたNHKと毎日新聞も、取材を主導したのは警視庁記者クラブに所属していない記者たちだったという。

振り返ると、マスメディアの報道は、逮捕や起訴取り消し、裁判での証言など「当局の動き」に合わせて展開されていた。

●逮捕された島田さん「逮捕=罪人と報道しないで」

自身も逮捕され約1年間、身体を拘束された元取締役の島田順司さんは、今年3月、衆議院法務委員会でこう語った。

「実際に逮捕された時、自宅に警察官が来て、今日は取り調べをするということで警視庁に着いた途端に逮捕されました。

ただ、私どもの社長は本社に一度連れていかれて、本社を出てきたところでメディアが一斉に逮捕の写真を撮った。

その報道によって誹謗中傷をずっと受け続けました。結果、売上は4割落ち、社員やその家族の方もかなり心配したと思います。

メディアによって我々はかなり傷つけられた。逮捕イコール罪人というふうな報道がないようにしていただければと思います」

無実を知ることなく亡くなった相嶋さんの長男も、国と東京都が上告しないことが判明した日の記者会見でうったえた。

「警察の情報を丸呑みにして報道してきたみなさんの姿勢をみなさん自身で検証してください。その検証の結果も見守りたい」

朝日新聞が自社報道を検証「反論報じなかったのは不適切」

その後、自社報道を検証したのは、確認できた限りでは朝日新聞のみだ。

2025年6月12日付の朝刊で<「大川原化工機」冤罪事件 本社報道を検証 会社側の否定 掲載せず>と題した記事を掲載。

<不適切な判断 おわびします>という見出しとともに、東京社会部長の署名入りで以下のように述べている。

<今回、会社側の反論を報じなかった判断は報道の姿勢として不適切で、迅速に名誉回復を図れなかったこととあわせて、大川原化工機の関係者のみなさまに深くおわびいたします。

事件報道では、当初は警察発表に基づいて報道せざるを得ない面もありますが、捜査機関の監視を怠らず、容疑をかけられた側の主張も丁寧に伝える「対等報道」を改めて心がけます。特に否認している場合は、本文や見出しで目立たせるとともに、推定無罪の原則に立って継続的な取材に努めます>

●昨年の袴田さん無罪でも同様の「おわび」

報道機関が事件報道を「反省」する事例は、過去にもあった。

記憶に新しいのが、昨年、再審で無罪が確定した袴田巌さんだ。1966年静岡県で一家4人が殺害される事件が起きて以降、報道機関は袴田さんを「犯罪者扱い」する報道を続けてきた。

袴田さんの無罪が明らかになり、マスメディアの中には以下のように当時の報道に関しておわびする社があった。

<なぜ、このような報道を続けたのか。事件から半世紀が経過し、当時の編集局幹部に確認することはできませんが、時代背景が異なっていたこともあり、逮捕された容疑者の人権に配慮する意識が希薄でした。名前も呼び捨てにしていました。更に捜査当局への社会的信頼が厚く、捜査に問題があるかどうかを疑う視点が欠けていました> (毎日新聞

<事件当時、袴田さんを犯人視する報道を続け、結果的に読者、静岡県民を誤導したと言わざるを得ません> (静岡新聞)

<事件報道は世の中の関心に応え、より安全な社会を作っていくために必要だと考えています。ただ、発生や逮捕の時点では情報が少なく、捜査当局の情報に偏りがちです。これまでにも捜査側の情報に依存して事実関係を誤り、人権を傷つけた苦い経験があります。 こうした反省に立ち、朝日新聞80年代から事件報道の見直しを進めてきました。推定無罪の原則を念頭に、捜査当局の情報を断定的に報じない▽容疑者、弁護側の主張をできるだけ対等に報じる▽否認している場合は目立つよう伝えるなどと社内指針で取り決めています> (朝日新聞

大川原化工機のケースは、袴田さんの再審無罪が確定する前に起きた。しかし、21世紀の今も、報道の構造的問題はほとんど変わっていないようにみえる。

●記者クラブ依存の壁

『犯罪報道の犯罪』などの著書があり、40年以上前から事件に関するメディア報道のあり方を問題視してきた元共同通信記者の浅野健一さんは、次のように批判する。

「"事件"がそもそもなかった大川原化工機事件の冤罪を警視庁内の警察担当記者がまったく見抜けなかったことが、日本にしかなく戦時下の1942年に今の形になった『記者クラブ』の現実を表しています。

記者クラブ所属のメディア企業社員記者は、警察・検察など捜査当局を懐疑的に見て『冤罪ではないか』という視点を持たない。

警察官と私的に仲良くなって、夜討ち朝駆け取材で非公式情報を取る構造がある限り、大川原化工機事件のような捏造事件すら見抜けません。

相嶋静夫さんの長男の訴えに応え、大川原化工機の冤罪事件に関する自分たちの捜査段階における取材と報道をまず集めて記録し、プレスオンブズマンのような市民と専門家が参加する調査委員会を今すぐ設けるべきです」

「警察情報を丸呑み」冤罪に加担するマスコミの罪、記者クラブの限界が浮き彫りに…大川原化工機事件