
多くの人の関心ごとである「老後資金」の問題。しかし、老後に必要なお金の目安は情報の発信元によってもばらつきがあります。何を基準に、どのように目安を立てればいいのでしょうか。FPが解説します。
頻出する質問「退職時、貯金がいくらあれば大丈夫?」
「退職時に、貯金がいくらあれば大丈夫ですか?」という質問を受けることがあります。確認したい気持ちはわかります。答えがもらえたら、それに向けて準備を進められるし、安心できる人もいるでしょう。
しかしこれは、答えに困る質問の典型です。なぜなら、「人それぞれ」としかいえないからです。
老後の収入は人によって異なります。自営業だった人の場合、国民年金しか収入源がない人がいます。一方で、夫婦共働きで厚生年金をしっかりもらえる人もいます。同じ夫婦共働きでも、現役時代の給与によって厚生年金額は違います。老後の収入には大きな差があるのです。
老後の支出も同様です。現役時代から節約生活が身についている人は、老後生活も自然に節約生活を続けます。浪費が癖になっている人は、老後生活も浪費してしまいます。いまの生活の延長線上に老後生活があり、老後の支出にも人それぞれ大きな差があるのです。
収入と支出にそれぞれの違いがある以上、「退職時に貯金がいくらあれば大丈夫ですか?」という質問には「収入や支出の情報を正確に頂いて分析しないとわかりません」という回答しかできません。それほど算出に手間がかかる数字なのです。
「老後2,000万円問題」の真相
2019年、国会でも取り上げられて大きな議論を呼んだ「老後2,000万円問題」。これは「65歳の退職時に夫婦で2,000万円の貯蓄が必要」という話でした。ところでこの「2,000万円」という数字はどこから出てきたのでしょうか?
元ネタは2017年の総務省家計調査です。このデータにある「夫65歳以上、妻60歳以上で構成する夫婦一組の無職世帯」の毎月の収入の「20万9,198円」と、支出の「26万3,718円」という数字を差し引き、「毎月5万4,519円の赤字」という計算結果を導き出しました。老後生活30年分で、その赤字がどれほどの金額になるかを算出したところ、「5万4,519円×12ヵ月×30年=1,963万円」となり、それを論拠に「2,000万円足りない!」という騒ぎになったのです。
平均値が「アテにならない」ワケ
実は、もうひとつ重要な情報があります。同じく2017年の総務省家計調査の「夫65歳以上、妻60歳以上で構成する夫婦1組の無職世帯」の貯蓄額は2,484万円、負債が51万円で、差し引き2,433万円の余裕資金があるという結果です。
皆さんはこれについて、どのように感じるでしょうか? 筆者は納得してしまいました。「2,433万円の余裕資金のある人が、老後生活30年で2,000万円を取り崩していく生活を送っている」という平均像です。これはいたって普通の、無理のない取り崩し生活です。
よく考えれば当たり前のことで、貯蓄のない人が毎月5万円以上の赤字を垂れ流す生活など、できるはずがないのです。貯蓄がない人は節約をがんばって生活をするし、貯蓄がある人は支出をするという、それだけの話です。
総務省家計調査の結果は平均値です。このなかには、お金持ちの人のデータが含まれています。このような統計データは、しばしばお金持ちに平均値が引っ張られることがあります。老後生活の収入や支出が人それぞれであるのと同様、平均値で議論しても、自分の生活の参考にはなりません。「私の場合はどうなのか」を考えることが本当に重要です。
総務省家計調査は毎年実施しています。2,000万円という数字は2017年の調査から計算されましたが、違う年の調査結果で計算するとどうなるか気になりませんか? 実は、[図表2]のような結果になっています。

2020年のように、コロナウイルスで活動を自粛して支出が減った年には、貯蓄が不要であるかのような結果となっています。その他の年も大きく変動しています。そもそも2,000万円という数字にそれほど意味がないのです。
一方で、貯蓄額も毎年調査しています。こちらは、ほぼ2,400万円近辺で変化していません。お金持ちが引っ張り上げていることを、改めて指摘しておきます。

[図表2]と[図表3]の2つのグラフを重ねてみると、「貯蓄の範囲で取り崩しながら老後生活をしている」ということが見えてきます。

平均寿命で考えると間違える
2,000万円問題の根拠の金額は、老後生活を30年として計算していましたが、ここでは老後の生活を何年間として計算すればいいのかを考えてみます。考えるべきは「寿命」です。そして、ポイントは「女性90歳」です。
「寿命」と聞いて浮かぶ言葉は「平均寿命」です。令和5年の厚生労働省の簡易生命表より、男性の平均寿命は81.09歳、女性の平均寿命は87.14歳であることがわかります。この数字が皆さんの平均的な寿命だと考えるとそれは間違いです。平均寿命は、「0歳の乳幼児が生存するだろうと考えられる平均年数」です。つまり、皆さんは0歳ではないので平均寿命を見ても意味がないのです。
平均寿命以外にも「寿命」と名の付くデータがいくつかあります。
平均寿命:0歳の平均余命(0歳の乳幼児が生存するだろうと考えられる平均年数)
65歳平均寿命:「65歳の平均余命+65歳」(65歳の人が何歳まで生きることができるかという期待値)
寿命中位数:出生者のうちちょうど半数が生存し半数が死亡すると期待される年数
死亡年齢最頻値:最も死亡数の多い年齢
そのほかに「健康寿命」というものもあります。健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる年齢です。
「何歳まで生きるのか」という疑問については「自身の年齢の平均余命から考える寿命」「寿命中位数」「死亡年齢最頻値」を参考にするとよいでしょう。それぞれ差はありますが、男性85歳程度、女性90歳程度の年齢が見えてきます。

2,000万円問題は「夫65歳以上、妻60歳以上で構成する夫婦1組の無職世帯」を対象にしていたので、妻90歳となるまでの30年間で計算したのは妥当だといえるでしょう。
さらに注意すべきことは、これはあくまでも平均値、中位数、最頻値ということです。つまり、半分の人はこの年齢以上に長生きすると考えておいたほうがいいということです。思った以上に人生は長く、「人生100年時代」も誇張ではないのです。
ほとんどの人が理解していない「自分の資産寿命」
「人生100年時代」の話題を上げると、「私はそんなに長生きしないです」とか「自分は70歳で死ぬから」という人が少なくありません。筆者は「そんなに簡単に死ねないですよ」と笑って話すのですが、自分が長生きすることをイメージしていない人の多さには驚きます。
だれしも、ある程度の長生きをイメージしたうえで、人生を考えていく必要があります。少なくとも男性85歳、女性90歳です。実際にはもう少し余裕を持ちたいところです。
そして、自分の命のことだけでなく、あわせて「お金の寿命」についても考える必要があります。皆さんは「資産寿命」が何歳か考えたことがあるでしょうか。「いまの生活を普通に続けたら、わが家の資産は〇〇歳で尽きる」という話です。これをイメージできていない人がほとんどなのです。
資産寿命という観点で捉えると、長生きはリスクです。リスクというと少し悲しく聞こえますが、それは事実です。そしてリスクである以上、備えが大切になります。
資産寿命を試算するには、技術的なむずかしさがあります。ただし、これを知ることで改善すべきことが見えてきたり、安心感が得られたりします。家計を見直して資産寿命を延ばすことになるかもしれませんし、意外にも余裕があることが判明し、健康なうちに有意義に使えるかもしれません。未来を見通し、生活を変えるきっかけにできるため、資産寿命は非常に重要な情報なのです。
多くの人は自身の資産寿命がわからず「不安だがどうしていいかわからない」「だからなにもしない、できない」という状態です。もしくは、不安になってよく理解もせずに投資を始めてしまう人や、なかには騙されてしまう人もいます。
長生きリスクを理解し、成り行きの生活をした場合の資産寿命を把握し、自らの未来を変えるためにどう取り組むかを考えることが大切です。必要な時期に必要なお金が不足することがないようにしていきたいですね。
小林 篤典 FP事務所 きずな 所長

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