
チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ14世が、後継者選びについて、自らの死後に生まれ変わりを探す「輪廻転生(りんねてんしょう)」の制度を継続する意向を示した。
【映像】ダライ・ラマ14世、2歳のときに生まれ変わりと認定(実際の映像)
2015年に公開されたドキュメンタリー映画「ダライ・ラマ14世」は、気軽に話すダライ・ラマの姿を描いている。6年間密着取材した写真家の薄井一議氏は「最初に出会った時の印象は『オーラがないオーラを持っている人だ』と思った。自然体で、初めて会う人間を受け入れてくれた。誰をも受け入れてくれる感じが、第一印象だった」と振り返る。
そして、「『ご縁』という言葉を猊下(げいか)と会って気づくようになった。目の前に1個1個、1日1日来たものに何かしらの縁があるのだろうなと。来たものを1回断らずに受けてみることは、何かしら重要なことなのかもしれない」と語る。
ダライ・ラマ14世は7月6日、90歳の誕生日を迎えた。その4日前には、後継者について、「私ダライ・ラマは次世代の継続、輪廻転生を確約する」と発言している。
輪廻転生とは、人の魂は前世、現世、来世と連続しつながっていて、肉体を変え何度も生まれ変わるという仏教の考えだ。それを存続させるとあえて明言する狙いは、どこにあるのか。
チベットの政治に詳しい東京大学大学院 法学部 法学政治学研究科の平野聡教授は、「これは政治家の発言として、中国共産党の関与を一切、無効化する意味がある」と推測する。「これまでのダライ・ラマ14世と、中国との複雑な関係における、1つの大きな転換点。ある意味で総決算だ。宗教を信じる人(チベットの人)が、どのように信仰を続けたいのか。一方でそもそも中国共産党は宗教を全く信じない。中国が宗教を国家のためにねじ曲げようとしていると、まさにこの2つの考え方の大きな衝突が起きている。このことが今回の声明によって明らかになった」。
ダライ・ラマ14世は、1967年に初来日して以来、23回にわたり日本へやってきた親日家だ。東日本大震災の翌月には、四十九日法要も執り行った。こうした平和活動は世界的にも評価され、1989年にはノーベル平和賞も受賞している。
アメリカのオバマ元大統領やトランプ大統領とも会談経験があるが、彼が世界の要人と会うたび、中国政府は厳重な抗議の声明を出す。過去には中国側のスパイによると思われる暗殺計画や暗殺未遂疑惑が、海外メディアによって報じられたこともある。
ダライ・ラマの“謎”をひもとくには、まず「輪廻転生」について知る必要がある。チベット仏教において、高僧にあたる人物たちは、それぞれ神の化身として転生を繰り返す。これを「活仏(かつぶつ)」と言う。
平野教授は「活仏という存在は、普通の人の輪廻、生まれ変わりとは違う。あくまで強い願いを発して、自分の意思で生まれ変わろうとする存在だ。だから『次はどこに生まれ変わるのか』といった発言、とりわけ遺言は非常に大きな意味を持つ」と説明する。
ダライ・ラマ14世の時には、先代の13世が北東の方角を伝え残したそうだ。「次に占いによって、大まかにどこに生まれるかの目星を付ける。雪山の中にある湖、このほとりで占いをすると、生まれ変わった場所の景色や、地名のヒントになるような文字が湖面に浮かび上がるそうだ」(平野教授)。
ダライ・ラマ14世の場合、湖に「Ah」「Ka」「Ma」のチベット文字が浮かび上がったという。「中国政府は、活仏を選ぶ手続きを常に監視下に置いて、さまざまな儀式に必ず、共産党員の官僚を送って監視している。しかし、実際に湖面にイメージが浮かんだと驚いている人がいるようだ」。
これらの情報をもとに、探索隊が目星を付けた村々で、徹底的に聞き込みをして探す。そして見つけた子どもに、先代の持ち物と偽物を混ぜて見せ、当てられるか試すそうだ。「14世自身が、非常に賢い子どもとして見いだされ、とりわけ13世の遺品はぴたっと当ててみせたと言われている」と、平野教授は説明する。
現在の青海省に生まれたダライ・ラマ14世は1935年、2歳で生まれ変わりと認定され、1940年に即位した。「14世は今、チベットにはいない。インドの山岳地域で長年、亡命生活を強いられた状態になっている」。
現在ダライ・ラマ14世がいる場所は、中国のチベット自治区ではなく、インド北部の街「ダラムサラ」だ。ここに「中央チベット行政府」、通称「チベット亡命政府」を発足させ、活動を続けている。
そもそもチベット全域は、17世紀にダライ・ラマを元首とした、チベット政府の統治下にあった。しかし第2次世界大戦後、毛沢東を中心とした人民解放軍が、中国を一気に共産党化したことで、情勢が変わった。
平野教授は「中国という近代国家は、影響下にあるチベットに対して、『これからは仏教をやめて“中国化”あるいは“近代化”せよ』という態度に出た」と話す。1951年には、チベットも全域が、中国の支配下に置かれた。
統治戦略については「近現代の中国は、清朝が影響下に置いていた地域を、基本的には受け継いで支配する方針を強く持っている。中国の影響から逃れようとするダライ・ラマやチベット人に対しては、祖国の統一を妨げる『分裂主義者』と呼んでいる」のだそうだ。
共産党支配にも調和で対応していたダライ・ラマだったが、内戦の火種は大きくなるばかりだった。「1959年3月にチベットと中国共産党の対立が極限に達した中で、ダライ・ラマ14世をはじめとする多くの人々がインドに逃れた」。
その後、ダライ・ラマ14世は、武力ではなく非暴力による政治的解決を主張し、1989年にはノーベル平和賞が授与された。しかし中国政府は、チベットは中国の領土であり、ダライ・ラマのノーベル平和賞受賞は内政干渉だと批判した。中国では「ダライ・ラマ」の名はタブーで、ネット検索も規制されているという。
今回、輪廻転生の継続をあえて明言した裏には、別の要因もあるようだ。平野教授は「1989年に亡くなったパンチェン・ラマ10世という活仏がいる。彼はダライ・ラマ14世とは違い、1959年のチベット動乱後も中国側に残り続けた」。
パンチェン・ラマとは、ダライ・ラマに次ぐ、チベット仏教のナンバー2に位置する存在だ。10世はダライ・ラマ14世がインドに亡命した後も、チベットと中国のパイプ役として、チベット自治区に残ったそうだ。しかし中国共産党による仏教破壊を目の当たりにして、公然と中国政府を批判し、それが元で投獄されたという。
そこで中国政府は、次のパンチェン・ラマ11世は、中国の思い通りになる人物がいいと考えて、くじ引きで擁立すると決めた。「かつてチベットと北京の間につながりがあった頃に考えられた、くじ引きを継承した。『自分たち中国共産党政府が、仏教指導者を選ぶ』というのが、極めてタチの悪い宗教の政治利用ということは、誰の目にも明らかだと思う」(平野教授)。
チベット仏教の伝統を無視した方針に、ダライ・ラマ14世は反発し、1995年に正式な方法にのっとって、パンチェン・ラマ11世を選出した。しかし「中国はすぐにパンチェン・ラマ11世を幽閉し、以来30年以上、どこにいるのか全くわからない状態が続いている」のが現状だ。
そして、当時の中国政府は、数人の候補者を立て、くじ引きで別の11世を選出した。それが今もチベット自治区にいるパンチェン・ラマ11世だ。こうした経緯から「全く同じように、『ダライ・ラマ15世』と称する存在を、中国なりに擁立する可能性が高い。残念ながらこのような現実があることは、知っておいてほしい」と、平野教授は警鐘を鳴らす。
中国外務省は、ダライ・ラマ14世の「輪廻転生」存続の声明に反発し、「ダライ・ラマの転生(後継者)は国内で選定し、中国政府の承認を得なければならない」としている。しかし14世は「将来のダライ・ラマの化身認定方法については、これまでの伝統に従って、化身者の創作・認定を実行する必要がある」として、冒頭の「私ダライ・ラマは次世代の継続、輪廻転生を確約する」と宣言した。
(『ABEMA的ニュースショー』より)

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