
世間、とくにテレビは、いつも近眼だ。選挙で、だれが、どこが勝つか、みたいな話ばかり。だが、予言をするわけじゃないが、だれも、どこも勝たんよ。近年のヨーロッパ情勢を見ても、絶対多数が消滅して、四散分裂し、連立内閣すらまともに成り立たない。まだ保守か、革新か、なんて、左右に色分けできた時代はよかった。いまや方向性がばらばらすぎて、これからずっとこの調子で不安定な離合集散が常態化する。
日本で言えば、戦後、大きく地方自民党と都市革新党があって、後者の中の公明党を前者が取り込むことで、かろうじて安定与党ができていた。しかし、地方が衰退し、人口が減少し、数の力ではもはや自民党は勝てない。企業献金の問題も、常勝与党なればこその話であって、テレビと同様、数字が取れない、政権が取れない政党のスポンサーになって献金し続けるバカ企業は無い。そもそも企業も、もはやそんな政治道楽にかまけている余裕はなく、ほっておいても、この問題は解決する。
同様に、外国人を入れないと滅ぶ、とか、入れると滅ぶ、とか、双方ともわめき散らすが、これも、入って来方が予想外で、彼らは日本人の下の単純労働者のままではなく、彼らの民族集団を成して経営者になったり、既存の日本企業や不動産を巧妙に買い漁って、収奪者になったり。歴史に学ぶにしても、戦前ナチスなどの排外主義の末路を挙げるか、帝国ローマなどの容認主義の末路を挙げるか、自分の思想信条に合う例を歴史の中から恣意的に引っ張り出してきているだけで、たいして実証性がある話では無い。強いて言えば、外国人が寄ってきた時点で、排外主義だろうと、容認主義だろうと、どのみちその国は滅ぶ。それが、歴史の事実。
しかし、これも長いことはない。すでに欧米で、連中は引潮。彼らの本国自体に、連中を送り出すだけの力が無くなってきた。それどころか、無理が祟って、海外に送り込んだ連中を急いで引き換えさせなければならなくなってきている。現地で買い漁った資産なども、うやむやなまま放棄。管理者所有者不明で、連絡もできず、始末もできず、いよいよこっちは荒れるが。
中学校くらいでも、無理数くらい習うだろう。だれがどうやろうと、そこに解は無いのだ。なのに、自信たっぷりに政策に熱弁を振るう政治家や政治志望者たちを見ると、いよいよ、こりゃもうダメだな、と思う。社会保険どころか、拡張しまくった下水道管すら維持できないのが現実だ。物価問題だの、賃上げだの言ってみたところで、インフラから崩れてきているのだから、どうにもならない。たとえいくらカネの数字の帳尻を合わせても、実際と間尺が合わない。
歴史に学ぶ、というのなら、都合の良い極所的な失敗例や回復例を論じるのではなく、ギリシアやローマ、イスラムなど、あれほどの文明が、どうしてどうにもならず、どこもわずか百年足らずで急激に滅びてしまったのか、大きな視野から、よく考えてみたほうがいい。国としてそのままトータルに存続することなどありえない。が、じつは、幸い、国民が全滅するわけでもないのだ。政治家たちのありもしない扇動話、できもしない夢物語に現を抜かしているより、滅びる国の中での自分や家族の生き残り方を冷静客観的に考えてみたほうがいい。
純丘曜彰(すみおかてるあき)大阪芸術大学教授(哲学)/美術博士(東京藝術大学)、東京大学卒(インター&文学部哲学科)、元ドイツマインツ大学客員教授(メディア学)、元東海大学総合経営学部准教授、元テレビ朝日報道局ブレーン。

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