ようやく子どもが独立し、自分たちの老後に目を向け始めた夫婦。その矢先にかかってきた一本の電話が、老後の人生設計を大きく狂わせることに——。今回は、教育費の支払いから解放されたはずなのに、思わぬ「借金」を抱え込むことになり、老後計画が崩れてしまったケースについて、CFP(ファイナンシャル・プランナー)の伊藤寛子氏が解説します。

子育てを終え、ようやく夫婦の老後に目を向け始めた矢先に…

地方在住の会社員松本さん(58歳)は、パートで働く妻と2人暮らしです。松本さんの年収は約700万円、妻は扶養内で働いており、世帯年収はおよそ800万円です。

松本さん夫妻には、すでに独立した2人の息子がいます。どちらも県外の大学へ進学し、仕送りを受けながら一人暮らしをしていました。想定以上に学費や生活費がかかり、兄弟の年齢差が2歳だったこともあって、教育費が一気にのしかかる時期も。貯蓄の切り崩しとやりくりだけでは追いつかず、奨学金の力も借りて何とか乗り越えてきました。

そして今年の春、次男が大学を卒業して就職し、「肩の荷が下りた」と胸をなでおろしていました。しかし、教育費の負担が大きく、松本さん夫妻の貯蓄は300万円と、老後資金としては心もとない金額です。

それでも「夫婦で受け取る予定の月25万円の年金と退職金があるし、これから老後資金を貯めていけばなんとかなるだろう」と前を向き、夫婦での旅行や趣味など、老後の暮らしに思いを馳せていた矢先のこと。

ある週末、長男から久しぶりに電話がかかってきました。その一本の電話が、松本さんの老後の人生設計を揺るがすことになるとは、思いもしませんでした。

元気がない息子…おもいがけない電話の内容

電話口の長男はどこか元気がありません。松本さんが心配して理由を尋ねると、「実は、会社を辞めたんだ」という思いがけない報告を受けました。

就職活動に苦労しながらも、ようやく内定を得た会社に、希望に燃えて入社して3年。長時間労働や成果へのプレッシャー、職場の人間関係により、心身に不調をきたしてしまったといいます。有給休暇を使いきってからは休職も考えたといいますが、精神的に限界を感じ、体調が回復したとしても同じ職場で働くのは難しいと判断し、退職を決めたそうです。

息子を心配する両親に、長男はさらに告げました。

「いまは奨学金の返済をする余裕もない。少しの間助けてもらえないかな……」

思いがけず背負うことになった「子どもの借金」

長男は大学時代、日本学生支援機構(JASSO)の貸与型奨学金を月6万円、4年間利用しており、総額は約300万円。卒業後、就職してから返済がスタートし、月々約2万円を自分で返済していました。

しかし、長男の再就職の目処は立っていません。無職となり、少しずつ貯めていた貯金から家賃や食費といった生活費を捻出するのが手一杯で、奨学金の返済に充てる余力はない状態です。

さらに、松本さんは自分が「連帯保証人」になっていたことを思い出しました。返済が滞り、延滞すると信用情報に傷がつき、クレジットカード、自動車や住宅ローンの利用にも影響が出かねません。そのあとの人生にも支障が出ることが考えられることから、松本さんは返済の肩代わりを引き受けることにしました。

長男はその後、再就職できたものの、収入は以前より減少。奨学金の返済まで手が回らず、松本さんが今も肩代わりを続けています。松本さん自身は、定年後も同じ職場で再雇用で働いていますが、給与は現役時代の約6割。経済的余裕はありません。

「教育費が終わって、ようやく老後資金を貯められると思っていたのに……」

松本さんはそう漏らします。

教育費のために取り崩した貯蓄は思うように回復せず、退職金の一部も奨学金の返済に消えていきました。老後の資金計画は大きく狂い、夢見ていた旅行や趣味も、諦めざるを得なくなったのです。

親が返済を引き受ける前に、検討すべき救済制度の活用

松本さん夫妻のように、「子どもを見捨てることなんてできない」と感じる親御さんは少なくありません。しかし、老後資金の準備が差し迫っている親世代にとって、すぐに全額を肩代わりするのが最善とは限りません。

日本学生支援機構では、奨学金の返還が困難な場合に利用できる以下の救済制度が用意されています。

・減額返還制度 災害、傷病、経済的な理由などにより返還が難しい場合に、毎月の返還額を減らして返還を続ける制度。返済期間は延長されますが、第二種奨学金の利子の総支払額は変更ありません。一時的に負担を軽減し、生活を立て直す時間を確保することができます。

・返還期限猶予制度 災害、傷病、経済困難、失業などにより返還が難しい場合に、一定期間返還を先送りすることができる制度。あくまで「先送り」であるため、将来への負担を少しでも軽くするためには、「減額返還制度」の方が有効です。

・死亡または精神もしくは身体の障害による返還免除 本人が死亡または重度の障害などにより返還ができなくなった場合に、返還未済額の全部または一部の返還が免除される制度です。

また、2017年4月以降に第一種奨学金(無利子)を借りた人は、「所得連動返還型制度」も選択できます。これは前年の所得と扶養家族の数に基づいて返還額が決まるため、収入に見合った返済が可能になる制度です。収入額に変動があってから返還額も変動するのに時間がかかりますが、マイナンバーに基づいて算出されるため、書類手続きの負担が減るなどの利便性があります。

これらの制度は原則、奨学生本人からの申請が必要です。親が返済を引き受ける前に、こうした制度の活用の可能性を、まずは本人と一緒に確認することが大切です。

教育費は借りられるが、老後資金を借りるのは困難

奨学金は「借りて進学できればそれでいい」というものではありません。特に注意したいのは、奨学金に対する「借金である」という認識の甘さです。

奨学金は「将来のための投資」「学びの支援」といったプラスの印象を持たれることもありますが、返済が必須の貸与型の場合はれっきとした借金です。とくに有利子の第二種では、返済額が貸与額を上回ります。

学生時代に借りるため、働き始めてからの負担を実感しにくく、いざ自分が返済するときになってから「こんなに返さなきゃいけないの?」「毎月数万円って、思ってたよりキツい」といった声も実際に耳にします。周囲も借りている人が多いと、「みんなと同じ」という安心感から、借入額や返済計画への意識が低くなりがちです。

親が手続きを主導することで、子ども自身が当事者意識を持ちにくい点も課題といえるでしょう。進学前に「誰が、いくら借りて、どう返すのか」を家族全体で話し合うことが、将来のこうしたリスクを防ぐうえで重要です。

教育は「親の責任」と感じる方も多いでしょう。しかし、自身の老後の暮らしは誰かに代わってもらえるものではありません。

老後資金は準備できる時間が限られており、あとから誰かに借りることも困難です。もし自分たちの生活が立ち行かなくなれば、子どもに迷惑をかけることにもなりかねません。たとえば、親が経済的に困窮し、将来介護が必要になった際に、結果として子どもに更なる負担をかけてしまう事態もあり得ます。

「一度始めた援助をやめにくい」という気持ちがあったとしても、親の経済状況を正直に伝え、今後の返済について改めて子どもと話し合いの機会を持つことが必要です。子どもの収入が安定したタイミングで、「本人による返済の再開」や「これまでに肩代わりした分の一部返済」など、現実的な計画を親子で約束し直すことが大切です。

感情だけで判断するのではなく、資金の優先順位をもとに冷静に家族で話し合うことが、家族全体の経済的な安心を守ることに繋がります。

伊藤 寛子 ファイナンシャル・プランナー(CFP®)

(※写真はイメージです/PIXTA)