公益財団法人日本財団が実施した「人生の最期の迎え方に関する全国調査」によると、人生の最期をどこで迎えたいか考える際に重視することとして、約95%の人が「家族の負担にならないこと」と回答しました。そこで選択肢に挙がってくるのが高齢者施設です。紆余曲折あって施設への入居を決断した70代夫婦の事例から、施設選びのたタイミングと注意点をみていきましょう。ゆめプランニング代表の大竹麻佐子CFPが解説します。

妻の“予想外の提案”に気乗りしない夫だったが…

田中一則さん(仮名・69歳)は、妻の清子さん(仮名・66歳)と郊外にある自宅で暮らしています。

月に約23万円の年金収入があり、贅沢はできないものの穏やかで平穏な日々を過ごしていました。夫婦の2人の子どもはどちらも独立し、それぞれ家庭を持っています。

子どもが独立したことで広々とした自宅に寂しさを感じつつも、一則さんにとっては快適そのもの。

「死ぬまでここに住めたらなあ」

しかし、一則さんが70歳を過ぎたころ、清子さんが1枚のチラシを見せながら次のように切り出しました。

「ねえ、隣駅に高齢者住宅ができたみたいなの。よかったら見に行ってみない?」

まだ心身ともに健康な田中夫婦。一則さんは妻の突然の提案に驚きを隠せません。

「急にどうしたんだ? 老人ホームに入るには早すぎるだろう」

「この家は2人で住むには広すぎるわ。使わない部屋も多いのに掃除が大変だし、段差も多くて、最近足腰がつらくって……。それに、あたしたちももういい歳でしょう。ここはクリニックが併設されてるから、いざというときも安心みたいなの。この家もできてからずいぶん経つし、死ぬまでずっとこの家ってわけにもいかないでしょ。ね? 1回行ってみましょうよ」

2人が住む自宅は、一則さんが35歳のときに購入したもので、65歳で住宅ローンを完済。そろそろリフォームを検討していたところでした。

(おれはずっとこの家で暮らしたいんだが……)

最期まで自宅で暮らすものとばかり思っていた一則さんは、妻の話をすぐに受け入れることができません。

それでも、清子さんの「1回見に行くだけだから」という言葉に押され、2人は数日後、件の施設を見学に訪れました。

“最期まで自宅派”vs.“いますぐ施設派”…最終的には夫が根負け

――これが老人ホームなのか?

一則さんが妻に連れられ渋々訪れたその施設は、清潔感があり日当たりもよく、なんとなくイメージしていた「老人ホーム」とは似て非なるものでした。

また食事についても、予約すれば食堂で食事が取れるうえ、キッチンでの自炊も可能。外出や外食も自由とあって、妻はすっかり魅力を感じたようです。

一方の一則さんも、その施設に惹かれていないわけではありません。しかし、長い間苦労して支払ったローンのこともあり、「最期は自宅で」というこだわりが捨てきれず、住み替えには後ろ向きでした。

見学を終え帰宅した2人は「すぐにでも住みたい」と考える清子さんと「80代になってからでも遅くない」と考える一則さんとのあいだで意見が対立。何度か喧嘩に発展することもありました。

それでも、清子さんは諦めずにコツコツ資金を貯め、情報収集を行い、夫を説得。そして、いくつかの施設を見学したのち、一則さんが73歳、清子さんが70歳のとき、ついに一則さんが折れたことで、自宅を売却してとある高齢者住宅へ入居しました。

「根負けというか、ここまで妻が望むのであればそれもいいかなと思えたのが最終的な決断でした」

いざ入居してみると、夫婦で元気に暮らしている入居者は少なく、周囲は介護が必要な単身者が中心のようです。

「ほら、やっぱりおれたちには早すぎただろう」と一則さん。しかし……。

入居から1年後…田中夫妻を襲った悲劇

高齢者施設に入居してから1年ほど経ったある日のこと。清子さんが突然倒れ、そのまま還らぬ人となりました。

愛する妻を亡くし悲しみに暮れる一則さん。ただ、しばらく経って清子さんが住み替えを熱望していた「ほんとうの狙い」に気づきます。

「清子は、私が食事も掃除もすべて彼女任せで、私ひとりでは自宅で暮らせないことをわかっていたのでしょう。施設には食堂もあるし、早めに入居していたおかげで頼れる仲間もたくさんいます。いま快適に毎日が過ごせるのは、妻のおかげです。妻には未来が見えていたんでしょうね。感謝してもしきれません」

一則さんは涙ながらにそう話してくれました。

「老人ホーム」を検討する際の注意点

「最期まで自宅で暮らしたい」という思いは、多くの高齢者に共通したものです。実際、公益財団法人日本財団が実施した「人生の最期の迎え方に関する全国調査」によると、人生の最期を迎えたい場所について、およそ6割が「自宅」と回答しています。

ただ、現実的には身体機能の低下や認知症の進行などで、自宅での生活が難しくなるケースも少なくありません。

高齢者施設への住み替えを検討するタイミングとしては、下記の3つが挙げられます。

1.体力・判断力が万全な状態

体力・判断力が十分にあり、本人の意思で施設選びや引越し準備ができるタイミング。この時期であれば、居室や周辺環境に慣れる時間も確保できます。

ただし、経済面では、居住期間が長くなる分、費用負担も大きくなるため、自宅の売却益や貯蓄を活用して計画的に資金を準備する必要があります。

2.介護状態になったとき

転倒や病気で身体機能が落ち、自宅での生活が難しくなったタイミング。緊急度が高いほど住み替え先を吟味する余裕がなく、空きがある施設を選ばざるを得ないこともあります。

引越し準備や各種手続きも、本人や家族にとって負担が大きくなりがちです。

3.一方の配偶者が亡くなったとき

配偶者に先立たれたあとは、急に孤独感や不安感が増す人が多く、心身の健康を損ねるリスクがあります。

家事や日常生活のサポートが必要な場合、自宅での単身生活に限界を感じやすく、施設への住み替えを検討する大きな契機になります。

こうしたタイミングに正解はありませんが、それぞれの事情や“終の棲家”への思いを踏まえ、最適な選択肢をとりたいものです。

「懐事情」も見逃せないポイント

高齢者住宅への入居には、入居一時金や月々の家賃、管理費、生活支援サービス料など多くの費用がかかります。

入居金なしの月額払いプランもありますが、毎月の固定費は高額になる場合が少なくありません。さらに介護度が上がると追加費用が発生し、想定以上に資金が必要になることもあります。

「どのタイミングで住み替えるか」は、健康状態や家族状況だけでなく、老後の生活資金計画と密接に関わっています。老後資金全体を見渡し、医療・介護費用の備えも含めて検討することが、後悔しない住まい選びのカギとなるのです。

妻が亡くなったあと、夫婦で住める居室から単身用の居室へ引越した一則さん。最近は少しずつ体力の衰えを感じつつも、夏休みに孫に会えることを楽しみに、施設内のジムでトレーニングに励んでいるそうです。  

大竹 麻佐子 ゆめプランニング 代表 ファイナンシャルプランナー(CFP🄬) 相続診断士

(※写真はイメージです/PIXTA)