
第二次世界大戦中に建造され、当時世界最大級と言われていた、大日本帝国海軍の大和型戦艦の二番艦「武蔵」は、太平洋戦争末期の1944年10月、レイテ島に上陸を始めたアメリカ軍に反撃するため、レイテ湾に向かう途中、アメリカ軍による魚雷などの攻撃を受け撃沈した。
だがその後、船体は見つからず、どこで沈没したかは謎のままになっていた。
ところが2015年3月2日、マイクロソフトの共同創業者で資産家のポール・アレン氏が、「フィリピンのレイテ島近くのシブヤンで、『武蔵』の船体を発見した」とツイッターに2枚の写真を投稿。
続いて4日、今度は自身のホームページに「旧日本海軍の『武蔵』」とタイトルをつけた1分余りの動画を新たに公開したという。
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こちらは先に公開された2枚の写真である。


これら「武蔵」の船体の一部とされる写真には、海底に沈む「開」などの漢字が書かれたバルブや巨大ないかりが映っており、艦首の一部には、菊の紋章がうっすらと見て取れるという。
アレン氏は、父親が太平洋戦争に従軍したことから歴史的な軍事技術を保存することに情熱を注いでおり、8年前から戦艦「武蔵」の捜索を続けてきたということで、一連の映像の公開などで今後、日本の専門家などによる確認作業が進むことが期待されている。
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NHKの報道によると、広島県呉市にある「大和ミュージアム」の館長で、旧海軍の歴史を研究している戸高一成さんは、公開された動画を見たうえで、「写真を見た時点で、ほぼ間違いないと思っていたが、この動画で、間違いなく『武蔵』だと言ってよいと思う。非常に驚きました。艦首の辺りは、武蔵など大和型の戦艦の特徴がよく出ていると思います」。とコメントを述べたそうだ。
さらに、「動画を見て、比較的よい状態で残っていると感じました。『武蔵』については、どのような状況で最期を迎えたのか、不明な部分がかなりあり、今回の発見で、こうした点が明らかになると期待されます」と付け加えた。
在りし日の武蔵

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戦艦『武蔵』は、旧日本海軍からの極秘の指令を受けて、1938年から長崎市の三菱重工業長崎造船所で建造され、1942年に竣工した、当時としては世界最大級の軍艦である。
1944年10月、フィリピンのレイテ島の近くにあるシブヤン海で魚雷などを受けて沈没し、乗員1000人余りが死亡した。
武蔵の船体の一部とされる写真や動画がツイッターに投稿され、注目を集めるなか、三菱重工業長崎造船所にある史料館には、多くの人たちが見学に訪れているという。

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