大学を卒業しても就職できない……そんな不遇に直面した氷河期世代。一度も浮上のチャンスを得られなかった人たちを、さらに追い詰める終わりなき物価高。諦め続けるしかない現実があります。

月収23万円…これまで欠かすことのなかった母への仕送り

田中健一さん(48歳・仮名)の一日は、夕方から始まります。多くの会社員が自宅へと帰っていくなか、その反対方向の電車に乗り込み、乗り継いだ先にある郊外の物流倉庫へと向かいます。田中さんはそこで非正規の契約社員として、黙々と荷物の仕分け作業に従事します。勤務開始は22時で、勤務終了は翌朝の6時です。たまに仕事終わりに24時間やっている居酒屋で、軽くお酒を飲んで帰るのが、人生で一番幸せなことだといいます。

月収は多少の波はありますが、平均して23万円です。そこから社会保険料や税金が差し引かれ、手元に残る金額は18万円ほどです。家賃に6万円、光熱費と通信費で約2万円かかります。それだけで給料の半分近くが消えていきます。残りの10万円で、食費や日用品などをやりくりします。

はっきりいって生活は楽ではありません。スーパーでは値引きシールが貼られた商品ばかりを買い物かごに入れ、数百円の弁当ですら贅沢に感じてしまいます。昼夜逆転しているから、そもそもほとんどありませんが、友人から誘いがあっても「お金がない」とほぼ断っています。新しい服を買うことも、趣味にお金をかけることもほとんどありません。ただ、働いて、食べて、寝る――それだけの毎日です。

そのような生活のなかでも田中さんが唯一、自分の使命のように続けてきたことがあります。地方で一人暮らしをしている母、千代さん(78歳・仮名)への月2万円の仕送りです。中学生の頃、父親を亡くした田中さん。仕送りには、大学まで進学させてくれた母への感謝の気持ちが込められています。

ごめん…電話を握りしめ、絞り出した言葉

田中さんは、いわゆる「就職氷河期世代」のど真ん中を生きてきました。大学を卒業した2000年の就職率は、大卒で91.1%でした。就職難のなかでもひと際厳しかった頃です。何十社とエントリーシートを送っても面接にすら進めない日々を経験しました。

「当時は、正社員になれないのは自己責任だ、努力が足りないからだ、と誰もが言っていました。自分自身も、そう思い込んでいました」

結局、正社員としての採用には至らず、派遣社員としてさまざまな会社で働いたといいます。いつか、いつかと思っていたところ、リーマン・ショックで軒並み企業業績が悪化しました。田中さんも派遣切りにあい、仕事を失いました。その後、しばらくはアルバイトを続け、5年ほど前から現在の仕事を始めたといいます。

総務省統計局『労働力調査』によると、2023年の平均では、45~54歳の男性雇用者(役員を除く)のうち、非正規の職員・従業員の割合は8.1%です。約12人に1人が、田中さんと同じような不安定な環境で働いている計算になります。

これまで一度も浮上したことのないキャリアでも、母への月2万円の仕送りを欠かしたことはなかった――それは田中さんの誇りでもありました。しかし、2021年後半から始まり、特に2022年にかけて上昇が加速した物価高騰により、田中さんの生活は一段と厳しさを増します。何とかやりくりして毎月やり過ごしてきましたが、とうとう限界を迎えます。入居以来、月6万円だった家賃が値上げとなったのです。月数千円の値上げではありましたが、「これで完全に心が折れました」と田中さんは言います。生活破綻が現実になろうとしていたのです。そして最終的な決断を下します。

「……ごめん。来月から、仕送り、できそうにないんだ」

母・千代さんへの週一の定期連絡でのことでした。言葉は途切れ途切れになり、情けなさで涙がこみ上げてきました。しかし、電話の向こうから返ってきたのは、思いもよらない穏やかな声だったといいます。

「お前も大変なんだから、無理することない。こっちのことは心配しなくていいから」

48歳になってもなお、親に心配をかける不甲斐なさ。そして、真面目に働いても、自分の生活すら守ることができない情けなさ。言い表すことのできない感情が、田中さんのなかに広がっていきました。

正社員になれないまま歳を重ね、非正規で働き続ける人は少なくありません。物価の上昇は、そうした生活をさらに追い詰めています。さまざまな選択肢を手放してきた就職氷河期世代。「親への仕送り」でさえ続けられないという苦境は、まだまだ続きそうです。

[参考資料]

総務省統計局『労働力調査』

(※写真はイメージです/PIXTA)