今も残る中央自動車道の「廃道」区間!談合坂SA付近で見た時代の変遷の痕跡

高速道路だった痕跡が今なお残り、一部区間は県道化

全面開通まで20年という月日を要したのが中央自動車道(以下中央道)です。東名高速道路とは異なり、ルートのほとんどが山間部を走行する中央道は、車線が少ないことなどにより繁忙期には大渋滞が起きていました。それを解消するために、大規模な工事を行いその際に一部区間が廃道となりました。

下り勾配のS字カーブ区間をルート変更

2025年4月5日KK線と呼ばれる東京高速道路が廃止された。これによって銀座の街を眼下に見ながら、汐留JCT~京橋JCTを走行することができなくなった。この首都高速KK線廃止のように、日本の高速道路でルート変更による廃道となった場所は過去2カ所しかない。それは名神高速道路の今須トンネルと中央自動車道談合坂SA~上野原IC間。今回はこの中央道高速道路の遺構を訪れてみた。

中央自動車道で廃道化された談合坂SA付近を訪れてみた

旧ルートは高速道路としては半径の小さなS字カーブが続く

 

中央自動車道1967年12月に調布IC八王子IC間が開通。徐々に開通区間を広げ、そして1987年11月に勝沼IC~甲府昭和IC間が開通したことをもって全線開通となった。じつに全面開通まで20年の歳月がかかった難工事だった。

かつて、カーラジオの交通情報で中央自動車道の渋滞スポットとして、良く耳にしたのが、猿橋バス停。この地点を含む上野原IC~大月ICJCT間の車線増と一部区間の改良工事を山梨県と協力して行い、解消したのだ。

線形改良される1994年当時の地図。中央にS字カーブがある。出典:国土地理院中央自動車道で廃道化された談合坂SA付近を訪れてみた

1995年から始まった改良工事は2001年に中央自動車道、上野原IC~大月IC/JCT間、延長約21kmのうち、上野原IC~談合坂SA間約6.8kmが完成。そして2003年に全線完了した。この工事で、廃道となったのは、談合坂SA付近の山梨県上野原市野田尻地区の約1.6kmの区間だ。

現在の地図ではS字カーブは解消されている。出典:国土地理院中央自動車道で廃道化された談合坂SA付近を訪れてみた

旧上り線は、下り勾配でS字カーブが続くため、線形改良が行われた。旧上り線部分は、山梨県道30号上野原線に転用。旧下り線など県道転用されていない部分は立入り禁止となっており、作業員の研修や防災訓練などに使われているという。

中央自動車道にかかる新栗原橋からは、現在使用されている本線ともに、旧道も見ることができる。さらにクルマで走行可能な県道30号線を走行すると、一般道では普通見ることのできない“長い下り坂速度注意”などの交通標識から、ここがかつて高速道路だったという名残を感じさせる。

現ルートと旧ルートの分岐点を見渡すことができる。

中央自動車道で廃道化された談合坂SA付近を訪れてみた

筆者は新道だけでなく旧道も何度も走行したことがある。たしかにかつて中央自動車道と言えば「猿橋バス停を先頭に渋滞○○km」という交通情報を聞いた。しかし、その渋滞情報もいつしか耳にすることはなくなった。それは上野原IC~大月IC/JCT間6車線化の効果によるものだったのだ。

また、廃道のすぐ近くにある上り線の談合坂SAの駐車スペースは1.8倍となり、スマートICもできて、利便性が向上している。もう1カ所の廃道となった高速道路名神高速道路の今須区間は事故多発が原因だったが、中央道の線形改良は安全性向上と同時に輸送力アップを図ったものだった。

 

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現ルートと旧ルートの分岐点