
見栄や憧れから、収入に見合わない暮らしをしてしまうとじわじわと首が締まっていきます。しかし「成功者の象徴」タワーマンションにはそれだけの魅力があるようで……。本記事ではAさん夫妻の事例とともに、高所得者が陥りがちな住宅ローン計画の落とし穴について、CFPの伊藤貴徳氏が解説します。※プライバシー保護の観点から、相談者の個人情報および相談内容を一部変更しています。
ペアローンで手に入れた1億1,000万円の白金タワマン
「あの部屋から見える夜景が、自分たちが頑張ってきた“答え”だと思っていました」
そう静かに語るのは、都内在住のAさん夫妻。30代半ば、夫は大手コンサルティング会社勤務で年収1,300万円、妻は外資系広告代理店に勤める年収700万円のキャリアウーマン。合わせて世帯年収は2,000万円、いわゆる“パワーカップル”と呼ばれる夫婦です。
「子どもが生まれる前に、資産価値の落ちない物件を買っておきたくて。どうせなら、人から羨まれるような場所に住みたいねって話していたんです。港区で探すなかで、白金のタワーマンションにすっかり心を奪われてしまって……」
そう振り返る妻のBさん。夫のAさんも、当時の高揚感を隠しません。
「“白金”という響きには、特別なブランド力を感じていました。駅直結で、保育園もスーパーも近い。子育て環境としても完璧だ、と。なにより、必死に働いてきたんだから、住まいくらいは妥協したくなかった」
この“ブランド志向”は、夫婦が結婚当初から共有していた価値観でした。SNSに新居の写真を載せれば、同僚や友人たちから「すごい!」「羨ましい!」と羨望のコメントが並びます。それが2人の自尊心を満たしていました。
タワマン購入にあたり、ペアローンで総額1億1,000万円の住宅ローンを組みました。頭金は2,000万円、金利は当初0.55%の変動金利です。毎月の返済額はおよそ35万円、さらにボーナス時の返済も含めると年間約500万円におよびます。
ボーナスまで、カレンダーを指折り数え…
夫婦ともに多忙な仕事の合間をぬってモデルルームを訪れ、その豪華な空間に未来の自分たちを重ね、購入を即決しました。資金計画について、不安はなかったのでしょうか。
「年収が高いから審査はすぐに通りましたし、正直、返せると思っていました。でも、その“思っていた”が、一番危なかったんですね」
その言葉どおり、高収入の裏側で、家計は静かに蝕まれていきました。タワマン購入時、手元の貯金はわずか300万円。ボーナス返済を前提にした資金計画は、想定外の出来事に対してあまりにも脆かったのです。言い換えれば、想定外の出来事に極端に弱い構造の生活設計です。
「周りからは『順風満帆でいいね』なんていわれるけれど、内心はいつも綱渡り。次のボーナスまで、カレンダーを指折り数えるような生活でした。それでも“白金のタワマンを手放す”という選択肢は、当時の私たちにはありませんでした。世間体というか、自分たちのプライドが許さなかったんです」
高所得なのに家計は赤字寸前、貯金ができない
ある日、月末のクレジットカード明細を確認していたAさん夫妻は顔を見合わせました「こんなに働いてるのに、どうしてお金が残らないんだろう?」 。
世帯年収2,000万円……。一般的に高所得層のはずです。にもかかわらず、貯金は増えるどころか、家計簿は赤字ぎりぎり。その原因は、膨らみすぎた「見えない固定費」でした。
『いける』と思ったのに…
「年収1,000万円を超えていれば、1億円くらいのローンは通りますよ」と不動産営業マンにいわれ、ペアローンで1億1,000万円を借入。金利の低さもあって、心理的ハードルはそれほど高くなかったといいます。実際、住宅ローン審査はすんなり通りました。
見えない固定費
「ローンのシミュレーションで月35万円と聞いて『いける』と。でも、管理費や駐車場代を足すと月50万を超えていたんです。この“見えない固定費”が、ボディブローのように効いてきました」
実際、白金のタワーマンションは維持費が高く、管理費と修繕積立金で月8万円以上。駐車場代は月8万円。住宅ローンの返済と合わせると、住居費だけで月50万円程度が固定で消えていきました。
想定外の支出
それに加え、子育てコストも“想定外”の連続でした。Aさん夫妻には、2歳になる娘がいます。保活に励んだものの、港区の認可保育園には入れず、利便性を優先した結果、認可外保育園とベビーシッターを利用。保育コストは年間150万円を超えていました。さらに「将来の選択肢を広げたい」とインターナショナルプリスクールの体験にも参加し、月3万円の英語教室に通わせていました。
また、車は2台保有しています。Aさんの趣味の高級外車に、妻Bさんは子どもの送迎用に国産のコンパクトカー。駐車場代は2台で月8万円、保険・税金・ガソリン代を含めれば、車だけで年間120万円以上の維持費が発生していました。
「住宅費」「保育・教育費」「車両費」といった固定費だけで、毎月の支出は80万円以上に。手取り収入が夫婦で月115万円~120万円あっても、そこから生活費を差し引くと、貯蓄に回せるお金はほとんど残りません。それが“年収2,000万円夫婦”の現実だった。
ついに迎えた“住宅ローン破綻”
しかし、その綱渡りのロープは、二つの“想定外”によって、あっけなく切れてしまいました。
一つは、夫Aさんのボーナスカット。担当していた大型プロジェクトが中断し、業績評価が直撃。前年比で150万円もの減額となりました。
「評価が厳しい会社なのは覚悟のうえでしたが、ここまで大きな影響が出るとは……。完全に計画が崩れてしまいました」
そして二つ目が、Bさんの育児休業の延長。1歳での復職を予定していましたが、娘の体調が優れず、医師から集団生活を少し見合わせるよう勧められました。
「娘の健康が第一。でも、『じゃあ育休延長ね』で済むほど、経済的な余裕はありませんでした」
世帯収入が約30%減少し、キャッシュフローは一気に赤字へ転落。銀行からの「支払い遅延の再通知」が、最後の決断を迫りました。このままでは、信用情報に傷がつく——。身震いした二人は、ようやく重い腰を上げさせました。
不動産価格の上昇もあり、売却価格は当初の購入価格をわずかに上回りましたが、ローン残債を差し引くと手元に残った現金は限られており、家計の立て直しには不安が残る状況でした。
「ふとしたときに、あの部屋からの夜景を思い出すことはあります。でも、不思議と後悔はないんです。あのままだったら、きっと夫婦関係も壊れていたから」
成功の象徴だったタワマンは、静かに二人のもとを去っていきました。
高い勉強代を払って手に入れた「真っ当な金銭感覚」
白金のタワーマンションを手放したあと、夫婦は都内の築15年の賃貸マンション(2LDK・家賃18万円)に引っ越しました。コンシェルジュもジムもない。けれど、「ようやく心を落ち着けて呼吸ができるようになった」と二人は口をそろえていいます。
引っ越し後、真っ先に取り組んだのは家計の見直しでした。
・車は1台手放し、必要なときだけカーシェアを利用
・娘の英語教室は継続しつつも、インター通学は一時保留
・外食は月1回の“お楽しみ”に
・家計簿アプリを夫婦で共有し、月1で「家計ミーティング」実施
「正直、住まいも車も“誰かにどう見られるか”を意識していました。でもいまは、『これは私たちにとって本当に価値があるか?』を夫婦で話し合えるようになったんです」
この生活に慣れるまでには時間がかかりましたが、「見栄を張らない」という一点に立ち返ることで、夫婦間の会話や家族の時間はむしろ増えたといいます。
その気づきは、二人の人生観を変えました。“いい暮らし”とは、肩書きや場所ではない。それよりも、「なにかあったときに、自由に選択できる“心の余白”があることのほうが、よほど贅沢だ」と。
「白金のタワマンは高い勉強代だったと考えています」
次に買う「住まい」
現在、Aさん夫妻は「次に買う住まいは、身の丈に合う、現実的に返せる範囲で」と話しています。 具体的には、
・資金計画において“ボーナス返済ゼロ”
・固定費が月収の3割以内に収まる家
・将来の教育費や老後資金も踏まえたうえでの“持ち家設計”
を検討中とのことです。また、ファイナンシャルプランナーのアドバイスを受けながら、NISAやiDeCoなどの資産形成も始めました。住宅費を見直したことで、毎月の固定費が30万円以上圧縮されました。その分、将来の教育費や老後資金への積立が始められるようになり、これまで貯まらなかった貯金は、いま、毎月確実に増えていっています。
「お金の使い方って、習ったことなかったから……。もっと早く知っていたら、違う選択肢もあったのかもしれない」
「以前は、“タワマンに住む自分”を守るためにお金を使っていた気がします。でもいまは、“未来の家族”のためにお金を使えている。この感覚が、なにより嬉しいんです」Aさん夫婦は穏やかな笑みを浮かべていました。
年収の多寡では決まらない「本当の豊かさ」
高所得だったAさん夫婦が、なぜ“生活困窮”に陥ったのか。最大の要因は、「見栄にお金を使っていた」ことに気づけなかった点です。
・「タワマンに住んでいる自分」が、誇らしかった
・「インターに通わせている子ども」が、賢く見えた
・「高級外車に乗る夫婦」が、ステータスになっていた
しかし、それらは本当に必要なものだったのでしょうか。
Aさん夫婦の経験は、豊かさが年収の多寡で決まるものではないことを教えてくれます。大切なのは、生活に無理がないか。お金を使うときに納得しているか。そして、自分たちの価値観とお金の使い方が一致しているか。
いま、あなたの家計は「誰かに見せるためのもの」になっていませんか? “豊かに見える”暮らしではなく、“本当に満たされる”暮らしとはなにか。一度立ち止まって考えてみることが、家計と人生を見つめ直す第一歩になるのかもしれません。
伊藤 貴徳
伊藤FPオフィス
代表

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