
この記事をまとめると
■シトロエンDSは世界中を驚かした画期的な1台だった
■DSはトラクシオン・アヴァンの構造を一部利用していた
シトロエンDSの先祖もまた凄かった
今年はシトロエンDSが発表されて70周年となる。宇宙船のようなフォルムに、オイルとガスを使ったハイドロニューマチックサスペンションを組み合わせたその内容は、今見ても驚きだ。日本で同じ年に発表されたのが、トヨタの初代クラウンだったのだから当然だ。
しかしそんなDSにも、新設計ではない部分があった。直列4気筒OHVエンジンをキャビン側に縦置きし、前方にあるトランスミッションとデフを介して前輪を駆動するパワートレインだ。この機構を初採用したのが、1934年デビューのシトロエン7Aに始まる、トラクシオン・アヴァンのシリーズだった、
前輪駆動車そのものは、それ以前からあった。世界初の自動車といわれている、ニコラ=ジョセフ・キュニョーの3輪蒸気自動車がそうだったし、1920年代にはアメリカのインディ500で優勝したミラー、ル・マン24時間レースで7位完走を果たしたトラクタなど、レースでも活躍していた。
ではなぜシトロエンの前輪駆動車は、フランス語で前輪駆動を示すトラクシオン・アヴァンと呼ばれたのか。それはモノコックボディと前輪駆動という、現在の実用車の定型となっている設計をいち早く取り入れ、しかもシトロエンが当初からこだわってきた大量生産によって、多くの人々に届けられたからだ。
開発を主導したのは、飛行機づくりが本業で、革新的なクルマも生み出していたヴォワザンからやってきた、アンドレ・ルフェーブルだった。彼は飛行機畑で培った独創的な思想を次期シトロエンに盛り込み、創業者のアンドレ・シトロエンも資金面で惜しみなくバックアップした。
革新的なクルマ作りが経営不振を招いた
ルフェーブルは、パワートレインがフロントで完結するので、リヤまで支えるフレームは不要と判断。キャビン全体で剛性をもたせ、前端から伸びる2本のサブフレームでパワートレインを支えた。おかげで車体は低くスマートになり、低重心なので操縦安定性もハイレベルになった。
ところが2人のアンドレの革新的なクルマづくりが影響して、シトロエンは経営不振に陥り、トラクシオン・アヴァンを発表したその年にミシュランの傘下になった。アンドレ・シトロエンは失意のなか、翌年この世を去った。
しかしミシュランはトラクシオン・アヴァンの設計思想を評価し、生産を続行。並行して後に2CVになるベーシックカーの開発を進め、続いてトラクシオン・アヴァンの後継車のプロジェクトもスタートした。これがDSだ。
たしかにDSのデザインやテクノロジーのインパクトは並外れたものだった。しかし前輪駆動モノコックが一般的になっている今の自動車業界を見ると、トラクシオン・アヴァンが与えた影響は、DSに負けず劣らず大きかったと思っている。

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