給与明細をみて、愕然とした経験はないだろうか。念願の昇給を果たしたはずなのに、手取り額はなぜか増えていない、むしろ減っている……。これは、一部の特別な人の話ではない。社会保険料や税金の負担増という「見えない増税」が、多くの若者の希望を打ち砕いている現実だ。さらに、多くの若者が抱える奨学金の返済が、その肩に重くのしかかる。未来のために借りたはずのお金が、未来の可能性を奪う足枷になる。この理不尽な構造に、いまこそ向き合うべき時ではないか。アクティブアンドカンパニー代表の大野順也氏が提言する。

ステルス増税の影響を真っ正面から受ける20代会社員

「昇給したのに、手取りが減った――」

そんな声を上げる若者が増えている。社会保険料や税金の負担が年々重くなるなかで、給与が増えても実際に使えるお金、つまり可処分所得は減ってしまうケースがある。こうした構造は「見えない増税」や「ステルス増税」とも呼ばれ、若者の暮らしや人生設計に深刻な影響を与えている。

特に奨学金を返済中の若者にとって、この構造は一層厳しい現実を突きつける。

都内で働く会社員Aさんは、今年で社会人5年目の27歳。昨年、念願だった昇格を果たし、主任の役職に就いたことで年収は490万円になった。責任のある立場で苦労もあるが、やりがいを感じながら日々を過ごしている。毎月約2万円を奨学金の返済に充てており、将来の見通しを立てるためにも返済のスピードを上げたいと考えていた。

「上司から昇格を伝えられたとき、がんばってきたことが報われたと、嬉しかったです。ついはしゃいで、真っ先に地元の母に連絡しました。喜んでくれましたよ。『少しはお金にも余裕ができるわね』って。ですが、現実は違ったんです。僕は社会人になったときから、ボーナスが出たら少しずつ繰上げ返済していこうと考えていました。昨年の夏は、例年よりボーナスが10万円ほど多くて、昇給分もあったので、ここで一気に返して返済期間を短くしようと思ったんです」

しかし、給与明細を確認したAさんは愕然とした。

「額面ではたしかに増えていたのに、手取り額はむしろ減っていて……。本当に驚きました。所得税社会保険料の負担が増えたせいだと思いますが、繰上げ返済どころか、生活費のやりくりにも神経を使わなければならなくなって。資格試験のためのオンライン塾費用もあるし、キツいですよ。結局、当初立てていた返済計画は見送ることにしました。いいにくかったですが、母に再度連絡して慰めてもらいました」

新卒2年目の窮地

新卒2年目・23歳の会社員Bさんも、住民税が課されるタイミングで1万円ほど給与が減少し、生活が厳しくなったと話す。奨学金の返済が始まったばかりで、生活費を削りながらやりくりする日々だ。

「とにかく節約して暮らさなきゃという思考になってしまい、飲み会の誘いも断ることが増えました。周りと距離ができた感じがして、ちょっと居心地が悪いです……。正直、もっと給料が高い会社に転職することも考えています」

手取りの減少と奨学金返済という“ダブルパンチ”が、若者の可処分所得を圧迫している。将来への希望を持って社会に出た彼らが、報われない現実に直面しているのだ。

親世代とのギャップ

現在、日本の大学生のおよそ3人に1人が奨学金を利用している。日本学生支援機構のデータによれば、令和5年3月に貸与を終了した新社会人の平均借入額は約333万円。返済期間は平均で17年にもおよぶ。

しかし、奨学金に対するいまの20代の親世代の認識には大きなギャップがある。「奨学金を借りている人はごく一部」「奨学金=学費の一部を一時的に借りる軽い負担」と考える親世代の意識と、実際には長期にわたる高額な返済負担があるという点に大きなズレがある。

その背景には、親世代が若いころに比べて、大学の学費が大幅に上昇しているという事実がある。国立大学の授業料はこの40年で約2.4倍、私立大学でも約1.8倍にまで増加している。加えて、物価上昇や賃金の伸び悩み、大卒前提の採用構造などが複雑に絡み合い、奨学金に頼らざるを得ない状況が続いている。

スキルや経験といった人的資本の乏しい20代は、本来であれば自己投資に力を入れるべき時期だ。しかし、奨学金返済に追われる現実は、それらを困難にしている。

・スキルアップのための講座や書籍を購入できない

・起業やキャリアチェンジといった挑戦に踏み出せない

こうした制約は、結婚・出産といったライフイベントの遅れにもつながる。また、将来の選択肢を狭める要因となり、「挑戦できない自分」を作り出してしまう。教育を受けるために借りた奨学金が、結果として可能性を制限する――この構造に疑問を持たずにはいられない。

「がんばっても報われない」を変えるために

昇給しても手取りが減り、奨学金返済に追われる若者たち――。そんな現実を「仕方ない」と放置してよいはずがない。特に深刻なのは、「努力しても報われない」という感覚が広がることだ。この感覚は若者のモチベーションを低下させ、やがて社会全体の活力にも影響をおよぼしかねない。未来を描ける社会、挑戦できる社会をつくるために求められるのは、「若者の経済的基盤を整える」という視点ではなかろうか。

その一つの解決策として、注目されるのは「奨学金返還支援制度」だ。これは、企業が従業員の奨学金返済の一部を支援する制度である。企業側にとっては、若手人材の確保・定着に期待ができ、従業員にとっては経済的・心理的負担が軽減されるのだ。

実際に、奨学金返還支援制度を導入する企業は年々増加しており、制度開始の2021年から約3年の令和6年10月末時点では、全国で2,587社が導入している。

また、本制度は企業が日本学生支援機構に直接送金する仕組みであるため、支援額は従業員の報酬とはみなされず、所得税社会保険料が課されることがない。こうした制度設計により、従業員の生活を実質的に支える「福利厚生」としての認知も着実に広まりつつある。

こうした企業による支援の広がりは、若者の将来に対する不安を和らげ、仕事への意欲や定着にもつながる好循環を生む。これからの日本社会には、返還支援制度のように、若者の経済的負担を“社会全体で支える”仕組みが必要だ。

いまの若者は、「自分らしく働きたい」「やりたいことに挑戦したい」という強い意識を持っている。彼らが希望を持ち、安心して暮らせる社会こそが、健全な消費活動と経済活性化の土台になる。奨学金問題は、単なる「教育費」の問題ではない。若者の未来と、日本社会の持続可能性に直結する課題なのだ。

大野 順也

アクティブアンドカンパニー 代表取締役社長

奨学金バンク創設者

(※写真はイメージです/PIXTA)