
日産パオ、赤いミトとの別れ、母のコペンと歩みだす
愛媛県新居浜市の海辺にあるカフェ「みんなのコーヒー」。店主のジュンさんは、子どものころに憧れた日産「パオ」に始まり、赤いアルファ ロメオ「ミト」、そして今は母の思い出が詰まったダイハツ「コペン」へと愛車を乗り継いできました。クルマに人生を重ねるように……それぞれの車両には、彼女の“生き方”が刻まれていたのです。
修学旅行で見かけた日産 パオにひと目惚れ
愛媛県新居浜市の東側、沖に大島を望む自然豊かなロケーションにある「みんなのコーヒー」。海沿いに建つこのカフェには、自転車、バイク、クルマ好きが自然と集う。店主のジュンさんもまた、大の乗り物好きである。
クルマへの憧れの原点は、高校2年の修学旅行だった。旅先で見かけた日産パオの愛らしい姿に心を奪われ
「免許を取ったら絶対このクルマに乗る」
と決めたという。
ただし、パオは平成元年(1989年)のわずか3カ月間しか販売されなかった希少車。すでに新車で手に入れることはできず、中古車を探すことになる。ようやく見つけたのは、クルマ屋の奥さんが大切に乗っていた水色の1台。それがジュンさんにとって最初の愛車となった。
当時は会社員としてOLの仕事に就いていたが、コーヒーの世界に魅了され、もっと人と関わる仕事がしたいとの思いから、自家焙煎コーヒー店に転職。焙煎の基礎を学んだのち地元・新居浜へ戻り、まずは小さな焙煎所として店をスタートさせた。
常連客のひと言がアルファ ロメオとの付き合いの始まり
4年後、現在の荷内海岸に店舗を移転し、カフェとしての営業を始めた。この時は仕事を優先して、パオから軽自動車に乗り換えることになった。
「でもやっぱり、好きなクルマに乗りたいという気持ちは心の奥に残っていた」
と、ジュンさんは笑う。
息子が就職し、自分の時間を楽しもうと考えていたころ、ふと目に留まったのが赤いアルファロメオ ミトだった。オーナーが手放すかどうか迷っていた1台である。
「見た目は可愛いけれど、マニュアル車だし、赤くて派手だし、2ドアで不便そう。それにイタリア車でしょう? 絶対壊れるに決まってる(笑)。どう考えても不経済すぎるって悩んだ」
その背中を押したのが、カフェの常連客のひと言だった。
「アルファに乗ると人生が豊かになるよ」
この言葉に背中を押され、「乗ってみよう」と決心。こうしてミトとの生活が始まった。
ミトは気まぐれな一面もあった。ときどき警告灯が点いたり、オーディオが沈黙したりもしたが、運転の楽しさはそれを上まわった。赤い車体は目立つため、周囲のクルマの動きにも自然と気を配るようになり、より丁寧な運転を心がけるようになったという。
譲り受けた時点で走行距離は12万6000km。それから毎日乗り続け、今では18万7000kmに達している。ミトはまさに、日々を共にする相棒だった。
コペンに乗ると母親がそばにいるような安心感
だが、ある日ジュンさんを悲しみが襲う。元気だった母親が突然亡くなってしまったのである。
「松山で働いていた2年間を除けば、ほぼずっと一緒に過ごしてきた母が亡くなったときは本当に辛くて、しばらく受け入れられなかった」
そんなとき、思い出したのが母親が大切に乗っていたダイハツ コペンだった。
「母のクルマを私が引き継ごうと決めてから、不思議と心が軽くなっていくのを感じました」
じつはこの日が、ジュンさんにとってミトとの最後の日。そして、母のコペンとともに新たな一歩を踏み出す日でもあった。
「母は、私がこのクルマに乗るのを喜んでくれていると思う。運転していると、そばにいてくれる気がして安心できる。クルマは生きものみたいだと、最近は本当にそう思う」
不思議な縁に導かれるように、ミトを引き継いでくれる人も見つかった。これからは、母の故郷である大洲へのドライブを皮切りに、ジュンさんとコペンの新たな時が始まる。
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