
かつて「わいせつ」と「表現の自由」の最前線に立っていた出版社が、静かにその幕を下ろす──。思想書や前衛芸術を数多く手がけてきた「現代思潮新社」が7月15日、今年9月末をもって廃業すると発表しました。
創業者の石井恭二さんが引退したあとも、社名を「現代思潮社」から「現代思潮新社」に改めて思想書の出版を続けてきました。今回の廃業について、石井さんが念願としていた「出版社としての死滅」が成就し、「万感の思いを感じている」とコメントしています。
同社が出版した小説『悪徳の栄え 続』をめぐって起きた「悪徳の栄え事件」(通称:サド裁判)は、戦後のわいせつ裁判の中でも、特に知られた事例の一つです。
●「悪徳の栄え事件」とは?1959年(昭和34年)、フランスの作家マルキ・ド・サドの小説『悪徳の栄え』の日本語訳が出版されました。
この翻訳書が「わいせつ文書」にあたるとして、翻訳者の澁澤龍彦さんと出版社の社長(当時)が、刑法175条(わいせつ文書頒布罪)の容疑で起訴されました。
『悪徳の栄え』では、18世紀フランスの退廃的な貴族社会を舞台に、性的・暴力的な描写が詳細に記された作品で、「サディズム」の語源にもなったサド侯爵の代表作の一つとされます。
●最高裁が示した「判断基準」は?一審(東京地裁・昭和37年10月16日判決)では、無罪が言い渡されました。この際、先行する「チャタレー事件」(最高裁・昭和32年3月13日)で示されていた「わいせつ性の判断基準」が用いられています。
チャタレー事件で示された「わいせつ性の判断基準」は
(1)いたずらに性欲を興奮または刺激し
(2)普通人の正常な性的羞恥心を害し
(3)善良な性的道義観念に反する
というものです。
一審は『悪徳の栄え』の具体的内容を検討した結果、「いたずらに性欲を刺激興奮」させるとはいえないとして、わいせつ文書にはあたらないとしました。
しかし、控訴審(東京高裁・昭和38年11月21日判決)では、上記の3つの判断基準をすべて満たすとして、一転して有罪判決(罰金刑)が下されました。
そして、最高裁(昭和44年10月15日判決)は上告を棄却し、有罪判決を確定させました。判決では、さまざまな論点があるのですが、わいせつ性との関係では以下の点が確認されました。
・わいせつ性の判断は、チャタレー事件の基準を用いる
・文書の芸術性で、わいせつ性が減少・緩和される場合はあるが、それでも「わいせつ文書」として処罰される場合はある
・判断にあたっては、問題となる部分だけでなく、文書を全体として考察して評価すべきである
この判決に対しては、芸術表現に対する過度な規制であるという批判もありますが、表現の自由とわいせつ規制のせめぎ合いの中で、「チャタレー事件」「四畳半襖の下張事件」と並び、重要な司法判断として知られています。

コメント