
ファミリービジネスを営む富裕層にとって、遺言だけでは資産と経営権を守りきれず、思わぬ紛争や資産の散逸を招くリスクとなることがあります。こうした事態を回避するための、遺言だけでなく、信託、資産管理会社のほか、最近ではファミリーオフィスが活用されています。
富裕層にとってのエステートプランニングの意義
富裕層は、多様かつ多額の資産を保有していることが多く、それらを確実かつ円滑に承継させる必要があります。
特に、ファミリービジネスを営んでいる場合には、その事業を円滑に承継し、富裕層の不在によりファミリービジネスが停滞することなく、かつ富裕層が不在になることによりファミリービジネスそのものの価値の毀損が生じないような手当(エステートプランニング)が必要となります。
以下、エステートプランニングとして日本でよく利用される具体的方策について概観します。
1.遺言の作成
遺産は、遺言書がなければ法定相続人間で、法定相続分にしたがって相続されます。
すなわち、遺言者が法定相続人以外の者に遺贈を希望している場合、法定相続人に相続させるとしても法定相続分と異なる割合で相続させたいときは遺言が必ず必要となります。
また、遺言者が法定相続分にしたがった分配で構わないと考えていたとしても遺言の作成はするべきです。法定相続分にしたがう分配であっても、遺産のうち具体的にどの財産をどの法定相続人が相続するかは、遺産分割協議で決定する必要があり、この遺産分割協議で相続人間紛争が勃発する可能性が高いからです。
また、法定相続人に判断能力を喪失した者がいる場合は法定後見人の選任が必要となったり、行方不明者がいる場合は失踪宣告や不在者財産管理人が必要となったりするなど、ただでさえ時間がかかる遺産分割協議の手続きがさらに遅延することになります。
遺言者の希望を活かした財産分配を行うだけでなく、相続人間の遺産分割協議による紛争を予防し、速やかな財産承継を可能にするためにも、遺言の作成は、エステートプランニングとして最低限必要な手段といえます。
遺言を作成する場合は、公正証書遺言の方式がもっとも確実といえます。遺言者が公証人の面前で遺言内容を口授することが要件となっているので、遺言能力がある程度担保されるほか、自筆証書遺言の要件不備による無効化や紛争化を予防できるからです。
ただ、公正証書遺言を作成する時間がない場合やコストの問題がある場合は、まずは自筆証書遺言を作成してもよいものと考えられます。
2.信託の活用
信託とは、委託者の財産を一定の目的(信託目的)のために信頼できる受託者に移転して、その受託者が信託目的の達成のために、その移転を受けた財産の管理・処分等を行う仕組みをいいます。信託財産の所有権は委託者から受託者に移転されるものの、その経済的利益(信託受益権)は受益者に帰属するため、信託財産が移転しても委託者と受益者が同一の場合、課税は生じません。
そのため、不動産オーナーが高齢化した場合の財産管理や、ファミリービジネスの創業者が後継者を受益者として株価が安いうちに株式を信託に移転して、議決権行使の指図権を自ら留保しながらファミリービジネスの承継を効率的に行う手段等として利用されます。
また、信託に株式を移転した場合、受託者(一般的には一般社団法人や信託財産管理・処分等だけを行うことを目的とする株式会社が多いといえます)が自社株式を保有するため、将来株主に相続が発生したとしても株式の分散を予防することが可能となります。
また、信託契約で株式の議決権行使の指図権者を定めることにより、議決権の統一的行使が可能となり経営の安定につながります。このように、信託は財産管理機能のほか、事業承継機能としても効力があります。
3.任意後見契約
任意後見契約とは、本人が十分な判断能力を有するときに、任意後見人に委任する事項を定めておき、本人の判断能力が不十分となったときに、任意後見人が任意後見監督人の監督を受けつつその事務を行う制度をいいます。任意後見人は本人の利益のためにしか財産管理を行えないため、家族のためやファミリービジネスのために、本人の資産の処分はできません。
そこで、柔軟な財産管理は信託契約を併用することが実務的です。しかしながら、信託契約はあくまでも財産を対象とし、本人の身上監護はできないことから、エステートプランニングとしては、遺言、信託契約及び任意後見契約の3点セットを準備することを、特にお子さんがいらっしゃらないカップルにはお勧めしています。
もっとも、任意後見契約制度は、任意後見制度を利用する原因が解決しても、判断能力が回復しない限り利用をやめることができず少なくとも任意後見監督人のコストが発生し続けたり、本人のための資産運用も限定的にしか許されない等、実務的には利用しにくい制度となっています。
したがって、本人の判断能力が低下しても家族が利用しないといった事態も生じています。そこで利用しやすい任意後見制度への改善が求められています。
このような任意後見契約の実情を考えると、財産管理についてはできるだけ信託契約を通じて柔軟に行う仕組みを作成し、任意後見契約による財産管理はあくまでも補充的に活用するといった形が現実的だと思います。
4.資産管理会社
資産管理会社は、ファミリーの不動産や株式等の財産を保有するために設立される会社です。個人所得税の最高税率は住民税もあわせると55%となり、法人税の場合は住民税をあわせた実効税率が約30%なので、個人で所得を得るよりか、法人で所得を得た方がかなりの所得税の節税効果といえます。
さらに、資産管理会社を利用すれば、ファミリーに給与という形で所得を分配することも可能になるため、所得の分散効果も見込めます。同じく資産管理会社を通じて所得を分散することで、個人に所得が蓄積することを予防することができるため、相続が発生した場合の節税効果が見込めることとなります。もちろん資産会社を設立することで、管理コストはかかります。
しかしながら、それを上回る税務上のメリットがあるため、富裕層においては、資産管理会社をエステートプランニングの一つのツールとして保有し、それを個人財産の受け皿としていることも多いといえます。
5.ファミリーオフィス
ファミリーオフィスは、資産を保有するためだけの資産管理会社とは異なり、ファミリーガバナンスを促進・実行し、ファミリーのための資産の運用・管理、ファミリーの人脈管理、教育・育成、医療、ライフスタイルに関するサービスの提供、ファミリー間の利害調整等を行う有機的な組織となります。ファミリーオフィスサービスを提供する組織としては次の3つのタイプがあります。
まずは、1つのファミリーがその財産等を管理するために設立したシングルファミリー専属のシングルファミリーオフィス、次に複数のファミリーにファミリーオフィスサービスを提供するマルチファミリーオフィス、最後にコアな特定の一族のために存在しているのではなく不特定多数のファミリーにファミリーオフィスサービスを提供するコマーシャルファミリーオフィスです。
コマーシャルファミリーオフィスは、いわゆるプライベートバンク、金融機関・資産管理会社の富裕層部門、会計事務所、税理士法人等があり、法律事務所でもファミリーオフィスサービスを掲げている事務所もあります。
エステートプランニングは、資産規模とファミリーの希望、ファミリービジネスの有無により、そのニーズは異なります。どのタイプのファミリーオフィスを利用するかは、個々のニーズにより異なることになります。
酒井 ひとみ シティユーワ法律事務所

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