
早期退職は自由な時間と大きな退職金がセットで得られる"夢の制度"と思われがち。しかし、人生の後半には予期せぬ家族の出来事が重くのしかかることも。55歳で早期退職した男性は、「給与がないため母の介護施設費を援助できない」という想定外の事態に直面します。FPが伝える"収入のない怖さ"と、後悔しない選択のための備えとは? FPの三原由紀氏が解説します。
仕事一筋だった男性が「早期退職」に飛びついたワケ
「これ以上、会社に時間を奪われたくなかったんです」
そう語るのは、都内の医療機器メーカーでマネージャー職を務めていた佐藤英明さん(仮名・55歳)。大学進学と同時に実家を離れ、結婚後は地方の営業拠点を転々としながら、仕事と家庭の両立に奔走してきました。
40代後半には単身赴任も経験。「年間120日以上は出張」という激務で、家族との時間は年末年始とゴールデンウィークの数日間だけ。忙しさの中で気がつけば趣味も人間関係も「会社中心」の生活に。年収900万円と収入面での不満はなかったものの、「自分の人生ってなんだったんだろう」と感じ始めた頃、社内に「希望退職」の案内が届きます。
──退職金は特別加算で3,000万円、退職後は再就職支援サービスあり──住宅ローンも完済、子供たちも独立。「これを逃したら一生会社に縛られるかも」と、佐藤さんは即断したのです。派遣社員として働く妻(52歳)も「お疲れさまでした。これからは自分らしく生きてください」と背中を押してくれました。
退職後の最初の半年は、まさに「第二の人生」を満喫。平日には、趣味の釣りやDIY、温泉旅行を楽しみ、「こんなにゆっくりできるなんて、30年ぶり」と感慨深げでした。
失業手当を受けながら、再就職についてもゆるく求職活動を続けていたものの「年収は半分でも構わない。ストレスのない職場で働ければ」と楽観的に考えていました。
ところが退職から2年。失業手当の給付も終わり、退職金を取り崩す生活に少し焦りの気持ちが芽生えつつあった佐藤さんは、思いもよらぬ事態に直面します。
久しぶりに帰省した実家で気づいた「母の異変」
実家に久しぶりに帰省した佐藤さんは、82歳になる母の様子に違和感を覚えました。近場の温泉に連れて行くと、急に不安な様子になり家に帰りたがるのです。早々に実家に連れ帰り、冷蔵庫を開けると賞味期限切れの食品が並び、話もなんだか噛み合いません。
さすがにこれは普通ではない……そう思い、病院に連れていくことに。その結果、「アルツハイマー型認知症」と診断されたのです。
その後、介護認定を申請すると、母は要介護1(軽度の介護が必要な状態)と認定。訪問介護サービスを受けながら独居を続けていました。
ところがある日、料理をしていることをすっかり忘れ、コンロの火をつけっぱなしに。軽いボヤ騒ぎを起こしてしまい、ケアマネジャーから「このままの独居は危険。できれば施設入所を検討したほうがいい」と伝えられました。
佐藤さんが調べたところ、地域の有料老人ホームの月額費用は20万円から30万円。母の年金は月額12万円程度で預貯金は300万円ほど。施設に入れば2年ほどで母の預貯金は無くなり、差額は家族、つまり一人息子の佐藤さんが負担する必要があります。
「もし元の会社にいたら、給与から月10万円くらいなら援助できた。でも、いまは無収入。退職金も生活費で月20万円ずつ取り崩していて、すでに500万円近く減っている。下手に取り崩せば自分の老後も危うくなる……」
家族を支える力も手放していた…早期退職を後悔
一時は母の介護のために実家に戻ることも検討した佐藤さん。しかし、家事全般を妻に任せてきたため、掃除や洗濯、料理すらままならない状況。「認知症の母の世話をしながら、自分の生活も維持するなんて現実的じゃない」と判断せざるを得ませんでした。
さらに深刻だったのは、再就職活動の現実でした。「年収を大きく下げても構わない」と希望しても、なかなか採用には至りません。前職でマネージャー職だったという経歴が、企業側に「職場に馴染めるのか」といった不安を与えるケースもあるのです。
佐藤さんは苦渋の決断で、施設ではなく「訪問介護+デイサービス」で様子を見ることに。しかし、支援は限られ、母の認知症は進行。結果的に、自分の貯金を取り崩して有料老人ホームに入所させざるを得なくなりました。
「早期退職を後悔したのはこの時です。"自分の人生を取り戻した"つもりが、"家族を支える力"まで手放していたとは……」
50代後半の「給与ゼロ」は、想像以上に重い【FPの助言】
ファイナンシャルプランナーとして、50代で早期退職を考える人に必ず伝えるのは、「退職後のキャッシュフローは、人生で最も不安定になる」という事実です。
中高年の転職は厳しく、50代後半(男性)の「転職入職率(常用労働者数に対する転職者の割合)」を他の年代と比べると、やや低い傾向があります。厚生労働省の「令和5年雇用動向調査結果の概況」を見ると、年齢階級別の転職入職率は「55~59歳」の男性一般職で5.7%、パートタイム労働者20.2%より低くなっています。また、転職後に年収が減少した割合は34.3%、3人に1人といった具合です。
仕事が決まらず給与がないということは、「支出は自分で賄うしかない」ということ。そしてそれは、"自分の生活"だけでなく、"親や子の予期せぬ支援"も含めた全体の負担がのしかかります。
特に、介護は突然やってくることが多く、「要介護認定されたらすぐ施設へ」というわけにもいきません。さらに、介護は思った以上に費用や手間がかかるため、家計への影響も大きくなりがちです。特に施設入所となると、まとまった資金の準備が求められるケースもあります。
ここで、退職前に必ず行ってほしい3つの準備があります。
①生活費の見直しと「援助可能額」の試算 自分の生活費+万が一の家族支援を含めて「毎月いくらまで出せるか」を明確にしておく。
②再就職の想定条件とスキル棚卸し 中高年の再就職では、たとえ再就職支援サービスがあっても、希望通りの条件を得るのが難しいケースも少なくありません。実際の求人とのギャップに戸惑う人も多いため、自分の“労働市場価値”を知っておくことが、退職後の選択肢を広げる第一歩になります。転職エージェントに相談し、現実的な年収レンジを事前に把握しておくことが重要です。
③家族との情報共有と緊急時プラン 介護や医療の事態は「突然」起きます。兄弟姉妹との分担や親の資産状況、介護方針などを早めに話し合いましょう。特に、親の預貯金額、年金受給額、保険加入状況を家族で共有しておくことで、いざという時の判断がスムーズになります。
「仕事からの解放」が「人生の自由」とは限りません。"収入がないこと"が、いざという時に「動けないリスク」になることもあるのです。
自分の人生を見直すタイミングでもある50代。だからこそ、「支える力を残したうえでの選択」を。その判断こそが、未来の自分と家族を守る"本当の自由"に繋がるのではないでしょうか。
三原 由紀 プレ定年専門FP®

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