沖縄戦当時の伊江島

 俳優の堤真一(61)、山田裕貴(34)がW主演を務める映画『木の上の軍隊』。ニュース番組『ABEMA Morning』では、監督・脚本を務めた平一紘監督(35)に作品への思いなどを伺った。

【映像】沖縄戦を“自分ごとに” 監督の思いとは

 7月25日全国公開の映画『木の上の軍隊』は、1945年の沖縄で終戦を知らぬまま2年もの間、ガジュマルの木の上で生き抜いたという2人の日本兵の実話を基にした作品だ。舞台として上演されていた作品を映画化するにあたり、監督・脚本を務めたのは沖縄出身の新鋭、平一紘監督。

「沖縄出身在住の身として、沖縄戦をテーマにした映画を撮るということに対して、プレッシャーというか、(話を)受けたはいいものの、できるかなという不安がかなり強いものはあった」(平一紘監督、以下同)

 終戦から80年目に35歳の若き監督が描く沖縄戦。平監督は映画製作にあたり、様々な葛藤があったという。

「この映画を引き受けたときは2年前で33歳だった。僕は沖縄で生まれ育っているので、慰霊の日などを含めてたくさん沖縄戦の教育を受けているつもりだった。ただ、実際に伊江島のこの2人の話を知らなかったし、映画を撮るにあたり、初めて調べて分かることだったりがかなり多くあった」

 映画の舞台となったのは沖縄本島から約9km北西に浮かぶ、小さな島・伊江島。太平洋戦争の終盤、この島は過酷な地上戦の舞台となった。のちに“沖縄戦の縮図”とも呼ばれる戦闘で、軍人約2000人、村民約1500人が犠牲になったという。実話を基にした作品の製作にあたり、監督はほとんどの撮影を伊江島で敢行。モデルとなった2人の兵士の家族や沖縄戦を知る様々な人に取材を重ねた。

不発弾を使って遊んだというおじいさんがいた。中学生のころにギリギリまで不発弾に手を近づけて、爆発しないかのチキンレースみたいなことをやっていたらしい。5人でやって、少し離れていたら爆発したらしく、2〜3人死んだと言っていた。そういう価値観が恐ろしいような話がたくさんあった」

沖縄戦のこととかに対して自分から調べようとしなかったが、この映画を撮ると決めて調べていくうちに、どんどん沖縄戦が自分ごとになった」

 そんな中、舞台作品の演出を務めた栗山民也氏からは一言だけアドバイスをもらったそうだ。

「『戦争というもののきつさは飢えだからね』と言っていた。そのときに、この映画は何か物を食べるというシーンはすごく印象的に撮らないといけないと思っていた」

  若き兵士を演じた山田は記者会見で、撮影中のエピソードを明かしていた。

「どこまで自分が本物に近づけるか。そう考えたときに何ができるかと思ったら、考え続けることと、できるだけ本物を味わうことだった。だから本当にウジ虫を食べたし、噛んで飲み込んだし、そのときの味わった感覚、お腹が空いてたら美味しいと感じるんだろうとか、そういったことをちゃんと自分の身に感じていくというが一番大事だと思った」(山田裕貴氏)

平監督の戦争への思い

平一紘監督

  実際に戦争があった土地で撮影し、実在の兵士の身に起きたことを演じる。戦争を知らない世代の監督と俳優が全身で向き合い、作り上げた『木の上の軍隊』。平監督は、作品への思いを語った。

「80年前に起きたことだが、全然遠い昔の話ではなく、本当に今のものとして捉えて作らないといけないというのがあったし、この映画を撮る上で一番僕が成長できたのはそこかなと思っている」

「戦争の最小単位というのはたった2人の人間の言い合いから始まるんじゃないかなと僕は思っている。そういう意味において、この2人の人間が滑稽にも壮絶に生き抜いてきたというところを通して、平和のありがたさが伝えればいいなと思っている」

 沖縄戦から80年、平和の礎の前には若い人の姿が目立った。戦争の実体験を語れる人が年々少なくなってきているなか、監督は自身の“役割”について、こう話している。

「エンタメの役割は、そういう話を聞いて、映画で10万人、20万人、50万人と、たくさんの人たちに届けられるようにしたい。それを完全なフィクションだということではなく、心が動いて自分ごとに捉えてもらえるような、本当に語り部の人たちがやりたかったことの一助になればいいなと思っている」

(『ABEMA Morning』より)

終戦から80年目 沖縄戦を“自分ごとに” 35歳の若き監督が伝える戦争への思い「平和のありがたさが伝えれば」