離れて暮らす親のことが気になっても、仕事やプライベートが忙しくなかなか顔を会わせることができない……と悩んでいる人も多いでしょう。しかし、高齢者のうち「10人に1人」が認知症といういま、親の介護は誰しも他人事ではありません。事例をもとに、親の介護をめぐりるトラブルについてみていきましょう。

82歳母からかかってきた、「深夜のSOS」

―――もしもし渉君? 助けて、家に知らないおばさんが上がり込んで、帰ってくれないの!

56歳の新沼渉さん(仮名)のもとに電話がかかってきたのは、ある夏の暑い夜のことでした。

渉さんは都内の中小企業に勤める年収700万円サラリーマン。パート勤務の妻と2人、横浜市内のマンションで暮らしています。渉さん夫婦には2人の子どもがいますが、ここ数年の間に2人とも就職し、すでに独立しています。

電話がかかってきたのは、残業を終えてひと風呂浴び、まさに缶ビールを開けようというタイミングでした。

「んだよ、誰だこんな時間に!!」

イラッとしてスマホを持ちあげると、そこには「母」との表示。うんざりしながら電話に出ると、冒頭の「SOS」だったのです。

横浜市内に住む母親の和枝さん(仮名・82歳)は、7年前に夫である渉さんの父親を亡くしてからずっと自宅でひとり暮らしです。渉さんはそんな母親を気にかけつつも仕事に忙殺され、ここしばらくは顔を出さずにいました。

もしもし? 知らない女の人が、帰れといっても帰らない!? 待ってろ、すぐ行くから!」

詐欺師か、それとも押し売りか……。渉さんの頭のなかに、さまざまな可能性が駆け巡ります。

110番するよりもまず、車で15分の実家へと駆け付けました。

――バタン!

実家の前で車のドアを勢いよく閉めると、玄関口で渉さんは声をかけました。

おい、母さん!! 大丈夫か? いま来たからな!

合鍵を乱暴に回してドアを開けると、そこには“予想外の人物”が立っていたのです。

深夜の実家にいた「まさかの人物」

なによ、こんな時間に! ご近所迷惑でしょ?

玄関前の踊り場に仁王立ちしていたのは、バケツと雑巾を手にした5歳年下の妹・恭子さん(仮名・51歳)でした。

「なんでお前がここに?……泥棒は!?」

恭子「はぁ!? いきなりやってきて〈泥棒〉ってなに? 私は介護に来てるの。金曜はいつも泊まりで世話してるって、何度も何度も話してるでしょ?」

「介護? 母さん、病気なのか?」

恭子「あのねぇ……!」

妹は、呆れ果てた表情で渉さんをにらみました。

2040年には「約1,000万人」に…認知症は“他人事ではない”

母親がおびえる「知らないおばさん」とは、介護にきている長女(妹)のことであり、これは認知症の症状のひとつである「見当識障害」によるもののようでした。

認知症」とは、さまざまな病気により脳の神経細胞の働きが徐々に変化し、認知機能(記憶、判断力など)が低下して、社会生活に支障を来たした状態のことをいいます。

厚生労働省の調査によると、2022年時点で65歳以上の高齢者3,603万人のうち、認知症患者は443万人(12.3%)。ここに「軽度認知障害」(559万人/15.5%)を含めると、高齢者の約3割が認知症、あるいは認知症予備軍であることがわかります。

超高齢社会の進行とともに患者は増え続け、2040年には802万人~953万人に増えると予測されています。認知症の問題は、高齢の親をもつ人であれば誰もが直面する可能性があるのです。

渉さんは、妹の姿におびえて背中に縋りつく母親をなだめ、寝室で寝かせたあと、リビングで妹と話をしました。

父が亡くなったあと、渉さん家族が実家に戻る話もありましたが、母親は「お兄ちゃんに迷惑はかけられない」「自宅と年金が15万円あればやっていける」といって同居の話は白紙に。しかしその後、徐々に認知症の症状が現れるようになったそうです。

恭子「お母さんに介護が必要だ、様子を見てって何度いっても〈仕事が忙しい〉の一点張りで、結局、私がずっと面倒見てきたんじゃない」

「そうだったっけ……」

恭子「いい加減にして! 私だって仕事してるの。独身だからって介護を押し付けないでよ。お母さんもひどいよね、滅多に来ないお兄ちゃんは覚えているのに、私のことは知らないおばさん呼ばわりなんて…」

「任せっぱなしで、すまない。本当にありがとう……」

恭子「ありがとうじゃないわよ!!」

妹からのSOSをすっかり忘却していた渉さん。しかし、あんなにおしゃべりで明るかった母親の変わりように、気持ちが追い付きません。

「でもさ…。母さんがあんなに怯えるなんて、まさか、なにかあったんじゃ…?」

恭子「よくもそんなことがいえるわね、だったらあんたがお母さんを引き取ればいいでしょ!」

すでにギクシャクしていたきょうだいの関係は、この件をきっかけにいっそう冷え込んでしまうのでした……。

[参考資料]

厚生労働省認知症および軽度認知障害(MCI)の高齢者数と有病率の将来推計」 (https://www.mhlw.go.jp/content/001279920.pdf)

政府広報オンライン「知っておきたい認知症の基本」 (https://www.gov-online.go.jp/article/202501/entry-7013.html)

(※写真はイメージです/PIXTA)