はたして、石破茂首相は辞めるのか、辞めないのか。参院選での自民党大敗を受けて、政界とメディアの間で情報が錯綜している。

一部報道にはネット上で「誤報だ」との批判も起きているが、その背景に何があるのか。過去に新聞社の政治部で働いていた筆者が読み解く。(記者VTuberブンヤ新太)

●読売・毎日が報じた「首相、退陣へ」

最初に永田町に衝撃を与えたのは、7月23日付の読売新聞朝刊だった。1面トップに「首相、近く進退判断 関税協議を見極め」という見出しが躍った。

「進退判断」とは、辞任か、続投か、検討しているというニュアンスを与えるかもしれないが、政治報道の文脈では「進退判断=辞任表明に向けた最終局面」と受け止めるのが通例だ。

そもそも続投するなら「判断」をする必要がなく、何らかの「判断」をしようとしている時点で、大きく辞任に傾いていることが前提となるからだ。

実際、この報道を受けて自民党関係者も「もう石破政権はもたないな」と語っていた。

その日のうちに日米関税協議が合意に至ると、読売新聞は「石破首相退陣へ 参院選大敗引責 月内にも表明」と題した号外を配布。毎日新聞も「石破首相、退陣へ 8月末までに表明」というスクープを放った。

「進退判断」から「退陣」へ──。報道のトーンが一段と強まった瞬間だった。

●退陣報道を全否定する石破首相

同日午後、石破首相は自民党本部で、麻生太郎菅義偉岸田文雄の各元首相と会談。その後のぶら下がり取材でこう語った。

「(会談では)私の出処進退につきましては一切話しておりません。一部にそのような(退陣)報道がありますが、私はそういう発言をしたことは一度もございません」

この発言を受けて、ネット上では「退陣は誤報ではないか」などとさまざまな憶測が飛び交った。だが、退陣報道はここでとどまらない。

翌24日の朝刊でも、読売、毎日両紙が「石破首相退陣へ」の1面見出しを掲げ、その詳細について記した。

両紙とも大まかな内容は一致しており、それは「石破首相は『早期に退陣を表明したら日米関税交渉に悪い影響を与えてしまう』と考えて選挙直後は続投を表明したが、関税協議に決着がついたため、退陣の意向を固めた」というものだった。

●正反対の世界が広がる各紙の報道

読売新聞の記事にはかなり印象的な一文がある。

<23日朝、「関税協議を見極めて、近く進退判断」と報じた読売新聞を読むと、首相は「関税交渉は合意できたが、(進退を巡る)考えに変わりはない。これで党内が静かになるといいな」とつぶやいた>(読売新聞7月24日朝刊3面)

石破首相が裏では進退にまつわる報道について、受け入れていると言えるような場面が描かれているのだ。

一方、朝日新聞の同日朝刊は「石破氏、即時退陣を全面否定」との小見出しを1面に載せ、トーンも大きく違った。

<歴代首相経験者との会談に先立って読売新聞毎日新聞が「首相が退陣の意向を固める」などと報じると、首相は周囲に「辞めるなんてことはどこにも言っていない。誤報だ」といらだちをあらわにした>(朝日新聞7月24日朝刊2面)

並べて読み比べると、読売新聞朝日新聞では、それぞれ別の世界線の石破首相が観測されているのではないかと錯覚してしまうほどだ。

●情報が錯綜する背景には「政治取材」の特殊性

政治取材の世界は極めて特殊だ。さまざまな政治家が権謀術数を繰り広げ、その多くは闇に包まれている。

政治記者たちは国会や政治家事務所、取材相手の自宅周辺などを走り回りながら、関係者から裏情報をかき集め、日々の政治記事が出来上がっている。

だが、首相に関しては事情が異なる。警備の都合上、公式の記者会見やぶら下がり取材以外に個別に話しかけることが禁じられている。

ほかは首相経験者や現職の閣僚も、国会の中などで話しかけることは認められているが、首相だけ例外なのだ。

そのため、首相に関する裏情報は、首相の周辺から話を聞いて構築をしていくしかない。

ただ、これも政治取材の独特なところなのだが、首相周辺の政治家や官僚も、さまざまな思惑を抱えて喋っていることが多い。

もう石破首相は辞めたほうが良いと思っているのか否か、その人が抱えている思いによっても話しぶりは変わってくるだろう。

場合によっては、報道を通して情勢を変えようと、あえて誤った情報を流すような政治家や政界関係者もいたりするほどだ。

こうして各メディアで異なる「石破首相像」が出来上がる。それが、情報錯綜の正体だ。

●首相の否定発言も信用できない?

一方、石破首相は、退陣について「私はそういう発言をしたことは一度もございません」と強調したが、その言葉を額面通り信用できるかというと、これも怪しい。

この退陣報道と合わせて話題になったのが、まさに石破・麻生・菅・岸田の4氏の会談だが、石破首相は「出処進退につきましては一切話しておりません」と説明したものの、麻生氏は「石破首相では選挙に勝てないという民意が示された」と述べ、他の出席者からも進退を明らかにするよう求める声が上がったことが、各社の報道で明らかになっている。

この会談に関する報道は各社で概ね一致しているため、実際に麻生氏か菅氏、岸田氏あたりが政治記者に内容を話しているとみるのが自然だろう。

石破首相は「私自身が続投するとか退陣するとか会談では話していない」という意味で、「出処進退につきましては一切話しておりません」と言ったのかもしれないが、あまりにも自身に都合よく会談の内容を解釈していることがわかる。

永田町に存在する『謎の理論』

政治家は大きな決断について、あえて嘘をつくことがある。

「絶対に選挙には出ない」と言いながら出馬したり、「解散は考えていない」と言いながら解散したりすることは珍しくない。それぞれ前準備が必要なものなので、急な心変わりだけで発言の変遷は説明できない。

それは正直に「選挙に出ます」「解散します」と答えてしまうと、周囲に大きな影響を及ぼしてしまうからだ。

永田町では「首相は解散と公定歩合については嘘をついてもいい」という『謎の理論』があるが、要するに「政治家は周囲に影響を与える大きな決断については嘘をついていい」ということでもあるだろう。

首相にとって「退陣」を表明するというのは、その瞬間に"レームダック(死に体)"となることを意味する。

今の石破首相にとっては「退陣」も嘘をついてよい大きな判断の1つに含まれているのかもしれない。

なお、先ほど、首相に対して個別に話しかけることは禁止されていると述べたが、唯一の例外がある。それは、電話だ。親しい記者には、電話で本音を吐露することもある。

はたして、どの報道が石破首相の真意に迫っているのか。今後の政治の動きを見守りながら、検証を続けていく必要があるだろう。

辞めるの? 辞めないの? 石破首相「退陣報道」なぜ割れた 情報錯綜の舞台裏を元政治部記者が読み解く