
長年連れ添ったパートナーのことを、あなたは本当にすべて知っていると断言できるでしょうか。パートナーの死によって突然始まる「相続」は、時に、知られざる事実を突きつけ、家族を大きな混乱に陥れることも。本記事では、Aさん夫婦の事例とともに、感情だけでは乗り越えられない相続問題について、社会保険労務士法人エニシアFP代表の三藤桂子氏が解説します。
結婚生活40年、家族を支え続けてきた妻
夫が外で働き、妻は家庭を守る――。そんな価値観が当たり前だった時代。Aさんの夫(享年78)は、大手商社で戦い抜いてきた人でした。そしてAさん(75歳)は、そんな夫を支えることが生きがいでした。子育てに奔走し、家計をやりくり、70歳までモーレツに働いた夫に尽くす。それがAさんの誇りでした。
夫は大企業で取締役まで上り詰め、都心の一等地のマンションローンもとうに完済。60歳で2,500万円、役員引退時には2,000万円の退職金を受け取り、貯蓄や相続財産を合わせれば、資産は2億円を超えていました。公的年金も夫婦で360万円。現役時代もリタイア後も、誰もが羨むような、なんの不自由もない生活が送れていました。
夫が完全に引退したら、夫婦水入らずで世界中を旅しよう。Aさんはそんなささやかな夢を胸に描いていました。しかし、現役時代と変わらず付き合いの多い夫は、引退後も多忙を極め、二人の時間はほとんど取れないまま歳月が過ぎていきました。
愛する夫の最期に告げられた「残酷な事実」
夫の体に脳腫瘍が見つかったのは、75歳のときでした。手術もおよばず、2年後の再発で医師から告げられたのは余命宣告。Aさんは「その日」が来るまで、夫の手を握り続けようと決めました。これまでの感謝を伝え、穏やかに、安らかに送り出してあげたい。その一心で、毎日病室に通い続けたのです。
日に日に弱っていく夫の手を握り、「あなたと一緒になれて、本当に幸せだった」と語りかけた、ある日の午後。夫が最後の力を振り絞るように、なにかを話し始めました。しかし、その声は途切れ途切れで、うまく聞き取ることができません。
Aさんが「大丈夫よ、無理しないで」と顔を近づけると……。夫が懸命に紡いだ言葉は、長年の結婚生活を根底から覆す、あまりにも残酷な秘密でした。
「……離れたところに、子どもがいるんだ。50年前、本当に愛した人がいた。彼女はもう事故で亡くなったが、その子に……。せめて最後に、会いたかった……」
耳を疑いました。弱っていく夫が見せる幻なのでしょうか。しかし、夫は最後の力を振り絞り、こう続けたのです。
「私が死んだら、認知したあの子にも、財産を……」
その言葉を最後に、夫は静かに息を引き取りました。愛する夫の最期を看取ったはずのAさんは、その場に呆然と立ち尽くすほかありませんでした。
戸籍謄本で明らかになった衝撃事実
頭が真っ白になりながら、Aさんは病院を飛び出し、近くのコンビニへ走りました。マルチコピー機で、夫の戸籍謄本を取得します。そこに記された「認知」の二文字と、見知らぬ子の名前に、全身の血の気が引いていくのがわかりました。認知日は、10年も前。
なぜ、気づかなかったのか。……いや、気づけるはずがなかったのです。結婚して数十年、パスポートの更新でもない限り、戸籍謄本を取り寄せることなどありません。息子の結婚のときも、手続きは夫と息子に任せきりでした。なによりも、Aさん自身が、愛する夫を疑うことなど微塵もなかったのですから。
知らなかったのは妻だけ
葬儀社の手配など、やるべきことは山積みのはずなのに、なにも手につきません。息子(40歳)の支えでなんとか葬儀を終え、Aさんはやっとの思いで事の次第を打ち明けました。
しかし、息子の口から返ってきたのは、さらなる衝撃の事実。
「……ごめん、お母さん。俺は、自分の結婚のときに戸籍をみて、その人の存在に気づいた。お父さんには、お母さんが可哀想だから絶対に黙っていたほうがいいといったんだ」
息子は当時、父を問い詰めたといいます。お見合い結婚だったAさん夫婦。父は、Aさんのことが嫌いになったわけではないが、生涯でただ一人、Aさんとの結婚前に、心から愛した女性がいたと。事情があって結ばれなかったその女性とのあいだに子どもがいたことを10年前に知り、父親としての責任を果たすために認知したのだと聞いたようです。
息子は「法律で決まっている相続人だから、仕方ないよ」と、諦めたようにいいました。
周囲から「素敵な夫婦」などと羨望の眼差しを向けられ、それをなによりの誇りに思っていたのは、自分だけだったのか――。残酷な真実に打ちのめされていたAさんに、追い打ちをかけるように、夫が公正証書遺言を遺していたことが判明します。もう、争う気力など残っていませんでした。
遺言書の付言に記されていたこと
遺言の内容は、夫の言葉通り、認知した子にも財産をわけるというものでした。しかし、その最後に、「付言事項」として夫の直筆を写した一文が添えられていました。
『長年、内助の功として家庭を守り、私に尽くしてくれた妻、Aに心から感謝している』
その一文を読んだ瞬間、夫が亡くなってから一度も流れなかった涙が、とめどなく溢れ出てきました。裏切られたという事実は消えません。この現実を受け止めるには、まだ長い時間がかかるでしょう。
それでも、Aさんが捧げた人生が、決して無駄ではなかったこと。夫が、Aさんの存在を当たり前だと思わず、感謝してくれていたこと。その事実だけが、いまのAさんの唯一の救いとなっています。
相続の際、資産を守るために
長年連れ添った夫婦であっても、お互いのすべてを知っているわけではありません。知らなかった事実が相続を複雑にすることがあります。自身の家族と資産を守るため、最低限おさえておくべき3つのポイントを解説します。
1. 「認知された子」の権利は、実子とまったく同じ
法律上、認知された婚外子の相続する権利(法定相続分)は、婚姻関係にある夫婦の子とまったく同等です。これは感情では覆せない、相続の絶対的なルールです。今回のケースでも、遺言がなくても認知された子には遺産の4分の1を受け取る権利がありました。
2. 遺言は強力だが、「遺留分」という最低限の権利も
遺言の内容は原則として尊重されますが、残された配偶者や子には、最低限の財産を受け取れる「遺留分」という権利が保障されています。たとえ不利な内容の遺言があっても、この権利を主張することは可能です。
3. 「我が家に限って」という思い込みを捨て、いますぐできる対策を
今回の悲劇を避けるために、できることはあります。「まさか」に備え、数年に一度は家族の戸籍謄本を確認する習慣を持つことも、有効な自衛策です。また、特定の誰かに財産を遺したい場合、相続トラブルになりにくい生命保険の活用も有効な手段です。受取人を指定すれば、その保険金は遺産とは別の財産として扱われます。
生前の準備と正しい知識が、自身と大切なご家族を守る最大の武器となり得ます。
三藤 桂子
社会保険労務士法人エニシアFP
代表

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