
西海岸最大の「モパー」専門ヤード
米国オレゴン州サンディにある『ワイルドキャット・オート・レッキング(Wildcat Auto Wrecking)』は、西海岸最大の「モパー・ヤード」を自称しており、それは決して誇張ではない。
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モパー(Mopar)とは「モーター」と「パーツ」を組み合わせた造語で、もともとはクライスラー系の純正部品を扱う部門の名称だが、愛好家からはクライスラーのクルマを指す総称としても知られている。今回紹介するジャンクヤードでは、数多くのモパーを見ることができるのだ。
敷地内にはクライスラー、デソート、ダッジ、インペリアル、プリムスのクラシックな乗用車やトラック、プロジェクトカー(レストア向け車両)、部品取り車など、1000台近くが混在している。
わたし達取材班は2018年にこのジャンクヤードを訪れた。レストア向け車両の価格は訪問時のものであり、今では変更されている可能性がある。また、すでに売却済みの可能性もある。
ワイルドキャット・オート・レッキングは、とても親切で知識豊富なスタッフによって運営されている。現在、水曜日から土曜日まで営業しており、見学は予約制となっている。
プリムス・フェザーダスター – 1976年
度重なる石油危機の中で、最大限の経済性を実現しようと、クライスラーは軽量な高性能車を発売した。1976年のみ販売されたプリムス・フェザーダスターは、数多くのアルミ部品とマニュアル・トランスミッションを採用し、通常のダスターよりも5%軽量だった。
同クラスで最も燃費の良いモデルであり、高速道路では15.3km/lを達成した。1976年式ダスターの約20%が、フェザーダスター・パッケージ装着車だ。
ダッジ・ランサー – 1961年
ワイルドキャット・オート・レッキングには、この写真の1961年式ランサー770を含め、ダッジ車が数多く置かれている。この個体は、走行可能な状態でヤードに持ち込まれたとのことなので、6気筒エンジンを復活させるにはそれほど手間はかからないだろう。訪問時の販売価格は2000ドル(約30万円)だった。
クライスラー・インペリアル – 1962年
9500ドル(約140万円)という価格は、このヤードで見つけた車両の中ではかなり高額な部類に入る。1962年製のクライスラー・インペリアル・クラウン・コンバーチブルで、特にボディの状態が良い。欠点は、走行不能なことと、ソフトトップが失われていて内装が傷んでいることだ。
新車当時、この美しいクルマを手に入れるために5770ドルを支払った人はわずか554人だった。
ダッジ・ミラーダ – 1981年
ダッジ・ミラーダは新車当時もあまり見かけないクルマだったが、現在は極めて希少だ。コルドバやインペリアルと同じJプラットフォームを採用したパーソナルラグジュアリーカーで、1980年から1983年にかけて5万3000台しか販売されていない。写真の1981年式は1万1899台のうちの1台で、ワイルドキャット・オート・レッキングでは1200ドル(約18万円)で売り出していた。
プリムス・フューリー・ステーションワゴン – 1960年
信じられないことに、この1960年製のプリムス・フューリー・ステーションワゴンは、1970年代後半から一度も道路を走っていない。一見、腐食はまったく見当たらないが、おそらく下部はひどく錆びついているだろう。部品取り車として扱われている理由も理解できる。
極めて希少なモデルで、生産台数は7586台のみ。販売不振の要因の1つは、この巨大なテールフィンにある。当時、こうしたデザインは急速に時代遅れとなってしまい、翌年には完全に姿を消してしまった。
ダッジ・コロネット – 1955年
3代目ダッジ・コロネットは、1949年にスチュードベーカーからクライスラーに移籍した凄腕デザイナー、ヴァージル・エクスナー氏によって設計された。以前のモデルよりも低く、長く、そして広くなったことで、販売台数を大幅に伸ばした。この4ドア・セダンは、コロネットの2年間の生産期間のうち、最初の1955年に出荷されたものだ。
ダッジ・ダート – 1976年
駆動系については保証できないが、この1976年式ダッジ・ダートのボディにはほとんど問題がない。10年分ほどの汚れや埃を磨くだけで、外観は完全に生まれ変わるだろう。価格は1200ドル(約18万円)で、レストアに挑戦しやすい個体だ。1976年には、2万7849台の4ドア・セダンが生産された。
インペリアル・クラウン・クーペ – 1964年
1964年はインペリアルにとって記録的な年で、2万3295台が工場から出荷された。それでも、ライバルのリンカーンには1万3000台差で及ばなかった。その年販売された5つのボディスタイルのうち、2番目に人気があったのはクラウン・クーペで、5233台が道路を走った。
重量は5000ポンド(2273kg)以上あったが、6.8LのV8エンジンにより0-97km/h加速8.4 秒という驚異的な加速力を誇った。
クライスラー・ニューヨーカー – 1975年
フロントガラスに書かれたメモによると、この1975年製のクライスラー・ニューヨーカー・ブロアムは、整備が必要だそうだ。2003年以来、一度も道路を走っていないことを考えれば、それも当然だろう。ボディは素晴らしい状態を保っており、4本のタイヤすべてにまだ空気が入っているのが印象的だ。
このような2ドアのハードトップは、4ドア・ハードトップの2倍の人気があり、1975年には1万3000台近くが生産された。
プリムス・ボラーレ – 1977年
プリムス・ボラーレは、1980年代に大部分がスクラップとなり、残存率はあまり高くない。しかし、そうした逆境を乗り越えてここまで生き残ったにもかかわらず、最終的にジャンクヤードへたどり着いたことには驚かされる。ボディにはへこみがなく、腐食もほとんどない、驚くほど良い状態だ。
ダッジDシリーズ – 1963年
1963年製のダッジDシリーズを紹介しよう。ボンネットの下には6.3L(383立方インチ)のビッグブロックV8エンジンが搭載されており、その威圧的な外観が存在感を放っている。フロントガラスの「ヴァイオレーター(Violator)」も印象的だ。このトラックの経歴、特にワイルドキャット・オート・レッキングにどのようにして持ち込まれたのか、ぜひ知りたいところだ。
クライスラー・ル・バロン – 1983年
リー・アイアコッカ氏によるKプラットフォーム車は、1981年から1995年の間に350万台を販売し、クライスラーを救ったが、現在ではほとんど人気がない。ダッジ・アリーズ、クライスラー・ル・バロン、プリムス・リライアント、その他このプラットフォームを採用した数多くモデルも、クラシックカーの世界ではほとんど価値がない。
このラグトップ装備の1983年式クライスラー・ル・バロンはその典型例で、生産台数が1万台に満たない希少車にもかかわらず、価値はわずか850ドル(約12万円)だ。
ダッジ・チャージャー – 1970年
こちらは、世界中のクラシックカー愛好家の心を奪った1台だ。1970年製のダッジ・チャージャーで、状態もそれほど悪くはない。欲しいと思われた方もいるかもしれなが、残念ながら手遅れだ。この個体は、わたし達が訪問する数日前に売れてしまい、南アフリカの新しいオーナーのもとへ出荷されるところだった。
ダッジ・マグナム
1978年から1979年の間に合計7万2000台のダッジ・マグナムが生産されたが、現在残っているものはごくわずかだ。次にジャンクヤードで見かけるのは何年も先だろうし、ましてや2台一緒に見つかることは非常に稀だろう。
この2台のうち、若干人気が高いのは左側の高級仕様のXEで、純正のサンルーフやバケットシートなどの豪華装備が特徴だ。どちらも走行可能で、訪問時にはそれぞれ1900ドル(約28万円)と1500ドル(約22万円)で販売されていた。
プリムス・ダスター – 1973年
上部の青い部品取り車は、1973年に24万8243台が生産されたプリムス・ダスターだ。傷跡はひどいが、保存すべき良質なパーツも数多く残っている。
その下にあるヴァリアントは、ボディパネルが明らかに異なる年代のクルマから流用されているため、年式を特定するのは容易ではない。ジョニー・キャッシュの曲『One Piece at a Time』を思い出させる。
クライスラー・ニューヨーカー – 1972年
この1972年製のクライスラー・ニューヨーカー2ドア・ハードトップクーペの価格は 1000ドル(約15万円)で、このような希少なクルマとしては信じられないほどのお買い得感がある。販売台数は5567台に過ぎないが、希少性と価値が必ずしも比例するわけではない。
他の西海岸の諸州と同様、オレゴン州は塩害に悩まされるような地域ではない。そのため、この個体も含め、ワイルドキャット・オート・レッキングにある多くの車両が腐食せずに生き残っている。
ダッジ・ランページ – 1983年
ダッジ・ランページを最後に見かけたのはいつだろう? エルカミ-ノ/スバル・ブラットのライバル車であるこのモデルは、1982年から1984年までしか生産されておらず、当時からあまり一般的なものではなかった。この個体は、1983年に生産された8033台のうちの1台で、Glasstiteのキャンパーシェルを装着している。
ヤードでは1500ドル(約22万円)で販売されていたが、これはお買い得と言えそうだ。
デソート – 1951年
部品取り車はかなりぎゅうぎゅうに詰め込まれ、その多くは2段積みになっているため、撮影が難しい。これは1951年に12万1000台が生産されたデソートのうちの1台だが、車種別の生産台数は不明なので、このステーションワゴンがどれほど希少なのかはよくわからない。
かつて最高速度135km/hを誇った4.1L 6気筒エンジンは、今はもう搭載されていない。
プリムス・ボラーレ・ステーションワゴン – 1977年
希少性と人気の高さが必ずしも比例しないことを示す好例だ。1977年製のプリムス・ボラーレ・プレミアという「ウッディ」ステーションワゴンである。1977年はボラーレにとって最高の年であり、21万7795台が生産されたが、側面にフェイクウッドのパネルが取り付けられたのはごくわずかだった。この個体の価格は1000ドル(約15万円)だった。
プリムス・スポーツ・サテライト – 1970年
クラシックカーディーラーで1970年製のプリムス・スポーツ・サテライト2ドア・ハードトップを購入するには多額の費用がかかるが、この個体はディーラーとは程遠い場所にある。ひどく変形したリアフェンダーはまるで熟れすぎた梨のように腐っており、その下にはどのような惨状が待ち受けているのか想像もつかない。
ワイルドキャット・オート・レッキングのウェブサイトには、敷地を上空から見たドローン映像があるが、この個体は見つからなかった。おそらく、新しい居場所が見つかったのだろう。
(翻訳者注:記事は後編へと続きます。)
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