
デソート・ファイアライト – 1957年
このジャンクヤードの特定のエリアを歩くと、50年前にタイムスリップしたような感覚に陥る。1970年代には、このような光景はジャンクヤードでは珍しくなかったが、今ではまず見られない。1957年のデソート・ファイアフライトが、1957年のクライスラー・ウィンザーの屋根の上に載っている。
【画像】大流行したフルサイズ車のテールフィン【ダッジ・ポラーラを詳しく見る】 全21枚
プリムス・バラクーダ – 1964年
プリムスの2ドア・ファストバック、バラクーダは、マスタングより2週間早い1964年にデビューした。しかし、フォードのライバル車に完全に注目を奪われ、販売台数でも大きく差をつけられた。バラクーダは発売初年度に2万3443台を販売したが、同期間のマスタングの販売台数は12万6538台だった。プリムスというブランド自体に、フォードのような若々しいイメージがなかったことも不利に働いた。
この写真のプロジェクトカーの価格は不明だが、同じような状態の他のクルマは3000ドル(約45万円)前後で売られていた。
ダッジ・ポラーラ – 1968年
ダッジ・ポラーラは、北極星「ポラリス」にちなんで名付けられ、フォード・ギャラクシーと同様、宇宙探査に対する大衆の熱狂的な人気に便乗して発売された。当初はダッジの最高級車という位置づけだったが、すぐに若干のグレードダウンが行われた。
この印象的なリアエンドは、1968年モデルの特徴で、この年7万100台が生産された。
デソート・デラックス – 1948年
この1948年式デソートの4ドア・セダンは、屋根に巨大なへこみがある。これは長年、別のクルマの重量を支えてきたためで、その重量が約4000ポンド(1818kg)あったことを考えれば、驚くには値しないだろう。
新車当時は、ウィンドワード、オリノコ、フォレスト、ジプシーの4種類の緑色を含む16種類のカラーバリエーションが用意されていた。リアフェンダーに残っている塗装の跡から判断すると、この個体はジプシーだったようだ。10万台近くが生産され、ワイルドキャット・オート・レッキングには数台の在庫がある。
プリムス – 1950年
1950年製のこのプリムスからは、塗装はすっかり色あせてしまったが、クロームメッキのバンパーはオレゴン州の太陽の光でまだ輝きを保っている。とはいえ、オーバーライダーの1つがあまり良い状態ではないのは不思議である。
1932年から1954年まで、プリムスは米国で第3位の販売台数を誇った。1位を争っていたのはシボレーとフォードだ。1970年代半ばにはデソートの順位は中盤まで落ち込み、その20年後にはクライスラーだけがプリムスの下位にあった。しかし、2000年代に入ると、プリムスは国内ブランドの中で最も販売台数の少ないブランドとなり、販売台数はわずか5万4543台にとどまった。翌年、プリムスは生産を中止し、73年にわたる自動車生産の歴史に幕を閉じた。
プリムス・フューリー – 1960年
プリムスは1950年代半ばからテールフィンを採用し始め、10年の間でサイズと豪華さを増していき、1960年のフューリーで最高潮に達した。翌年、ヴァージル・エクスナー氏が完全に再設計し、テールフィンは歴史の1ページに閉じ込められた。この個体は、部品取り車としては素晴らしいコンディションだ。
ダッジA100バン
自動車史上最大の謎の1つは間違いなく、アニメ『スクービー・ドゥー』に出てくる「ミステリーマシン」の正体だろう。2002年公開の映画では1972年型ベッドフォードCFが使用されたが、一般的な見解では、オリジナルのアニメ版に登場するバンは1960年代中頃のシボレーGシリーズか、このダッジA100のいずれかだと考えられている。
ワイルドキャット・オート・レッキングにはこれらのクルマが数多く残されており、わたし達の訪問時には1000ドル(約15万円)から販売されていた。
ダッジA100ピックアップ
ダッジA100バンは1964年から1970年の7年間生産され、ピックアップトラックを含むさまざまな仕様で展開された。前輪駆動の商用バンで、フォード・エコノラインやシボレーGシリーズといった国産車と競合し、また人気の高い輸入車フォルクスワーゲン・タイプ2とも熾烈な競争を繰り広げた。残念ながら、この個体は深刻な腐食の問題を抱えている。
プリムス・ヴァリアント・コンバーチブル – 1963年
この1963年製のプリムス・ヴァリアント・コンバーチブルは、2009年以降走行しておらず、ソフトトップが著しく劣化している。そのため、プロジェクトカーとして購入する勇気のある人は、間違いなく内装の修復に多額の費用をかけることになるだろう。
コンバーチブルは人気のため、クーペよりも現存率が高く、このヤードの敷地内では少なくとも数十台を確認した。
ダッジ – 1946年
おそらく新しい “入れ歯” が必要だろうが、このダッジは基本的にかなり良いコンディションだ。1946年のモデルと思われるが、フロントグリルのデザインは2年ほど変更されていない。
隣の1950年式プリムス・デラックスと同様、この個体もレストアの対象として売り出されていた。
プリムス・ヴァリアント・スキャンプ – 1971年
この個体のフェンダーに「74 Scamp」と書き込んでくれたワイルドキャット・オート・レッキングの従業員のおかげで、年式を推測する手間が省けた。
1971年に発売されたプリムス・ヴァリアント・スキャンプは、基本的にはダッジ・ダート・スウィンガーの2ドア・ハードトップのバッジエンジニアリング車だった。この年は最もよく売れた年で、15万6303台が販売された。
ダッジ・ダート・コンバーチブル – 1966年
ジャンクヤードでまだソフトトップが残っているコンバーチブルを見つけるのは、非常に珍しいことだ。とはいえ、この個体の助手席に、大雨の日に座ってみたい人はいないだろう。
ナンバープレートによると、この個体は、わたし達がワイルドキャット・オート・レッキングを訪れた1年前の2017年に現役を引退したようだ。
プリムス・フューリー・サバーバン – 1970年
これは、1970年製のカスタム・サバーバンという、巨大なプリムス・フューリーのステーションワゴンである。
標準の318立方インチ(5.2L)V8エンジンを搭載したオートマチックのフューリーワゴンは、0-97km/h加速に12秒はかかった。しかし、その名にふさわしい加速力を求めるなら、440立方インチ(7.2L)V8エンジンが選択可能だった。これにより、0-97km/h加速タイムが4秒短縮され、理論上の最高速度は198km/hに達する。もちろん、1972年製のプリムス・フューリー・グランクーペを屋根に乗せている場合は、少し速度は落ちる……。
プリムス・フューリー・コンバーチブル – 1970年
1970年製のプリムス・フューリー・コンバーチブルに乗って、太陽の光を浴びながら高速道路を走り抜けるのはどうだろう? ボンネットの下には383立方インチ(6.27L)のスーパーコマンドV8エンジンが搭載されているが、これを復活させるにはかなりの手間がかかるだろう。当時、最高出力290psを発揮し、1/4マイルを17秒以下で走ることができた。
この個体の販売価格は2995ドル(約45万円)で、わたし達にはとてもリーズナブルに思えた。
ダッジ・ランサー・ステーションワゴン – 1961年
部品の90%程度は残っているように見えるが、この1961年式ダッジ・ランサー・ステーションワゴンに元の輝きを取り戻すには、多額の費用がかかるだろう。地面に沈み込んでいる様子から察するに、何年も新しいオーナーを探しているようだ。
ランサーは、クライスラー・ヴァリアントのダッジ版で、このステーションワゴンは1万台も生産されなかった。
プリムス・ベルヴェディア – 1963年
この1963年製のプリムス・ベルヴェディア4ドア・セダンが出荷された当時、ビートルズのデビューアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』がチャート入りしていた。1970年(偶然にもビートルズが解散した年)にサテライトに取って代わられたベルヴェディアは、イタリア語で「美しい光景」を意味する言葉から名付けられた。しかし、この部品取り車はその名前にふさわしいとはとても言えない。
クライスラー・ニューヨーカー – 1955年
これはかなり珍しい組み合わせだと思う。下は1955年のクライスラー・ニューヨーカー・デラックス4ドアセダンで、その上に載っているのは1955年のデソート・パワーフライトのようだ。
上のクルマの方が希少だ。V8エンジン、最高出力200psを誇る最高級のハードトップクーペだが、販売台数は1万313台にとどまった。一方、クライスラーは3倍以上の人気を誇った。
ダッジ・マタドール – 1960年
1960年型ダッジ・マタドール(下)は、最上級モデルのポラーラの1つ下のグレードで、1960年のみ生産された。ポラーラ同様、特徴的な短いテールフィンが採用されていた。この個体の4ドア・セダンは2950ドルで、2万7908台が販売された。
上は1960年のデソートだ。まあ、4分の3くらいしか残っていないが……。
ダッジ・コロネット – 1956年
3代目ダッジ・コロネットは1955年と1956年のみ生産され、この4ドア・セダンは後者のモデルだ。堂々とした名前にもかかわらず、1950年代半ばにはダッジのラインナップの最下位モデルとなっていた。
1956年のモデルは、トリムが変更されただけで、外観は前年モデルとほとんど同じだった。
ダッジ・クラブ・クーペ – 1939年
この1939年製のダッジ・クラブ・クーペは、このジャンクヤードでわたしたちが見つけた数少ない戦前のクルマの1つだ。駆動系は失われているが、ボディは頑丈で、誰かの手によってレストアされることになるかもしれない。
今回の記事はここまで。冒頭(前編)でも述べたように、ここで紹介した車両はいずれも2018年に撮影したものなので、現在は販売されていない可能性があることをご承知おきいただきたい。これらの車両に興味がある方は、ワイルドキャット・オート・レッキング(Wildcat Auto Wrecking)のウェブサイトを覗いてみるといいだろう。
原文:ウィル・シャイアーズ(Will Shiers)
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