
この記事をまとめると
■ユーノス・ロードスターにも大きな影響を与えた初代ロータス・エラン
■初代エランは軽量であることによる新たな走りの楽しさを演出した
ライトウエイトスポーツカーの元祖
いつの時代も、カーエンスージアストの目を魅了して止まないライトウエイトスポーツカー。今回はその象徴的な存在ともいえる初代「ロータス・エラン」の話をしよう。
それは、1989年に発売されたユーノス・ロードスター以来、4世代にわたって進化を続けてきた、マツダのロードスターシリーズにも大きな影響を与えたことでも知られている。
スポーツカーといえば、まだ高性能な大排気量エンジンを搭載するということが絶対条件と考えられていた1960年代、正確には1962年のロンドンモーターショーで発表された初代エランは、ライトウエイト、すなわち軽量であることを最大のアドバンテージとすることで、新たな走りの楽しさを演出したモデルだった。
初代エランに与えられたボディは、現代の目で見てもまだまだ魅力的に感じるデザインだ。のちに「S1=シリーズ1」とも呼ばれることになる最初期のモデルにはオープン仕様しか存在しなかったが、それもまた見た目から走りの楽しさを感じさせるにはベストな選択といえた。
ちなみに1962年の発売当初、エランに設定されていた価格は完成車で1495ポンドというから、約150万円という数字。さらにロータスは、キットでもエランの販売を行っており、こちらは1095ポンド、110万円でカスタマーのもとへとデリバリーされた。ロータス・エランというライトウエイト・スポーツカーは、その走りとともに低価格であることもまた、大きな魅力となっていたのである。
発売時にエランに搭載されたエンジンは、イギリス・フォードから供給される1498ccの直列4気筒エンジンをベースに、ロータスが独自に開発を進めたツインカムヘッドを組み合わせたもので最高出力は100馬力。その後すぐに排気量は1558ccに拡大され、その数字は105馬力にまで引き上げられる。
それは640kgにも満たない車重のエランでスポーティな走りを楽しむには十分な性能といえた。
10年以上の歴史をもつ初期ロータスの大ヒットモデル
1964年に登場した進化型の「S2」では、翌1965年にFHC=フィクスドヘッドクーペ仕様も追加される。オープン仕様がロータスの社内型式ではタイプ26と呼ばれていたのに対して、新たにタイプ36と呼ばれたこのFHCモデルは、エランにさらに新たなカスタマー層を迎え入れる大きな原動力ともなった。
1966年には115馬力の最高出力を掲げる「S2SE」も誕生。このS2SEでは、サスペンションにもスポーティなテイストのセッティングが与えられたほか、ブレーキもサーボ機構付きのものに変更されるなど、走りへのこだわりはさらに強くなった。
エランはその後も1966年には「S3」、1968年には「S4」へと進化し、その過程で運動性能はもちろんのこと、快適性もまた着実に向上していった。
その象徴的な例となったのが、ホイールベースをそれまでの2134mmから2435mmに拡大することで2+2のキャビンを実現した「+2=プラス2」。
1968年に登場した初代エランの最終進化型「S4」では、その豪華バージョンとなる「+2S」や、最高出力で126馬力を達成した「エラン・スプリント」もリリースされている。
ちなみに初代エランは、1975年までその生産が継続されるが(2シーターモデルはひと足早く1973年に生産が中止されている)、1962年からの総販売台数はじつに約1万8000台を記録するに至った。
初代エランはその後のライトウエイトスポーツカーの開発にも大きな影響を与えた。そして、その影響力が現在でもなお健在であることは、最初に触れたマツダ・ロードスターなどの例からも証明されている。
ライトウエイトスポーツカーの歴史を語るうえで欠かすことのできないロータスの初代エラン。それは誰もが一度はそのステアリングを握ってみたいと考える一台にほかならないのだ。

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