40年前にサラ金まで使って購入したオースティン「ヒーレー スプライトMk.1」!とあるボディキットで復活を遂げる

朽ち果てそうになっても手放さなかった「宝物」

40年という歳月を共にしてきたオースティン「ヒーレースプライトMk.I」。無理をして購入し、放置せざるを得なかった時期を経て、ついに蘇ったこのクルマとの物語は、単なる愛車紹介にはとどまりません。腐れ縁とも言えるこの関係に、いま再び火がつきました。

「腐れ縁」と語るカニ目と出会うきっかけになったとある記事

「カニ目(オースティン ヒーリー スプライト マーク1)とは、もう腐れ縁ですね。手に入れたのは1984年でしたので、所有して40年になります」

そう話すのは、香川県にお住まいの伊瀬清司さんだ。

ヤングSを含み3台乗り継いだスバル「360」に始まり、スバル「R2」を2台(1台はスポーティデラックス)、そしてトヨタカリーナ」と、国産の小型でスポーティなクルマを好んできた伊瀬さん。そんな彼が初めて輸入車に乗ったのは、VW「ビートル1302S」だった。

その頃、愛読していた『スクランブル・カーマガジン』で衝撃的な出会いをする。

「忘れもしないナンバー30号、1982年の12月号です。そのなかに出てくるスプライトの記事を見て脳天に電気が走りました」

当時は「レストア」という言葉が、まだ一般的ではなかった時代。日本グランプリにミニクーパーで出場するなど、自動車愛好家として知られる写真家・故早崎治氏の元愛車であるスプライトを引き継いだ並木正明さんのレストア完了を紹介するグラビアと記事が掲載されていたのだ。

その記事は、レストアという概念を多くの読者に植え付けると同時に、カニ目=スプライトの価値を再評価させる契機ともなった。

オースティン ヒーレースプライトMk.Iオーナーを取材

あらゆる手を使って購入資金をかき集めた

その出会いに心を撃たれた伊瀬さんは、すぐさまカニ目を探しにショップへと駆け込む。購入金額は237万円。しかし、手持ちは50万円しかなかった。

「親に内緒で保証人としてハンコを押してローンで150万円借り、足りない分はサラ金で用意して、なんとか237万円を捻出しました。親に迷惑はかけませんでしたが、無茶でしたね」

その価格は当時のトヨタクレスタ スーパールーセント」の新車価格と同じほどだった。だが、念願のカニ目の状態はというと……。

「ボディには艶がなく、内装もボロボロ。デフもミッションも異音がしていましたが、私にはキラキラして見えたんです」

伊瀬さんはこのクルマを通勤にも使い、休日も楽しんでいたが、車検が切れたタイミングでレストアを決意。しかし、転職なども重なり、結局予算が足りず、数十年にわたり雨ざらしのまま放置してしまう。

「新規登録でしたので3年は楽しんだのですが、いざレストアと思った時には、また予算がなくて放置、数十年雨晒しにしてしまいました。それでも捨てるということは1度も考えたことはありませんでしたね」

数十年の眠りから目覚めさせた「カニチーノ」のボディキット

時が流れ、知人からスズキカプチーノ」をベースにFRPでカニ目のボディを型取りした「カニチーノ」なる存在を聞かされる。そして、その型取りに使われたホンモノのカニメのボディは、使われないまま残っているという。

「これは使える!」

と思った伊瀬さんは、ボディキットを使用してレストアを進めたのである。

「まわりからは、こんな腐ったクルマ、捨てればと言われましたが、大好きなんです。買うときも苦労しましたし、これで直せると思ったんです」

数十年の間に、エンジンはもちろん、異音の出ていたミッションやデフも、程度の良い中古品を集めていた。交換可能な消耗部品もすべて新調し、ようやく10年前にレストアを完了した。

「これ以上のロードカーはない」

「私にとって、これ以上のロードカーはありません。あ、偉そうに言ってますが、オーナー歴は40年以上でも、乗車歴は10年あるかないかです。なので、これからが本番ですかね」

そう笑う伊瀬さん。

40年目のスプライトとの生活は、いまようやく第二幕に突入したばかりである。

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愛車オースティン ヒーリー スプライトMk.Iは所有して40年というオーナーの伊瀬さん。後ろにあるウーズレー1300は友人との共同所有車