パートナーを信じ、家庭を守ることに専念してきた日々。その献身が、必ずしも安定した未来を保証してくれるわけではありません。ある日突然、離婚という形で人生の岐路に立たされたとき、自分の足で生きていくができるでしょうか? 本記事では倉本さん(仮名)の事例とともに、熟年離婚のリスクについて、FP事務所MoneySmith代表の吉野裕一氏が解説します。※個人の特定を避けるため、事例の一部を改変しています。

若くして結婚。30年間専業主婦だった妻に青天の霹靂

若いころは誰もが振り返るほどの美人だった倉本明子さん(仮名/現在53歳)に、智彦さん(仮名/現在56歳)が猛アタックの末に結婚して30年。一人っ子の箱入り娘として育ち、少し世間知らずなところがあった明子さんは、結婚前に「生活費は月に20万円はほしいな」と可愛らしくおねだりしていました。

市役所職員として働きはじめたばかりの智彦さんには、すぐにはその願いを叶えられませんでしたが、仕事一筋に働き続け、年齢とともに収入も増加。子どもたちが大学生になるころには、ついに約束の月20万円を明子さんに渡せるようになりました。

仕事一筋の夫を支え、2人の子どもを育て上げた、ごく普通の専業主婦でした。28歳の長男と26歳の長女は、すでに家を出て独立。お金の管理は堅実な夫に任せきりで、明子さんは毎月20万円の生活費を受け取っていました。

住宅ローンや光熱費、通信費や教育費などは夫の口座から、「生活費」20万円は食費や家族の衣服費・雑費、そして残りは明子さんの自由なお金に――。約束を果たしてくれた夫への信頼もあり、明子さんは友人とのランチや習い事を楽しみ、お金の心配とは無縁の満ち足りた日々を送っていました。

そんな生活に変化の兆しが見えたのは、3年ほど前のこと。智彦さんが趣味で木工細工を始めたのです。休日になると作業場へ出かけていく夫の姿に、明子さんは「長年家族のために働いてくれたのだから」と、特に気にも留めていませんでした。しかし、これが来るべき嵐の前兆だったのです。

熟年離婚を夫から切り出され…

ある日、智彦さんが真剣な面持ちで「話がある」と明子さんに切り出しました。もともと夫婦の会話は少なく、喧嘩もありませんでしたが、そのただならぬ雰囲気に明子さんは息をのみます。

「これからは自分のやりたいことを優先したい。もう君とは、夫婦としてやっていく自信がないんだ。家を出ようと思うから別れてくれ」

「夫婦として」という言葉の裏に、『妻として、女性として、もう君には魅力を感じない』という本音が透けてみえ、明子さんは言葉を失い、茫然とするばかりでした。「時間をください」と絞り出すのが精一杯で、寝室に逃げるようにこもりました。

後日、改めて話し合いの場を設けても、夫の意思は固く、覆りません。結局、智彦さんが家を出ていく形で別居が始まり、離婚は避けられない状況となりました。

残された「家」と「現金200万円」…50代専業主婦、初めての就職活動

幸い、これまでどおり家に住み続けることはできましたが、明子さんを待っていたのは厳しい現実でした。長年の住宅ローンや子どもの教育費の支払いで、夫の貯蓄は200万円程度。家に住み続けることを選択したため、明子さんへの現金の財産分与はほとんどありません。

「夫が老後の準備もしてくれるだろう」と信じ、自身の貯蓄は生活費から捻出した“へそくり”程度しかなかった明子さん。30年間お金の心配なく暮らしてきましたが、突如として自力で収入を得る必要に迫られたのです。

ハローワークへ通い、求人情報を探すものの、なんのスキルもない50代の専業主婦に務まる仕事はなかなかみつかりません。ハローワークの職員からも「未経験でしょう。パソコンにすらほとんど触ったことがないんですよね。これまで働いたことがないと、条件を下げるしかありません」と告げられ、明子さんは恥ずかしい思いでいっぱいになりました。「甘かった……。仕事を探すだけでこんなに大変だとは」表情は暗くなっていきます。事務職の求人をみても、面接に行くことすら不安に感じるように。

「このままでは貯蓄が底をついてしまう……」

焦りと不安で自分を見失いかけた明子さんでしたが、なんとか近所のスーパーでレジ打ちのパートの仕事が決まります。月収は約10万円。決して十分な額ではありませんが、貯蓄の取り崩しが減ったことで、精神的には少しだけ楽になりました。明子さんは、もう少し収入の多い仕事を探し、就職活動を続けていこうと決意しました。

夫から切り出す熟年離婚と、専業主婦が直面する経済的現実

熟年離婚は妻から切り出すケースが多いと思われがちですが、倉本さんの事例のように、夫側が「自分の人生を生きたい」と望み、突然切り出すケースも少なくありません。

長年、専業主婦として家計をパートナーに委ねてきた女性が、十分な準備期間なく社会復帰を目指すのは、精神的にも経済的にも極めて困難です。スキルや職歴のブランクが壁となり、思うような収入を得られない現実に直面することも珍しくありません。

離婚後の生活を立て直す具体的な方法

では、明子さんのように突然の事態に陥った場合、どのように生活を立て直していけばよいのでしょうか。重要なことは、パニックにならず、一つずつ課題を整理していくことです。

まずは「支出」を見直しましょう。収入が不安定な状況でまず着手すべきは、支出の把握と削減です。特に、通信費や保険料、光熱費といった「固定費」の見直しは効果が大きく、資産の目減りを防ぐための第一歩となります。

さらに、「将来のお金」を可視化することも重要です。「老後はどうなるのか」という漠然とした不安は、精神をすり減らします。そこで有効なのが、将来の収入と支出を予測する「キャッシュフロー表」の作成です。お金の流れを具体的な数字でシミュレーションし、問題点を可視化することで、漠然とした不安は「解決すべき課題」に変わります。これにより、精神的な安定を得ることにも繋がります。

そして、活用できる「公的制度」を知りましょう。離婚後の生活を支える公的制度を知っておくことも重要です。特に「年金分割制度」は、婚姻期間中の厚生年金記録を夫婦で分割できる制度です。明子さんも受け取ることができます。原則65歳からの受給となりますが、将来の生活設計を立てるうえで大きな支えとなるでしょう。

65歳までの生活費をどう確保するか、そして老後の生活費をどう準備するか、段階的に計画を立てることで、安心して未来へ踏み出すことができます。

人生100年時代、誰にとっても「老後の準備」は不可欠

今回の事例は、決して特別なものではありません。離婚する・しないに関わらず、「人生100年時代」においては、誰しもが自身の老後資金について真剣に考える必要があります。特に、現役時代の生活水準が高いまま老後を迎えると、年金収入だけでは生活が立ち行かなくなるリスクが高まります。

元気なうちから家計を見直し、将来を見据えた生活水準を意識することが、長寿化時代への最も有効な対策といえるでしょう。倉本さんのように、突然の出来事で人生の岐路に立たされたとしても、一つずつ課題を整理し、利用できる制度を活用することで、着実に未来を拓いていくことは可能なのです。

〈参考〉 厚生労働省令和6年人口動態統計月報年計(概数)の概況 https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai24/dl/kekka.pdf

吉野 裕一

FP事務所MoneySmith

代表

(※写真はイメージです/PIXTA)